2005-02-02 WED.


1960 年 1 月 1 日、フランスでは 1/100 のデノミネーションが実施されました。
1 月 9 日にはアスワン・ハイ・ダムの起工式です。このダム工事はアメリカに見限られて一時スエズ動乱の原因になったりもしていましたが、ソ連の援助によって着工にこぎつけたものです。
ソ連は膨大な維持コストを消費する軍事偏重から、エジプトばかりか、中東の諸国にも触手を伸ばして、世界戦略を経済や技術方面の援助によって有利に展開しようと転換しつつあったのでしょうか、その直後の 1 月14日には兵士 120 万人(!)の削減も発表しました。
同時に内務省を解散し、連邦内の各共和国内務省に権限を分割委譲しています。

一方、アルジェリアでは、ド・ゴール( Charles de Gaulle )によって、アルジェリア人を大量(一説では 200 万人とも言われています。平野部の集落の全住民を、なにも無い山間部のキャンプに移動させたり、あるいは不毛の原野のキャンプに移動させ、無人となった集落の方は、ゲリラ対策と称して破壊し尽くした)に強制収容所に送り込むなど、強圧的な手法で独立闘争を弾圧し続けてきた現地軍司令官 Jacques Massu が罷免されています( 1 月22日)。
現地軍とコロンはこれに反発して翌日、バリケード反乱と呼ばれた抗議行動を起こしました。それに触発され、現地のフランス人入植者の中の右派も暴動を起こしています( 1 月24日)。
この争乱が鎮圧されたのは 1 月30日でしたが、2 月 3 日にはフランスの議会がド・ゴールに対し、アルジェリア問題の解決に関する特別な権限(これは 1958 年 6 月に与えられた Carte blanche =白紙、つまりすべてド・ゴールが「書き込む」ことが出来る全権委任を意味します─を再確認し、現在、大統領となった彼の方法論を議会が全面的に信任することを意味します)を与えることを決定しました。
もはやこの時点で、「世界の眼」を意識して動き出した本国と、現地で「既得権の死守」に拘泥していた一派の間には完全な断絶が生じていた訳です。

ところでアメリカの音楽シーンでは前年の 11月から騒ぎとなっていたペイオーラ( D.J.に対してレコード会社が金銭で特定のレコードをヘヴィ・ロールにしてもらう、一種の買収行為)スキャンダルの真っ最中でございました。
しかし 3 月 6 日、アメリカ政府は 3,500 人の軍関係者をヴェトナムに派遣する、と発表し、これがあのヴェトナム戦争への序曲となって行くのですが⋯

正確な日付は判らないのですが、たぶんこの年の早い時期に、こんどは New York の(あ、いつも単に New York と書いてますが、州名ではなく、New York City のことです) Beltone Studios でレコーディングを行っています。しかし Bobby Robinson は今回そのバックには Broomdusters ではなく、主に New York 系(?)のミュージシャンを起用しています。
これが前回の録音の出来から、むしろ New York テイストを入れた方が良い、と判断してのことか、あるいは単にスケジュール的なものによるものなのかはちょっと判りませんでした。
ベースの Homesick James を除けば全とっかえ状態で、氏名不詳のピアノだけはどうか判りませんが、たぶん初顔合わせ(?)じゃないでしょか。ギターの Wild Jimmy Spruill、ドラムの Belton Evans、そして一部か全部か、一部とすればどの曲でか、は判りませんがサックスには Paul "Hucklebuck" Williams* が参加していた、と言われています。

*─ Paul "Hucklebuck" Williams: 1915 年 7 月13日、Tennesse 州 Lewisburg 生まれ。彼が 13 才の時に一家は New York に移り、ハイ・スクールのジャズ・バンドでサックスを吹くようになります。
さらに地元のバンドでも演奏をするようになった彼を Detroit のレコード店のオーナーでかつレーベルのオーナーでもあった Joe Von Battle( JVB Records となる)に見出され、そのレーベル New Jersey レーベルに初吹き込みしています。
その時の曲は 35-30(前述の JVB の本社の住所の「番地」だそうです)で、そこそこヒット。
その「なんかにちなんで」路線は D.J.シリーズに発展(?)し、Wild Bill Moore と一緒に Leroy White のために吹込んだ Swinging for Leroy、さらに Washington D.C.の D.J、Max Silverman には Waxie Maxie、Chicago の Al Benson には Benson's Bounce、St. Louis の Jesse "Spider" Burks には Spider Sent Me・・・
1948 年に Lucky Millinder とやってた時に Savoy に吹込んだナンバー Hucklebuck は 1949 年の 2 月からチャートに登場し、連続 32 週 R&B チャートにとどまり、最高位はモチロン 1 位で、それも 14 週間連続、という大ヒットとなり、以来 Paul Williams はそのミドル・ネームに "Hucklebuck" がつくようになったのでした。
その後 Atlantic のスタジオ・ハウス・バンドの一員として Ruth Brown の Hello Little Boy や、この Elmore James のセッションなどに参加し、後には James Brown のバックのディレクターの仕事もしています。
2002 年 9 月 4 日 New York で死去。

この New York での録音は

Rollin' and Tumblin' : Fire 1024: P-Vine PCD 2889/90/91
I'm Worried : Fire 1024: PCD 2889/90/91
( I ) Done Somebody Wrong : Fire1031: PCD 2889/90/91
Fine Little Mama : Fire 1031 & 5001: PCD 2889/90/91
Something inside of Me : Fire 5001( 1976 ): PCD 2889/90/91
そして I Can't Stop Loving You : Early One Morning : I Need You : Strange Angel : She Done Moved : My Baby's Gone (これについては 1962 年の録音、という説もあります。DJM DJD 28008 )の各曲については Capricorn 9 42006-2 と P-Vine PCD 2889/90/91 に収録されています。

続いては 4 月に、こんどは Leonard & Phil Chess のプロデュースでレコーディング・セッションが Chicago で行われました。
このときのパースネルについては資料によって相違があり、P-Vine PCD 2889/90/91 のライナーでは J. T. Brown のサックス、Johnny Jones のピアノ、Homesick James がベースで、Henry "Sneaky Joe" Harris のドラムと明記されているのですが、一部のサイトでは Eddie Taylor と Homesick James の名を挙げて、他は unknown としているものもありました。
ま、それはともかく、ここでの録音は、あの 1953 年の「抜け駆け」録音と一緒に(そして John Brim のトラックと合わせて)アルバム Whose Muddy Shoes; CHESS LP-1537 となったものです。

I Can't Hold Out ( Talk to Me Baby ) : CHESS 1756: CHESS LP-1537
The Sun Is Shining : CHESS 1756: CHESS LP-1537
The Sun Is Shining( Alt. take ) : MCA MVCM-22029(? PCD 2889/90/91 のライナーでこのような記載があります。しかし MCA に関しては CH-9114が CHESS LP-1537の再発盤だと思うのですが、この MVCM-22029 ってのは発見できなかったため、本当にこの別テイクが収録されているのかどうか確認できておりません。日本盤でしょか?)

The Sun Is Shining( Alt. take ) : Argo LP 4034
Call It Stormy Monday ( Stormy Monday Blues ) : CHESS LP-1537
Madison Blues : CHESS LP-1537

ところで Talk to Me Baby と言うのはアルバム Whose Muddy Shoes に収録した際のタイトルで、シングル CHESS 1756 としてリリースされた時点では I Can't Hold Out として The Sun Is Shining とカップリングで発売( 5 月に)されています。
ま、個人的なことでもーしわけないけど、この Talk to Me Baby がワタクシにとっての the Best Tune of Elmore James なのでございますよ。
そして Elmore のこの時のテイクが同じようにワタクシの the Best of "Stormy Monday"ってワケ。

ところで、いまだに Icecream Man を Elmore James の曲、なんて言ってる「どアホ」なサイトが初心者向けのブルース・ガイドみたいなツラしてるっての、あれ、どーにかならんのでしょうかね?
他のブルースに関する解説(?)も「噴飯もの」で、ホント、いったいどこのどいつがあれ書いての?

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