Mack the Knife

Jimmy Smith


2005-02-11 FRI.


えっ? Mack the Knife? ジャズは嫌いだ、とか言ってなかったっけ?とゆーようなツッコミが全国から(おーげさ!)ドトーのように押し寄せて来るやもしれませぬが、ここはひとつ Jimmy Smith 追悼っちゅーことで・・・(?)
そ。2 月 8 日、Arizona 州 Scottsdale の自宅で 76 年の生涯を閉じた(彼のマネージャー Robert Clayton が起こしに行ったところ、眠ったままの状態ですでに死亡していた、と言いますから、どうも老衰による自然死らしいです)偉大なるオルガン・プレイヤー Jimmy Smith でございます。

どうやら、あまり確実な資料は無いらしいのですが、様々な整合性からいって、どうやら彼の生まれたのは 1925 年12月 8 日であるらしく(ただし彼の家族たちは 1928 年生まれ、と主張しているようです。どっちがホント?)、Pennsylvania 州の Philadelphia から 11時の方向に 30km ほどの位置にある Norristown で James Oscar Smith として誕生しています。
彼の父はピアノ奏者であり、その父が彼にとっての最初の教師だったようですね。
学校を出てすぐ彼は海軍に入り(とは言っても、家族が主張するとおり 1928 年生まれだとすると、 1941 年の Pearl Harbor の時でもまだ 13 才なんで、1944 年ころに入ったんでしょか?ちなみにアメリカ海軍が黒人の徴兵を開始したのは 1942 年 5 月20日とも言われている)、そこで黒人だけで編成された楽団でピアノとベースを弾いておったそうですから、もしかすると、当時、おなじくサックスで参加しておった可能性もある(と言っても、なにしろヤツのこったから、どこまでがホントーなのか、信用できないんですけどねん) Screamin' Jay Hawkins とどっかで一緒になった可能性もあった⋯かも?

そして海軍を除隊したのが 1947 年で、そっから Philadelphia の Hamilton & Ornstein 音楽学校に入り、ピアノとベースに関して学び直しているんですねえ。すごい「向上心」の持ち主でございますよ。
おまけに Pennsylvania 鉄道の工事現場で働いて生活費も稼いでたようですからリッパ!
1951 年には R&B 系の Don Gardner の the Sonotones に参加しピアノを弾くようになっています。そしておそらくこの年に Hammond B-3 に出会い、さらに Atlanta City の Club Harlem で Wild Bill Davis( 1918 年、Missouri 州 Glasgow 生まれ。最初はギターで Milt Larkin のバンドに参加していますが、そのバンドこそ Eddie "Cleanhead" Vinson と Arnett Cobb のふたりが「ブイブイ」言わしてたバンドで、そこには 1942 年まで在籍しています。その後ピアノに転向し、1945 年には Louis Jordan の Symphony Five ─ただし Louis Jordan のバンドは the Tympany Five として知られており、それとも、Symphony Five とでも言う別名があったのでしょうか?─に参加。この時期にはまた編曲や作曲にも興味を持ったようです。後に Count Basie や Fats Waller との交流を通して Hammond B-3 に触れ、次第に彼独自のオルガン・テクニックを持つユニークなプレイヤーとなっていきます。1950 年には Louis Jordan のもとを離れ、自らのトリオを結成。Booker T にも影響を与えたと言われてるようです。1995 年10月に死亡)の演奏に触れて影響を受け、1954 年には「自分の」 Hammond B-3 を手に入れました。

そして New York に進出し Harlem の Small's Paradise でデビューしています。1956 年 1 月には Blue Note Records とサイン。1957 年には Newport Jazz Festival に出演しました。
1962 年には Verve Records に移籍し、1970 年代には Los Angeles に居を構え、妻の Lola とともに San Fernando Valley に Jimmy Smith's Supper Club を開きましたが数年後には閉めているようです。
昨年 Arizona 州 Scottsdale に移っていますが、その少し後に妻の Lola をガンで失っていました。そのことが彼自身の生きる意欲を失わせてしまったのでしょうか・・・

ワタクシがこの Jimmy Smith を初めて「見た」のが 1964 年のアメリカ映画 Get Yourself a College Girl(邦題「クレイジー・ジャンボリー」⋯ヒドい題じゃのう)での「演奏シーン」でございました。
いやあ、Jimmy Smith、めちゃめちゃカッコ良かったなあ。
この映画には他にも Eric Burdon の the Animals(記憶では Around & Around を演奏してたハズ)や同じ Verve Recording Artist(?)、 Stan Getz に Astrud Gilbert(もち the Girl from Ipanema )などが出ていたのですが、映画のストーリィ自体はヒドい代物で、「女性蔑視の時代の他愛もない三流の作品、出演しているミュージシャンの演奏シーンが見られる、というだけの価値しかない。」と酷評されております。この映画は公開されてすぐ観に行きましたが、ストーリィ部分は退屈で退屈で眠ってしまいました。
で、演奏が始まると目がパッチリ!てな具合。

ま、それはともかく、この Jimmy Smith、なんと言っても代表曲は the Cat なのでございますが、そこはホレ、ワタクシのことでございますから、ちと目先の変わった、ってえとこでこの Mack the Knife の登場でございます。the Cat にも通じる「饒舌な」オルガン・ワークが実にいいですねえ。
もちろん彼には、「もろジャズ」(?)のアルバムもあって、そこではサックスなどと共演してジャズのスタンダードを「分担して」演奏しているものもあるのでございますが、やはりワタクシとしては彼の右手が鍵盤上を「ひらめくがごとく」舞う「弾きまくり」系のナンバーが好きです。
つまり彼とギター、そしてドラム、っちゅートリオ編成ね。
この Mack the Knife ももちろんトリオで、ギター Quentin Warren、ドラムが Donald Bailey で、1960 年 1 月 4 日、New Jersey 州 Englewood Cliff の the Van Gelder Studio で録音されたものです( Blue Note 84030 Crazy Baby )。

ところで(カンケーないけど) Mack the Knife と言えば Ella in Berlin (?)でしょ。で Ella in Berlin と来れば、もう How High the Moon と・・・
あの Ella のヴォーカルっつうかスキャットって、もうヘタな楽器以上に楽器的だなあ、と感心いたしますが、それとまったく逆位相で、この Jimmy Smith の Mack the Knife、実に肉声的だなあ、と聴き惚れております。
ま、ワタクシ個人といたしましては、いかな超絶技巧であろうと「楽器的ヴォーカル」よりは、「肉声的、の域に達した器楽演奏」のほーに感動いたしますもので。

なお、まったくの蛇足でございますが、この Ella in Berlin 、リリースされたのが 1960年 2 月13日でございますから、Jimmy Smith センセ、これを吹込んだ時にはまだ聴いていないハズ(ま、ベルリンでの隠し録りテープでも先に出回ってたら別ですが)でございます。

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