Somebody Else Clarence "Gatemouth" Brown 2005-03-19 SAT. | おやおや?やたらソフト&スムースなギターで始まるのね?と思うと、やはりそれはこのレコーディングに参加してる Amos 君への歓迎(?)の姿勢なのかしらね。 1995 年 5 月 8 日から18 日、そして 8 月 19 日から 22 日にかけて Louisiana 州 Maurice の Dockside Studios でレコーディングされたアルバム Long Way Home は、この Amos Garrett(アコースティック・セットを除く全曲に参加!)以外にもライ・クーダー、サニー・ランドレス、マリア・マルダー、ジム・ケルトナー、エリック・クラプトン、レオン・ラッセルなどが参加しておる(マス・セールス対策か?)のでございますが、Amos センセの「スライドみたいな」あのソロ・ワークが楽しめるってのは、なんと言ってもこの曲なんですよねー。 でございますから、しょっぱなのギターがやや Amos チック(?)になってるのは例によってクソじじ⋯うっぷす、Gatemouth 翁の茶目っ気の発露なのではありますまいか? オープニングのギターではモノローグっぽい「落ち着いた」イントロが Gatemouth によってプレゼンテイトされ、その後ろに滑り込んでくる Amos のまるでスティール・ギターで弾いているかのよな「ジョワ〜」っちゅうコード・ワークにも、思わず口元がユルみますねえ(え?ユルんでるのは普段からだ?放っといてくれ)。 歌が始まってからもカウンターは Gatemouth 自身が入れて、Amos センセはどう聴いてもハワイアン・スティールみたいに聞こえるポルタメントのコード・ワークを利かせ続けておられます。 そしてギター・ソロ。 Gatemouth は例によって抑制の効いたプレイで彼ならではの世界を演出しておりますねえ。もはやありとあらゆる悪知恵⋯もとい、スキルを自家薬籠中のものとしてる彼にしてみりゃ、いま出してる音の背後にある「蓄積」ってのが、一見すると軽〜く弾いてるよなフレーズの背後に実は犇めいておる、っちゅー「余裕」がこの独特の不思議な充足感をもたらすんでしょうかねえ? もちろん「これ」がお好きでない方もおられるでしょうが、あたしゃあ、やはりこの世界が大好きでございますからヤメられませ〜ん。 ピアノを挟んで始まる Amos Garrett のギター・ソロは、これまた「いかにも」な Amos 節でございまして、まさに期待どおり⋯っつうか、たぶんやり過ぎるとじーさんがヘソ曲げそだから、こんくらいにしとこか?てなふーにも聞こえますが、そんな邪推をするってのも、ワタクシが「うつくしーココロ」なんてものをどっかに落として来ちまったせーかもしれませんて。 にしても、いいですねえ。この滑らかさ。あまり「叫ぶ」タイプじゃあありませんが、ギターをして語らせたら、やはり屈指の手練でございますよ。ま、あえて「難」を申せば「オモシロ過ぎる」ってことかな。 てなワケで、どしても最初は手クセの悪さ(?)ではいい勝負のこの二人のギターに意識が集中しがちなのですが、冷静になって気を配りますってえと、その二人のバックでコロコロと、まるで漆黒の夜空に明るくても三等星までの小さな星たちをちりばめておるよな George Bitzer のピアノ(どーやらビージーズとかホール&オーツ、バーバラ・ストライザンドなんかのレコーディングや曲作りにも参加しておられる「有名人」であらせられるごよーす⋯ あ、ついでに残りのパースネルも言っとこ。ベースが Willie Weeks、ドラムが Jim Keltner ね。この二人の仕事についちゃ、ま、必要にして充分なレヴェル、ってヤツでしょね。欲を言えば、ここはウッド・ベース投入してたらもっと活きたと思うんだけど。ドラムに関しては途中からのスネアの過剰な残響付加処理にちとギモン⋯ってそれはケルトナーじゃなく、ミキサーの Jay Newland のセキニンだな)、これがなかなか「いい仕事」しておりますよ。 前半でのプレイなんて「優しさ」なんてえコトバがピッタシ来るよなフラグメンツをさりげなく配してくあたり、これまた前二者に負けず劣らずのクセ者かもしれませんねえ。ピアノ・ソロではかえって精彩を欠いておるよな気もいたしますが、ここら、ミョーに親近感が持てます(?)。 弘前でやってるブルース・セッションでも、ときどきピアノにまわることがあるんですが、そんな時、ひとのバックでピアノを「効果的」に散らしてる間はけっこうプレゼンスあるのに、そこでソロまわされちゃうと、たいしたことない、ってのがザラでございまして(え?てめえのヘタなピアノと一緒にすんじゃねえ?⋯ ごもっとも)、ソロとなると、バッキングとはまったくちゃうもんが必要なようでございます。 二度目のギター・ソロでは Gatemouth もかなり走り始めますが、ま、それが最初の抑え気味のソロよりいいか?ってえとビミョーなとこでしょ。 ワタクシなんぞは彼のギターなら無条件、ってクチですから、こんなのライヴで目の前にしたら、「いいぞ〜!いけーっ!」てなもんでしょうが、さてヨいコのみなさんにとってはいかがなものか⋯ ま、熱けりゃいい、ってもんじゃないな、なんて言われそ。 セッションばっかだと凝った構造の曲ができないってのにヒジョ〜にフラストレーションが・・・ そこまで綿密に詰めなきゃって曲じゃなくても変則コードの曲はほとんど出来ないからな・・・ そうね、John Littlejohn の Kiddio、あれなんてやはり元ネタを知ってるかどうかで決まりますからねえ。 それから、 Freddie King の Low Down Loddi もそうだな。 で、そうゆうのとは別に「おちゃらけ」で変なことやりたい、ってのもあるね。 Eddie Taylor の Bad Boy を途中から同じく Eddie Taylor の Seems Like Million Year に変えても誰ひとり気付かないよな環境じゃ、 なに仕掛けたってち〜っとも面白くないんですけどね。 ここ、 笑うとこなんだけどな〜っちゅう・・・ あ、 I Put A Spell On You なんて、それカヴァーした「白人」ロック・バンドがみんなシーリアスに演奏しちゃってるから「そんなもんだ」思ってるヤツ多いけど、Screamin’ Jay Hawkins のオリジナルが(ヤツのことだから)そんなマジメに歌ってるワケないじゃん! なのにニーナ・シモンの「くっそマジメな」カヴァーなんて「最悪」! この曲の根本が判ってない!いや曲解してる! それとは別に「ブルース界隈」じゃ、ワタクシ得意の独断と偏見ですけどね、 どうもシカゴ・シカゴって騒いでるヤツほど「おちゃらけ」を解さないって感じするな。 黒人文化には大きなウェイトを占めてると思うんだけど。 |
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No.1061