Sweet Home Chicago

Junior Parker


2005-03-18 FRI.


およそ、あちこちのライヴやらセッションまでぜ〜んぶ入れたら、年間、どのくらい歌われてるじゃろ?っちゅう「名曲」でございますが、先日、江戸川スリムさまとこの有吉須美人氏の日記でもちと採り上げられてましたねえ。

そこで採り上げてたワケ判らんシカゴ・ガイドでは、シカゴが「 Sweet Home Chicago 」と呼ばれるようになったのはこの歌のせいだ、と書いてあったらしいのですが、氏も書いておられるとおり、フツー Windy City ってのは聞いたことあるけど、「 Sweet Home Chicago 」なんてホントに呼ばれてるのかねえ?

それって Georgia を Rainy Georgia って言うよなもん⋯ちょっとちゃうか?
ま、詳しくは有吉日記を読んでいただきたいですが、いちおーこの曲の完成形としての始祖としちゃあ Robert Johnson っちゅうことにしとこ、っちゅうブルース界の共通認識みたいなもんがあると思うんですが(もっとも、そのルーツを辿れば Kokomo Arnold の Old Original Kokomo Blues っちゅう原典まで遡るのでございますが)、あまりにも多くのブルースマンが歌っておりますから、そのヴァリエーションも実に豊富でございます。

なかには、うぇ〜っ、聴かなきゃ良かった、っちゅうのも無いワケではございませんが、けっこー色んな個性による様々な Sweet Home Chicago があって、いち度なぞ、CD 一枚ぜ〜んぶ色んな Sweet Home Chicago、っちゅうコンピレーション作って焼いちゃおか?なんて思ったこともありましたねえ。
ま、あまりにもバカバカしいのでヤメちゃいましたが。

ワタクシ個人といたしましては、やはり Magic Sam のが「ベスト」なんですが、ちょっと変化球、って感じなのがこの Junior Parker 版でございます。

バックの音の「粗さ」とかを聴くと、やはり時代は感じますが、でも彼のヴォーカルに意識を集中すると、いやもう、実に「滑らかで」洗練された、かなり「練れた」世界ですよねえ。
ま、ひとによっちゃあ「商品性」が前に出ててヤだ、って言うムキもあるようですが、ワタクシはさほど嫌いではありません。
1958 年の録音で、Sometimes とのカップリングで DUKE 301 としてリリースされたものですが、翌 1959 年の Five Long Years の直前の作品でございます。

あ、レーベルはちと忘れちゃいましたが、確か片面がこの Junior Parker の Sweet Home Chicago で、カップリングが Big Mama Thornton の Hound Dog ってえシングルもあったハズ⋯ たぶん Peacock だと思うんですけどね。
あ、いちおうオリジナルの Hound Dog( by Big Mama Thornton )のシングルはカップリングが They Call Me Big Mama で当然、両面とも彼女。

なんでニンゲンには味覚ってのがあるんだろ?
公園の内濠にいるオシドリに、 スーパーで「自分用に」買ってきた食パン、 八枚切りのうち二枚をちぎってあげたんですが、 フとオシドリにとっては「これ喰える!」ってのさえ判ればいいんだろうな、 なんて思っちゃった。
ワシらニンゲンときたら、 あそこのラーメンはマズい!だの、 こんなもん喰えるか〜!なんてちゃぶ台ひっくり返したりするでしょ?
喰ってもダイジョブなもん、 喰えるけどなんのタシにもならんもん、 あまり喰わないほうがいいもん、 喰ったらエラい目に遭うもん、 喰うと死ぬもん、 ってのさえ判別できたらいいワケじゃん!
なのに「くちに合わない」だの「これでカネとるのかっ!」なんて暴れちゃったりするのって、 なまじ「味覚」なんてものがあるせいでしょ。

生存に必要なエネルギーやらカラダを作る、 あるいは維持するのに必要な要素さえ補給できたら充分なハズなのに、 たかが同じ白米を「ご飯」にする炊飯器ごときまで能書きタレて、 これで炊いたコメは絶対ウマい!なんてぬかしくさるのも「味覚」てなもんがあるおかげ。

もしも全人類から「美味しい・不味い」という概念が消え去ってしまったら、 高級レストランってのは、 使ってる什器が豪華だったり、 室内調度が国宝級だったり、 はたまた眺望絶佳やら、全スタッフが「超」のつくよな美男美女ばかり、 てなことで差別化するんでしょうねえ。

農業に与える影響も大きいよ、 きっと。
手をかけて育てて差別化して高く売ろう、 なんて方向がナンセンスになっちゃいますから!
でもまあ、 ニンゲンに味覚ってもんがあるおかげで「稼げてる」ヒトたちもいるよね。そうゆうヒトたちのなかでも「いっちゃん、 どもならん」のがグルメ評論家みたいな連中かも。
ちょっとでも冷静に周囲を観察する眼力があって、 そこで気づいたことを考察できる知能がありさえすれば、 ヒトの味覚は千差万別であって、 絶対の「美味」などとゆうものはこの地上に存在しないって理解できるハズなんですけどねえ。

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