2005-02-05 SAT.


1960 年、あるいは 1961 年の初頭かも?の Elmore James の録音ですが、これも New York 録音のせいか、バッキングのメンバーはかっての Broomdusters ではございません。
Riff Ruffin のギターに ピアノは Johnny Acey、前回も登場した Paul "Hucklebuck" Williams のバリトン・サックス、ブラス陣は他にもテナーの George Coleman、トランペットの Danny Moore、トロンボーンの Dickie Harris。ベースは不明ですが、ドラムは Johnny Williams(ただ、Earl Williams としている資料がありますが、これって同一人物なんでしょか?)。
プロデュースはモチロン Bobby Robinson ね。

Strange Blues : Fire 1503: DJM DJD 28008 :PCD 2889/90/91

Strange Blues ( Alternate take ) : PCD 2889/90/91

Anna Lee : Fire 1503: DJM DJD 28008: PCD 2889/90/91

( My ) Bleeding Heart : Enjoy 2015: DJM DJD 28008: PCD 2889/90/91

Standing at Crossroad : Enjoy 2020: PCD 2889/90/91

One Way Out : PCD 2889/90/91

Person to Person : PCD 2889/90/91

My Kind of Woman : PCD 2889/90/91

So Unkind : PCD 2889/90/91

Got to Move : PCD 2889/90/91

Find My Kind of : Fire : Enjoy : DJM :PCD 2889/90/91


そして資料によっては 1962 年の My Baby's Gone と同時ではないか?とされており、この時のセッションでの録音かどうかは「?」なのですが、
Find My Kind of Woman : Capricorn 9 42006-2 ってのがあります( P-Vine では 1960 年「か」 1962 年の録音としています)。
ま、それはともかく、この一連の録音中での白眉(?)はやはり Person to Person でしょう。

Eddie "Cleanhead" Vinson のが好き、なんてひとからすりゃあ(ま、おちゃらけ Screamin' Jay Hawkins ほどじゃないにしろ?)「おいおい、なんじゃこりゃあ!コードけちってねえか?」なんて言われそうでございますが、ワタクシ、この割り切りっぷりがなんとも言えず好きなんでございますよ。



さて、またもやコンゴです。
1961 年の 1 月17日、コンゴ共和国の元首相 Patrice Emery Lumumba*が暗殺されました。

* Patrice Emery Lumumba ─ Batatele 族に生まれ、ベルギー領コンゴの時代からミッション系の学校で教育を受けた Lumumba は郵便業務につき、1958 年に創設された All-African Peoples Conference の委員に就任し、さらに Mouvement National Congolais の総裁(あるいは党首・書記長か?)となるのですが、1957 年には着服の容疑で拘束され 1960 年のベルギーの独立に伴う地方選挙では、まだ獄中にいた彼が率いる MNC が過半数を制しています。
独立後のコンゴ政府は MNC を中心に組閣され Lumumba は首相となり、バコンゴ( Bakongo )と呼ばれる部族を中心としたアバコ党( Association des Bakongo )の創始者 Joseph Kasavubu が大統領でした。しかし例の Moise Tshombe(こちらはバ・ルンダ族をメインとするコナカ党─ Conakat Party の指導者。アメリカ系のミッション・スクール出身)がベルギーを後楯として鉱物資源に恵まれたカタンガ州を独立させた分裂(実際には 1891 年に親英的だった同州の族長を斃しベルギー国王が武力で自領に併合したもので、それ以来の「火種」でもあった地区で、これも地方分権を目指す Moise Tshombe が、「 Lumumba は共産主義寄りで、西欧諸国の勢力を国内から追放しようとした」という「名目で」州内を制圧し、これによってベルギー国内の右派ばかりか、西欧の大資本からも非公然ながらも支持を取り付けることに成功し、むしろ Lumumba は自由主義圏内からは「好ましからざる人物」という評価が定着します)やその後の争乱に際し中央集権的政権を指向した Lumumba でしたが、8 月25日にはソヴィエトの援助を受けて、(分離独立を唱えて反旗を翻した Kasai Province )自称「南カサイ鉱山国」を制圧しましたが、その際に、かなりな規模で非戦闘員の虐殺事件を起こしてしまったこともあり(元々「反ソ」的スタンスからこの軍事行動には批判的であった)西側諸国からの Lumumba に対する支持を失ってしまうことになりました。
その流れを受けて、9 月 5 日には地方分権型政治を指向するカサヴブ大統領がルムンバ首相を解任しています。
対抗するルムンバは各種メディアを通じて自らの正当性を主張、民衆の信任を得ている以上、大統領といえども独断で解任することは出来ない、と攻撃を開始します。
ここで、「このままでは国の将来が危うい。混乱を収拾するため、しばらく軍が国政を管理する」という名目で 9 月14日に起きた陸軍大佐 Joseph Mobutu(どうやら正式名は Mobutu Sese Seko Nkuku wa za Banga というようです)のクーデターでしたが、どうやらこれはカサヴブの承諾済みのもので、これによってカサヴブの権限は一層増大し、12月 1 日には Mobutu の部隊により Lumumba は自宅監禁されています。この時の罪状は、陸軍部隊に反乱を唆した、というものでしたが、いずこも同じ「勝てば官軍」果たしてその真相はいかに?
この Lumumba の拘束に強く反発し、釈放を強く求めたのはソ連でした(それには Mobutu によって在コンゴのソヴィエト大使館が強制的に閉鎖された、という事情もありましたが)。
一方、ルムンバを強く支持する東部の Stanleyville 周辺では Mobutu が知識人を集めて政策の実行に当たらせた「委員会内閣」に対抗して「中央政府」を樹立、ルムンバ政権での副首相であったアントワーヌ・ギゼンガ( Antoine Gizenga )が首相となって対立しています。

ところで、このコンゴの内乱には先日のアルジェリアの影が大きく落ちて来ることになります。アルジェリアの独立を容認する Charles de Goare によってアルジェリア現地軍、なかでも、もっとも強硬な独立反対派の牙城であったフランス軍第一外人落下傘聯隊などの士官や傭兵たちがアルジェリアに見切りをつけ、カタンガの Tshonbe が強化しようとした「憲兵隊」に多数流れ込み、一気に「危険な」軍事力を備えるようになっていきます。このあたりの「コンゴ傭兵」については、これまた F.フォーサイスの「戦争の犬たち(でしたっけ?)」あたりで小説化されてたハズ。
そのカタンガにルムンバ支持派の Stanleyville 中央政府が進攻し、北部カタンガ(同じカタンガ州内でも、この周辺は反 Tshonbe のバ・ルバ族のテリトリーだった)を占領して勢力圏を拡大しています。
この時点では、Tshonbe 政府(カタンガ; Katanga )、Lumumba 派の Gizenga 政府(スタンレーヴィル; 現 Kisangani )、Mobutu 派の委員会内閣(レオポルドヴィル─ Léopoldville; 現在の Kinshasa )、さらに南カサイ鉱山(銅山)国が「混在」していたワケです。
事態もここまで複雑になってくると、もはや国連軍も迂闊には動けず、Mobutu 派に捕えられている Lumumba を救出することは「必ず」事態をより紛糾させる、という見方が優勢でした。
そうしているうちに「ナゼか」 Mobutu 派の委員会内閣は Lumumba をカタンガの Tshonbe 派に「送りつけ」る、という行動に出ます。そして 1961 年の 1 月17日(あるいは 18日)に Lumumba は何者かに「殺された」ことを Tshonbe の政府が発表したのは 2 月に入ってからのことでした。
これによって世界各地で委員会内閣政府とカタンガの Tshonbe 政府に対する抗議行動が起きています。
やはりソ連に接近しようとしたルムンバに対して、西側諸国は「やや冷淡だった」ということがこの結果を招いたのかもしれませんね。

この後、コンゴではカタンガを除く勢力が結集して中央政府が成立するのですが、それで和平が訪れる・・・などとノンキなことを考えてはいけまへん。
事態はさらにさらに悪化していくのですが、ホント冗談抜きで、このコンゴでの混乱を追っていけば、小説の二・三冊はモノに出来る!っちゅうくらいの複雑な絡みがあって、とても「ついで」で語れるようなものじゃございません。
ま、この先もまだ根気が続くようだったらコンゴの「その後」を・・・

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