How Long - How Long Blues Part 2

Leroy Carr


2005-02-14 MON.


まあなんでしょねえ、ワタクシこれまで Leroy Carr は 2003 年 7 月 3 日に採り上げてるから、Biography はもうとっくにアップしてたよーな気がしておったのですが、ちょとワケあって見直してみたら、ありゃりゃ〜!『リロイ・カーが生まれたのは19 世紀もあと 1 年と少しの 1899 年、テネシー州ナッシュヴィルです。インディアナポリスに落ちつく前にクラブなどで演奏を始めていたようです。一方のスクラッパー・ブラックウェルは、1903 年、つまり今から100 年前ってことになります。ノース・キャロライナ州のシラキュースで生まれていますが、生後すぐ一家はシカゴに移っています。この二人によるコンビは、おそらく、1930 年代前半の最も人気のあるデュオだったのではないでしょうか?ただ、酒ばっかり呑んでたこの二人、1935 年に、徹夜のパーテイのあげくにリロイ・カーが倒れ、還らぬ人となってしまうのですが。(ま、酒に関しては密造なんかでタイホされたりもしてたようでございます。みなさま、お酒はほどほどにねん)』って一節だけ!
ま、それでもいいんですが、ちょとアッサリし過ぎ、っちゅーもんでございますねえ。

まず第一に彼の生年月日でございます。
ワタクシ、Catfish Records のライナーの記載を尊重して 1899 年生まれ、としてありましたが、実はその説は「少数派」でしかないようなのですよ。
多くのサイトではその誕生日を 1905 年 3 月27日としてるじゃあ〜りませんか!
さあ、困りましたねえ。いまのとこ、1899 年説は他のとこじゃ出てまいりません。ま、少数派だから信じることは出来ん、ちゅうことはありません。他の年表との整合性などから総合的にそりゃちとおかしいんちゃう?ってのがあれば、おのずとどっちが正しそうか判断の足しにもなるのですが、さほど決定的、と言えるよな材料は無いんですねえ。
ま、Tennessee 州 Nashville で、Vanderbilt University でポーターとして働いていた父のもとで生まれて、1912 年には父母の離婚に伴い、姉(あるいは妹?)とともに母に連れられて、当時、全米一、自動車産業が盛んで、多くの流入する労働者で賑わっていた Indiana 州 Indianapolis に移り(ま、そのような立地であったからこそ、「あの」歴史的なレース・トラック Indianapolis Motor Speedway が Detroit じゃなく、ここに作られたのだ、と言われております)、彼はそこで育ち、ピアノも独学でモノにした、って記載に出会いますが、問題は 1917 年(つまり 1905 年生まれだとしたら、まだ 12 才!)には the Pot Roast Club に入り浸るようになって、そこで聴き覚えた Ollie Akins のピアノを、家に帰ってすぐ姉(たぶんね。でも妹かもしんない)のピアノでそれを再現してみようとした。って部分かな?
はたしてそんな年齢で入り浸りになることが出来たのか?ってのがどうもねえ。ま、ゼッタイあり得ないとも言いきれないでしょが。
もし 1899 年生まれだとしたら 18 才ですから、これはまあ、あまりムリは無いかな?って思うのですが⋯
またサーカスの一員として(楽団?)各地をまわってた、とか、軍に籍を置いていたこともあるとか、この辺りの前後関係、また事実かどうか、などもいまひとつ判りませんね。

先日の Elmore James や、それ以前に連載しちゃった Screamin' Jay Hawkins はいずれも第二次世界大戦に関わって(ま、Screamin' Jay Hawkins がどのように「関わっていた」のか、は、ちとアヤしい部分もあるのではございますが⋯)おりまして、そこらの召集年齢が、どうやら 16 才らしい、ってのが見えてきておるのでございますが、もし、本当に 1905 年生まれだったとすると、彼がプロとしてスタートを切った、とされる 1922 年ってのは、まだ 17 才だったことになります。
ま、たった一年だけ軍にいた、ってえ可能性も無いじゃないですが、どうもイマイチしっくり来ませんねえ。ムリだ、とは言いませんが。

それはともかく、その 1922 年、彼は Jack Wiley の伴奏者となった、と言われています。ただ、別な資料では、除隊後すぐ結婚し、酒の密売人などをしてもいたようなのですが、1920 年代の「半ば以降に」プロのピアニストになった、としております。ま、1922 年からかあるいは 1920 年代後半かはともかく、プロとなった彼は Indianapolis 界隈のダンス・パーティやハウス・パーティで稼いでいたようですが、そんなパーティのひとつで Part-time Guitarist but full-time Bootlegger、つまりギターの Francis Scrapper Blackwell と出会っているらしいんですねえ。
そこからこの二人の名コンビは生まれるのですが、ただ、二人の音楽に「賭ける」姿勢みたいなものには微妙な温度差があったようで、ギターも弾くけど、むしろプロの Bootlegger じゃ!っちゅうスタンスの Scrapper Blackwell のほーは「商売(?)」の都合上、あまり地元を離れたがらず、したがってちょっと遠出をしたギグでは Leroy Carr も彼なしで、あるいはその地元のミュージシャンと共演することが多かったようです。

そんな二人でしたが、1928 年の Vocalion のタレント・スカウト Guernsey(フル・ネームは不明)によってレコーディングがセット・アップされ、地元の放送局 WFBM のスタジオで録られた曲 How Long-How Long Blues がこれがかなりのヒットになったってワケです。
そちらのオリジナルは 1928 年 6 月19日の録音ですが、今日のブルースとして採り上げた How Long - How Long Blues Part 2 は同じ 1928 年ながら、暮れも近づいた12月19日(今度は Chicago で)と、ちょうど半年後の録音になっております。
録音施設がしっかりしてるせいか、まず音質がかなり良くなってる!と言いたいとこですが、これは 78rpm SP から起こしたものだとすると、その盤のコンディションで大きく左右されますから比較すること自体がナンセンスっちゅーことになりますねえ。
ただ、目立った違いとしてはこの Part 2 では Scrapper Blackwell がはるかに「やる気」を出してるよに聞こえる、っちゅーとこでしょうか?
また、それがヴォーカルのジャマをしてる、なんてこともなく、Leroy Carr もなんかキモチ良さそう。

いま聴くと確かに時代を感じさせる音ではありますが、それでもそんなことを超越した曲としての魅力がありますよね。
こんなピアノ&ギターっていうブルース・デュオ、ちょとやってみたいよな気もいたします。

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