2005-02-04 FRI.


コンゴにかなりのスペースを割いちゃったもんで、前段では 1960 年も途中までしか行ってませんでしたねえ。
それも 6 月以降までハナシは進んでましたが、ここではまた別件で少し前に戻らなきゃいけません。
というのは、この 1960 年 5 月 1 日(つまりメイ・デーですね)を狙いすましたかのように、米ソ間でひとつの事件が起きています。
5 月 1 日、ソヴィエト政府は自国の領空でミサイルによってアメリカの高々度偵察機(アメリカ空軍では高々度気象観測機と称していた) Lockheed U-2 Dragon lady( Platt & Whitney J-75-P-13B ジェット・エンジン一基を搭載した単座の多目的機で、実際に気象観測や宇宙線の観測、また衛星からの電波の中継など様々な用途に充てられたため Utility の U が名前となった、としている資料もありますが、CL-282 また ER-2 という名称を示唆する資料もあります。全幅 30m 強に対して翼スパン長が平均 3mほど、と言うアスペクト比 10 で後退角度無しという主翼平面形から想像される通り、速度は遅いものの、軽く 5,000km を超える極めて航続距離の大きい機体であり、もはや乗員に宇宙服なみの特殊なフライト・ジャケット着装が必要な、高度 21,000 から 27,000m ほどの高みから Kodak 社の開発したシュミット・カセグレン系の超高精細解像度の特殊レンズで地上設備などを撮影し、かなり精度の高い軍事情報を収拾していた、とされています。また、この後 1962 年10月14日にはキューバのミサイル基地を発見し、「キューバ危機」の発端となりました。しかしそれが撃墜された、と言うことはソ連側の対空、あるいは空対空ミサイルがこの U-2 の巡航高度にまで到達して来たことを示しており、それに対処するために、アメリカでは今度はマッハ 3 を越える SR-71 Blackbird というパワーでブっちぎるタイプの、まさに U-2 とは対照的な機体を開発して投入しますが、やがて軍事偵察衛星の地上探査能力が向上したことによって、「ゼッタイに」領空侵犯とは言われない周回衛星軌道から軍事偵察することがメインとなっていきます)を撃墜した、と発表。
パイロットだった Francis Gary Powers は捕虜となっています。
ソヴィエト政府は明らかに領空を侵犯してのスパイ行為であるとアメリカを非難し、謝罪を要求しました。
時あたかも Paris において四大国首脳会議が開かれていたのですが、この U-2 スパイ機事件で紛糾し、会議はモチロンお流れ⋯

ところが U-2 事件のセンセーショナルな「スパイ機」というトピックに隠れてさほどの衝撃は無かったのですが、なんと 2ヶ月後の 7 月 1 日に、こんどはソヴィエトの MiG 戦闘機( Mikoyan-Gurevich なので「 Mig 」ではなく「 MiG 」と Gが大文字となる。らしい)がムルマンスク北方のバレンツ海上でこれも領空侵犯をしていた(とされる)アメリカ空軍の Boeing RB-47 H( General Electric J-47-GE-25 ジェット・エンジン六基を二基のクラスターとシングルで主翼から吊り下げた設計で、中距離爆撃機として開発された B-47 Stratojet を偵察任務用に改装し、地上撮影機材、電子情報収集システムなどを積載し、本来の乗務員数が正副パイロットと航法士の三人なのに対し、偵察任務要員が増えているため、六人が搭乗する)を撃墜、生存者二名は、これまたモスクワの虜囚となっています。

おそらくこの時期のソヴィエト空軍、あるいは対空地上部隊のテクノロジーが「なんらかの理由で」飛躍的に向上したのかもしれません。
アメリカ空軍はそれまでも様々な偵察行動を繰り返して、その際の「安全マージン」を経験則から割り出していたハズなのですが、それがこの 1960 年に連続で「通用しなくなった」ワケでしょう。ここで最も大きかったのはソヴィエト空軍に 1959 年から採用された MiG-21(アメリカ空軍の Lockheed F-104 Starfighter にも通じる設計思想で、比較的小さなデルタ形主翼の軽量な機体に充分な出力のエンジンを組ませ、マッハ 2 を出すことに成功した。NATO 軍の識別名は Fishbed )の存在かもしれません。
この直後の 7 月 9 日にはフルシチョフ首相はキューバに対し、防衛用のミサイルを供与する、と発表しました。これが後の「キューバ危機」につながるワケですね。
ただ、一方ではソ連から中国への技術援助を「停止する」ことも発表していますから、中ソ関係が「やや」微妙な側面を持ち始めたことも窺えます。その中国は 7 月23日にキューバとの間で貿易、科学技術、文化交流の協定を結び、また別なベクトルを見せていますねえ。
そのような状況に意を強くした(?)キューバは、国内のアメリカ系を始めとする外国資本が所持していた資産を接収してしまいます( 8 月 6 日)。また 5 月 1 日に撃墜された U-2 のパイロットは 8 月19日、モスクワの法廷でスパイ罪で 10 年の懲役を宣告されています。
そのような緊張を高める方向の米ソ関係の流れに沿うかのように 8 月25日には、こんどはアメリカの潜水艦が北極点で浮上し、乗組員が氷上でソフト・ボールを楽しんで(!)います。これなんて、あからさまに、ワシらはこっからおタクの国土どこへでもミサイル攻撃出来るんでっせ~、ちゅうのを思い知らせる「嫌がらせ」そのものですよね(事実11月15日には水中にある潜水艦からの「ポラリス」ミサイルの発射テストに成功しています)。

そんな中、大統領選挙に向けて新人の John Fitzgerald Kennedy と、その前の第34代大統領 Dwight Dave "Ike" Eisenhower の副大統領であった Richard Milhous Nixon が選挙戦を繰り広げることとなります。
12月には Eisenhower がフロリダのキューバ難民(亡命者)たちの厚生のための予算を計上しました。このころにはキューバから逃亡してくる難民は週に 1,000 人にも達した、と言われています。

この 1960 年の晩く、あるいは 1961 年の初頭かも?と言われておりますが、Elmore James の次の録音が New York の Beltone Studio で行われています。

さて、本日は「市内でセッションみたいなんがあるんで来ませんか?」と板どんのお誘いでこれから出かけます。

タマにブルース・セッションにも来てくれるドラムの成田さんのお店なんですが、ライヴハウスじゃないんで、あまり音量は出せないらしいんですが、もともと「轟音派」じゃないんで、どっちかってえと、そんなコントロールされた「場」のほーが好きでございます。

ま、それはともかく、そんなワケでございますので、帰って来るまでの間、しばらくは bbsやメールなどのレスが遅れますのでよろしく。

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