2005-02-01 TUE.


1959 年の11月には、よーやく Elmore James の次のレコーディングが始まりました。

さて、それからはるかに遡る 1917 年 4 月16日に、South Carolina 州の州都 Columbia から北西に約 100km ほどの位置にある Union(地名です)で一人の男が生まれています。
Elmore James on Fire / Enjoy ( P-Vine PCD 2889/90/91 )の日本語に翻訳されたライナーで見る本人の言葉を信じるとすれば、南部での生活の経験もあるようですが、1930 年代の終り近くに New York に出て来たその男は、1946 年、あの有名な Apollo Theatre から僅か 1 ブロックの 301 West 125th Street に Bobby's Happy House Records というレコード店をオープンしました。
そこにはあの Atlantic の Ahmet Ertegen と Herb Abramson がしばしば訪れ、彼らの製品を持ち込んではレコード店主としての意見も訊きにきた、と言われております。
それが Bobby Robinson でした。

彼はレコードを販売するだけではなく、やがて自ら製作する(資料によっては、彼が Mel London の Chief Records のやり方に飽き足らず、自分のレーベルを、としているものがありましたので、もしかすると、一時 Chief に関わったことがあったのでしょうか?残念ながら、他の資料では裏付けがとれていませんので、そのようなハナシも存在する、とだけお伝えしときましょ)ことを目指すようになり、1950 年(あるいは 1951 年)には Robin というレーベルを作りましたが、1952 年には Red Robin と改名しています。このレーベルは兄弟の Danny Robinson と共同で始めたもので、追って Whirlin' Disc Records を 1956 年(単独で)、Holiday Records( Danny 単独)に、また Fury Records も 1957 年(これも単独)、さらに Everlast records は同じ 1957 年ですが共同で、続く Fire Records が 1959 年(単独)、Enjoy Records を 1962 年(共同)に設立し、かなり膨大なカタログを持つようになっています。

ただ、本来 Fire は音楽出版に始まり、後には Fury などで録音したトラックを販売するための別レーベルとなった、としている資料もありますが、そのヘンは確認出来ませんでした。
Red Robin は Morris Lane、Charlie Singleton あたりに始まり、Jack Dupree、Sonny Terry、Brownie McGhee、そして「あの」 Tiny Grimes( 1954 )なんてのも⋯残念ながら(?)我らが Screamin' Jay Hawkins センセはすでにこの時期の Tiny Grimes のとこにはもうおられませんのですが。

この Red Robin は次の Whirlin' ともども、全体としては明らかにヴォーカル・グループをそのカタログのメインにしており、たとえば The Trasher Wonders、The Du Droppers、The Vocaleers、The Velvets なんてそれらしい名前でイッパイです。
Whirlin' Disc Records は The Channels、The Continentals、The Quadrells なんてグループが吹込んでますが、これらがどんなグループなのか?なんてことは訊かないでねん。
Holiday Records は The Bop-Chords、The Harmonaires なんてのが録音してますが、これもどんなのか、さっぱ判りません。

とは言っても Fury のカタログを見ても The Kodaks、The Federals、The Miracles、The Emotions なんて言う、たぶんヴォーカル・グループじゃ?ってのがどっちゃりあるんですけどねえ。
ま、あまり厳密には別けてなかったんでしょか。
そして Fury となると The Teenchords に始まって Hal Paige や Tarheel Slim、Wilbert Harrison、そして「あの」 Fury 1035、Sammy Myers の You Don't Have to Go( 1960 )なんてのもあります。
後には Lee Dorsey なんてのもカタログに加わりますが、ここでの最大のヒットは Wilbert Harrison の Kansas City (1959 -two million!)でしょか。ま、Gladys Knight & the Pips なんてのもありますが。
その Kansas City については Wilbert Harrison が Savoy との契約を残していたため、裁判沙汰となってエラい目にあったりもしております。

Everlast では The Charts、The Kings & the Queens、Les Cooper なんて名が挙っていますが、ワタクシとしちゃあ Wild Jimmy Spruill が目玉ですねえ。
ま、上で挙げた他にも Danny Robinson のレーベルで The Rodans、Charles Walker、Bobby Brant などを持つ Vest Records、Jerry Dorn や Artie Lewis、Jesse Powell、Bob Myers などをリリースした Fling Records ( by Bobby )、King Curtis の Soul Twist ( 1962 : 後に Everlast 5030 )や Janet Calloway、Titus Turner、Riff Ruffin、Willie Hightower、そして後には Elmore James もリリースした Enjoy などという一大グループとなっているワケです。

さて Elmore James は Bobby Robinson にとって(前述のライナーによれば)待望のアーティストだったらしく、その始まりはレコード店時代に Trumpet での Dust My Broom を聴いたことに始まるようで、心臓の発作でミシシッピーに帰って「静養」していた Elmore James がこの 1959 年11月も末近く、シカゴのクラブに戻って来ていたのを「発見」した Bobby Robinson はさっそくレコーディングをセットしました。
となれば、レコーディング・メンバーは当然、黄金の(?) Broomdusters でなくちゃいけません。
つまり、J. T. Brown のサックス、Johnny Jones のピアノ、ドラムは Odie Payne Jr. ですが、ベースは Ransom Knowling のかわりに Homesick James でございます。

The Sky is Crying : Fire 1016
Bobby's Rock : Fire 1011
Held My Baby Last Night : Fire 1016
Dust My Broom : Capricorn 9 42006-2: P-Vine PCD 2889/90/91
Baby Please Set a Date : Capricorn 9 42006-2: P-Vine PCD 2889/90/91

この録音の中から The Sky is Crying が 1960 年 5 月に R&B チャートの 15 位にまで上る、というヒットを記録しています。
そしてご存知のよーに、この曲は実に多くのカヴァーが!
思いつくままに並べてみても Luther Allison、Earl Hooker、Albert King に Freddie King、Lightnin' Slim に Magic Slim、Pinetop Perkins なんてとこでしょか?
白人のロック系まで広げると S.R.V. やジョニー・ウィンター、ゲイリー・ムーアなんてとこが知られてるよーですが、ワタシとしちゃあドンブリグッド⋯うっぷす、George Thorogood がいっちゃん良かったなあ。
ま、たびたび水をさしてますが、ワタクシ個人としちゃあ実は The Sun is Shinning のほーが好きなんですけどね。

さて Elmore James の録音が 1959 年11月末といいますが、翌12月の 1 日にはアメリカのワシントンで、南極大陸の一切の軍事目的使用を禁止する「南極条約」が調印されています。また、この日にはエジプトとイギリスが「断交」を解き、国交を快復してるんですねえ。
At China の段で採り上げた清朝最後の皇帝、第 12 代の「宣統帝」であり、後に関東軍に担ぎ出され満州国皇帝、「康徳帝」となった愛新覚羅溥儀が中華人民共和国最高人民法廷によって特赦を与えられ、放免されたのが 12月 4 日でした。およそ 15 年の囚われの身となっていたものです。
また 12月14日には、後に問題となる北朝鮮への「帰国プロジェクト」の第一弾として、新潟港から帰還船が出航しました。
で、この年は日本レコード大賞の第一回だったんですが、水原弘の「黒い花びら」が選ばれています。ホントにずいぶん「暗い」歌でしたよねえ。

年が明けると、アスワン・ハイ・ダムの建設が始まり、アメリカ放送業界は例のペイオーラ事件で大騒ぎになるのでございますが、それはまた明日、とゆうことで。

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