2005-01-21 FRI.


そもそも第二次世界大戦は、先の大戦( W.W.I )の結果、ポーランドが復活して海にまで達したことにより、旧ドイツ帝国の東の端、プロイセンがそれによって遮断され、「孤立」してしまっていたことから、名目上はその「東プロイセン」、そしていわゆる「ポーランド回廊」に住んでいる旧ドイツ帝国民を「保護する必要から」、と称し、1939 年 9 月 1 日にヒトラーが北部ドイツと、ポーランド回廊によって分断されていた「飛び地」東プロイセンの「北方軍集団」さらに南部ドイツとスロバキア駐留の南方軍集団を合わせ、実に 150 万の兵力を挙げてポーランドに攻め込んだことで始まった、とされています。

これに対してイギリス及びフランスが即座に( 9 月 3 日)「宣戦布告」。しかし、宣戦布告はしたものの、両国ともにすぐに軍事行動に移れるような状態じゃなく、そのスキを衝いてドイツ軍はポーランドを自由に蹂躙することが出来ました。
しかも 9 月17日には、秘密裡に締結されていた「独ソ不可侵条約」をいいことに(?)ソ連軍が、ドイツ軍侵攻によって手薄になっていたポーランド東部へ侵攻してきます。
それじゃあ、ピオ 11 世が夢見ていた「第三帝国による共産主義の抑え込み」などというシナリオは、実に笑止千万な「茶番」であったワケですね。
この開戦当時のドイツ機甲部隊の装備、特に戦車などは、第一次世界大戦での敗戦によって新規開発を禁じられていたため、トラクターと偽装して開発した 7.92mm 機関銃 X2(!)の PzKw I や、武装を 20mm 機関砲に強化した Sd Kfz 程度のまだ不充分なものでしたが、英仏軍の参戦が遅れたために、それでもポーランドでは戦果を上げることができました。
そして 9 月27日、ポーランドはドイツに降伏しています。

さらに翌年にはドイツ軍がデンマーク、ノルウェイを占領し、さらにはその戦鋒を西に転じ、ベネルクス各国とフランス東部を襲い、Fritz Erich von Lewinski の立てた戦略プランが「当たった」こともあって 6 月14日にはついにパリにまで到達し、以後フランスでは、親ナチ的なヴィシー政権と、イギリスに亡命したド・ゴールによる「自由フランス政府」が併立することになるのですが、アメリカはまだ参戦していません。
言わばブリテン島の対岸にまで迫ったドイツ軍は、英国上陸の下準備として、航空機による爆撃や、英空軍機の殲滅を目指した攻撃を続けましたが、Battle of Britain の名で知られる英空軍の反撃にあって、その目的は遂げられずに終わっています。

そして 1941 年、戦火は地中海周辺、バルカン半島やアフリカ大陸北部などにも拡大し、さらに独ソ不可侵条約を破棄してドイツ軍がソ連軍を攻撃しています。
この 1941 年は Elmore James が海軍に入った、とされている年なのですが、その正確な時期が判らなかったため、その前後関係が特定出来ませんが、12月 7 日(日本では時差の関係で 8 日となりますが)、ハワイのオアフ島のアメリカ艦隊が突如、日本軍機に襲われ、壊滅的といっていい打撃を受けたことにより、アメリカ合衆国も連合国側として参戦することになりました。

この攻撃から参戦決定へ、という流れを受けて Elmore James が海軍(以前にも違うとこで書きましたが、アメリカには陸・海・空の三軍の他に S.A.C. ─ 戦略空軍司令部、 U.S.Marine ─ 海兵隊の全部で「五軍」があります。戦略空軍は冷戦時代に発足したものかもしれませんが、海兵隊は第二次世界大戦当時にはすでにありましたが、海軍と海兵隊の区別がついていない人も「かなり」おられるようなので、資料では Navy となっていても、スンナリと信じるのはな~、っちゅうとこがあります。ただし、海兵隊は Franklin Delano Roosevelt 大統領による、各軍における人種差別の廃止命令によって 1942 年に「ようやく」黒人兵士を受け入れた、とされていますから、この Elmore James の場合には 1941 年ということで、やはり US Marine Corp ではなく US Navy でしょう)に入ったものなのか、あるいはそれ以前に入っていたものか、は判然といたしません。
ただし派兵されたのは太平洋海域だったそうで、その 3 年後のグアム奪還に参加していたと言われております。

今でこそ、日本から最も近いアメリカ(?)として日本人観光客が大挙して押し掛け、それが島の産業を半分は支えているようですが、この島が西欧的「世界地理」上に登場するのは 1521 年、マゼランによって「発見」されたことによっています。ですからまず、スペイン領となり( 1565 年)、次いで米西戦争によって 1898 年にアメリカのものとなりました。

1941 年の 12月 8 日(これは日本時間ね)の午前 2 時、マレー北部に日本軍が上陸し(これが、いわゆる「太平洋戦争」の実質的なスタート)、続いて午前 3 時19分には日本の機動部隊がハワイの真珠湾に停泊していたアメリカ太平洋艦隊を攻撃し、その「後」の午前 4 時に駐アメリカ日本大使がアメリカ側にようやく最後通牒を渡したため、実際の戦闘開始から 2 時間も経っての通告から、「不意打ち」「アンフェア」というアメリカ国民の意識が定着することとなります。
直後、アメリカ及びイギリスが日本に対して宣戦布告をしました。

日本軍は南太平洋にも侵攻し、1941 年12月 8 日と 9 日に九五式水上偵察機などでグアム島に駐留していた米軍の地上施設を爆撃し、続く 10 日には日本海軍の陸戦隊が上陸を開始し、さほどの戦力ではなかったアメリカ海兵隊と現地登用の守備兵はすぐに降伏し、その間の日本側の死者は 1 名だけだった、と言われています。

やがて戦況が変化し、再建なったアメリカ太平洋艦隊の本格的な反攻によって日本軍の版図は徐々に縮小し始めて行きました。
特に 1942 年 4 月18日、東京は、犬吠崎の東方 1,235km の海上にあった米空母 Hornet から飛来した、実に 3,000km という航続距離を持った North American B-25 Mitchell 6 機の空襲を受け(同時に川崎、横須賀、横浜、名古屋、大阪さらに神戸上空にも)、この時は予想だにしていなかったためもあって、爆撃を受けてから「空襲警報」が出されたほどで、軍部にとってはきわめて衝撃的な事態となりました。

さて、開戦以来、香港を陥とし、マニラを制し、ラングーン占領、ジャワ制圧と連戦連勝に浮かれていた帝都に冷水を浴びせた東京空襲でしたが、そのころ、アメリカ国内はどんな状況だったか、というと⋯

お馴染みのブルースマンたちの動静ですが、まず Elmore にもゆかりの Arthur Crudup が Mean Old Frisco Blues を初レコーディングしたのが 1942 年です。また、後にそのバックで演奏することになる Big Joe Turner が(当時はまだ "Big"がついてなかったみたいですが) Meade Lux Lewis と組んでツアーに参加した年だし、あの David "Honeyboy" Edwards が Alan Lomax によってフィールド・レコーディングされ、Chuck Berry はペンシルヴァニア州 New Castle の WKST で放送の仕事につき、Louis Jordan は Knock Me a Kiss と I'm Gonna Leave You on the Outskirts of Town をヒットさせ、Eddie "Cleanhead" Vinson の Okeh 初吹き込み( When My Baby Left Me )もこの年。また Robert Nighthawk は Helena の KFFA で Bright Star Flour Hour に出演を開始しています。
ま、ブルースとはカンケー無いけど、もはや永遠の大ヒット?となった Bing Crosby の White Christmas だってこの年です。
トピックを拡大しますってえと⋯まず 1942 年 1 月 6 日には PAN-AMERICAN Airlines が民間航空会社としては始めて、世界を一周出来る航路を持っています。
同じく 13 日、Henry Ford はプラスティックを多用して、従来より 30% ほども軽量な自動車のパテントを申請。
2 月に入ると 24 日には情宣活動のための Voice of America がスタート。
3 月19日には Chicago でサラブレッドの競走馬協会が発足しています。

んまあ、余裕ですわねえ。
あ、ところで、公式には、U.S.Navy にカラード、つまり白人じゃない水兵が始めて採用されたのが、この 1942 年 5 月20日、という資料が存在しております。
おやおや?では Elmore が 1941 年に海軍に入った、ってえ記述と矛盾いたしますねえ。
別な資料では 1940 年 6 月の時点で、海軍には 4,007 名の黒人がいた、とする記載に出会いました。しかし、それらは「戦闘員」としてではなく(ただし 6 名ほどの例外もいた、と記されてはおりましたが)乗務員、ま、言わばサーヴァント的な存在であったようです。
ただし、開戦時には非戦闘員として参加していても、戦況によっては(現に、アリゾナの艦上では、斃れた担当兵士に替わって対空砲火を操作し、飛来した日本軍機を撃墜せしめた、という黒人軍属の存在が記録に残っています)兵士に「昇格(?)」していったケースもあったかもしれません。
そのヘンの情報に辿りつけなかったので、定かではありませんが、もし Elmore James がラジオ修理などのスキルを持っていたとしたら、通信機器の保守などの任務についていた「可能性」があり、実際の前線での戦闘(特に先鋒となって上陸用舟艇で乗り込むなんてハードな任務)には就いていなかったのかも?

ところで STUMBLE のサイトに砂川香織とそんなセッションな Blues Band の演奏がさらに追加されております。もう見ましたか?
Hoochie Coochie Man もいいけど、Caldonia も楽しいですよね。
それにワタクシもやってる Just a Little Bit!やはりサックスが入ってるとこのリフが活きて来ますよね。

あれ?前はドラムの浅野清の歌ってる曲もあったよな気がしたけど、違ったっけ?

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