2005-02-06 SUN.


1961 年という年は、John Fitzgerald Kennedy が大統領となった年ですが、その前年の11月20日にヴェトナムで結成された南ヴェトナム開放民族戦線 NLF が次第にその勢力を伸ばして来ており、またキューバもソ連からの援助で徐々にそのプレゼンスを増している時期での出発となっています。
まるでその多難な前途を象徴するかのように就任四日後の 1 月24日には North Carolina の Goldsboro 付近に 24 メガトンの核弾頭二発を搭載した B-52 Stratofortress( Strato-; 成層圏の、を意味する接頭辞と Fortress; 要塞を合成したもので、そ、お馴染みの Fender Stratocaster にも含まれておりますねえ。工芸品的「楽器」であり続ける Gibson に対して、Fender 社は宇宙に目を向けた、ってことでしょか?)が墜落する、という事故が起きました。
ただ、Stratocaster(注; Fender Stratocaster は 1954年から)じゃないけど、Kennedy になってから、軍事関連予算に対する宇宙開発の予算の伸びが著しくなり、政府としての関心が「より高々度」へと上昇してゆく傾向を持つようになります。

2 月 9 日には、前段でとりあげたコンゴの元首相 Lumumba がすでに Elisabethville で殺害されていたことが判明し、世界的な非難がカタンガや、なんら有効な救済手段をとれなかった国連に対して浴びせられました。
ところで、4 月12日にソ連の宇宙船がユーリ・ガガーリンを乗せて、初の有人宇宙飛行を実現したことによって、アメリカは大いに危機感を抱いた、とされています。
しかしそんな中、アメリカはキューバのピッグス湾侵攻なんてことをやって、しかも失敗してるんですよね。これを諜報関係を新大統領が把握しきれていなかったから、とする分析もあるようですが、こと諜報機関がらみの力関係は伝聞や憶測が多く、その真偽のほどは判断が難しいようです。
そのアメリカが有人宇宙飛行で追いついたのは 5 月 5 日、飛行士は Alan Bartlett Shepard でしたが、この時の飛行は厳密には周回軌道に乗ってから大気圏に再突入、というものではなく、「宇宙高度」にまで到達することに成功した、と言うべきでしょう。
しかも地上では 5 月14日、Washington D.C. から南部に向かった差別に反対する Congress on Racial Equality のメンバー(白人と黒人の活動家が共に乗っていた)のバスが Alabama 州の Anniston で火焔ビンによる「焼き打ち」にあい、引きずり出された乗員は白人の差別主義者によって暴行され、別なバスはレンガや鉄パイプ、こん棒にナイフなどで武装した暴徒に襲われていますが、なんとかその Freedom Riders 運動を続行しています。しかし、最終的には 5 月21日に Mississippi 州 Jackson で白人による流血を伴う暴力で潰されました。
この件に関して John Fitzgerald Kennedy が「なんら」有効な保護手段を採っていなかったことは明らかで、こと、公民権に関しては次の Johnson 時代の方が「前進」している、とする分析は当たっているように思います。
なにしろ、そのように足元でアメリカの理想が危機に瀕しているってのに、次の日に Kennedy が発表したのは人類を(って言うより、アメリカの「白人」を、だね)月に送り込む、というアポロ・プログラムでした。

その Kennedy は 6 月 4 日にウィーンでフルシチョフ(なんでフルシチョフはカタカナか?ってえとキリル文字では表記も、またそれによるネット検索も難しいからです。なるべくダイレクトに Google や Yahoo USA の検索に進めるように原文に則した表記を優先していますが、さすがにロシア系はねえ⋯)と会談し、核実験や西ドイツ駐留米軍の問題などについて話し合っています。

その 6 月も末近い 25 日には当時のイラク大統領アブドゥル・カリム・カッセムがクウェートを併合する、と発表し、クウェートは英国に援助を求め、英国陸軍がクウェートに送られました。
つまり、イラクにとって「クウェート」ってのは自国の一部を、西欧資本におだてられた反乱分子が勝手に建国した、本来は「イラク固有の領土」である、という認識なんですねえ。

Kwait ; オスマン帝国統治下ではバスラ州に所属し、そこで 1756 年以来、大きな勢力があったサバーハ家の首長のもとで自治を行っていたクウェート地区は、1899 年にイギリスの保護国となってイラクから切り離され、さらに 1914 年にはイギリスの自治国となっています。
1961 年 6 月19日には独立を果たしました。これを受けてイラクは、独立ではなく、「本来の」イラクに帰属するべきだ、と主張したワケですが、そもそもイギリスの関与以前にはサバーバ家の統治下にあったワケですから、クウェート側には当然、「イラクから」独立した、などという概念は存在していないようで、これが西欧社会をして「イラクの邪悪な侵攻」と言わせる由縁となってるみたい。
一方のイラクはこれもイギリスによって 1921 年に国家として形成され、第一次世界大戦中のアラブ独立運動に関わったハーシム家のファイサル・イブン=フセインを国王に据えたもの。しかしそれ以前に、オスマン帝国の旧領土を分割する際に、一時、現クウェートもまとめて「イラク地区」的扱いであったために、クウェートを自国領、と主張する根拠となっています。
そのイラク王国は 1958 年のクーデターによって共和制の国家となり、次第に主流となっていったバース党が主導権を握り、そして 1979 年にはお馴染みのサダム・フセイン、となっていく⋯


7 月21日、マーキュリー・プログラムでアメリカの宇宙カプセル Liberty Bell 7 が Gus Grissom の操縦で「初めて」宇宙周回軌道に乗り、「本当の」宇宙飛行を成功させています。

一方で、東西の冷戦を象徴するベルリンの壁の建設が始まったのが、この 1961 年 8 月13日のことでした。

⋯と、たぶんこのあたりじゃなかろうか?と思う( Summer of 1961、とあるので)んですが New Orleans、とくればモチロン Cosimo Matassa の Cosimo Recording Studios で Elmore James のレコーディングが行われております。
プロデュースはこれもとーぜん Bobby Robinson で、バックにはハープの Sammy Myers、ピアノの Johnny "Big Moose" Walker、ベースに Bobby Lee Robinson(えっ?もしかして Bobby Robinson のミドル・ネームが Lee なの?と探ってみましたが、どーも別人みたいですねえ。それと、この時のベースを Sammy Lee Bully としている資料あり)、ドラムが King Moose(同じ別資料では Sam Myers「も」、としています)。

Shake Your Moneymaker : Fire 504: Enjoy 2022: PCD 2889/90/91
Look on Yonder Wall( with Hca.) : Fire 504: Enjoy 2022: PCD 2889/90/91
Mean Mistreatin' Woman-take 1. : PCD 2889/90/91
Mean Mistreatin' Woman-take 2. : PCD 2889/90/91
Mean Mistreatin' Woman-take 3. : Enjoy 2020: PCD 2889/90/91
Sunnyland Train : PCD 2889/90/91
Go Back Home Again* : Capricorn 9 42006-2

*─ この曲、たぶんこのセッションで録ったものじゃないか、としてる資料もなんか自信無さげだし、なんだかなあ。

この Elmore James のセッションの正確な日時が判らないんで(それが判ってたら Yonder Wall とベルリンの壁のカンケー、なんてヨタもトバせたかも)、もしかすると、時期が前後しているかもしれませんが、9 月17日、コンゴのカタンガに飛んでいた国連の事務総長 Dag Hjalmar Agne Carl Hammarskjöld が航空機事故で死亡しています。事故ねえ⋯
10月25日にはイギリスで風刺雑誌 Private Eye が創刊され、そしてアメリカにとっての「ヴェトナム戦争」が、サイゴンに米軍のヘリコプターと兵士 400 名が到着したことで実質的に「始まった」のもこの 1961 年12月11日のことでした。

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