One Knight Stands

Masayoshi Yamazaki


2005-03-20 SUN.


One Night Stand と言えば「ご当地では一夜だけ」のライヴをしつつ⋯ってな感じなのでしょうが、そ、これは "Night" じゃなく "Knight" なんですねえ。
例の「探偵ナイト・スクープ」ってのも実は Night Scoopじゃなくって、こっちの Knight Scoop なんでございますが、まあ、そんなことはどーでもいいとして、本来の One Night Stand ではなく、 One Knight Stands としたのは「単騎」で迎え撃つ(?)てな意気込みの現れでしょうか?

そ、前回の One Knight Stands Tour 同様に今回も山崎まさよしはソロでのステージを用意して全国ツアーにとりかかったのでした。
3 月19日は秋田市の翌日でしたが、青森の後は一日の休みがあって 21日が北海道の函館、というスケジュールです。今日は海を渡ってるとこかな?

シャンプーした後、そのまま寝ちゃったようなユニークな髪型(?)で登場して、それだけで笑いをとっていましたが、そのへんも彼ならではのプレゼンスのなせるところかもしれません。
最初の曲ではハープとギターでしたが、次いでいきなり AKG C-609 コンタクト・マイクを仕込んだ Pandeiro(ブラジルの打楽器で、遠目にはタンバリンに見える。一番の違いは、リムに近い部分を叩くと、「どっからこんな低音がっ?」と驚くよな低い音が出ることでしょか。そして中央部を叩くとスネアやティンパレスのような音が出るのですが、いずれにしてもリムに取り付けられた小さなシンバルのカップルが、叩かれた振動で、一緒にシズル音を出すことになります。山崎まさよしはこれを実に巧みに扱って、ヘタなドラム・セット顔負けのリズムを「これ」一個で産み出す)を取り上げると、左手で持ち、右手では強烈なドライヴ感に溢れたグルーヴを叩き出します。それをフット操作でサンプリング・デヴァイスに取り込み、次には Pandeiro からギターに持ち替えて、そのパワフルなリズムに合わせてリフを入れて行きます。そして、それもまた併せて取り込んで、それをバッキング・トラックとして、今度は初めて山崎まさよしのギターが疾走を開始する⋯

確か、前回の One Knight Stands Tour では、カホーン( Cajon。あるいはカホンとも言う。かっての奴隷貿易時代に南アメリカに連れて来られた黒人奴隷たちには、通信手段となる可能性がある=反乱につながる畏れがある、と言うことから、一切の太鼓の所有・使用が禁じられました。それでも彼らは貨物を梱包、あるいは運搬するための木箱を「太鼓」の代用として使ったのです。それが奴隷解放後も「楽器」として継承され、さらには内部に響き線─スネアで言う「響線」とは違うようです─を仕込むようになったり、また音響的効果から、より緻密な組み立てがなされるようになって、中南米各地の民族音楽に多く採用されるようになっています)を椅子がわりにして腰掛けながら叩いて演奏し、それもまたサンプリングして、ということをしていましたが、今回はパンディーロだけのようです。

ステージ上には山崎まさよしただ一人でありながら、PA からは、これも彼自身が叩き出した強烈なリズムが鳴り響き、その上で自由自在に彼の音楽が展開されて行きます。Gibson J-45 は彼の手で時にはベースとなり、時にはキックとなってボトムを押さえると同時に、饒舌に語り続け、瞬時にして彼の世界がそこには現出するのでした。

山崎まさよしはおよそ生ギターいっぽん弾き語り、というスタイルに多く見られた「自惚れ」やら「安直さ」といったものを一切、感じさせない、センスもスキルもレヴェルも、そしてプレゼンスにおいてさえも「極めて突出した」才能として音楽を「生きている」ように思えます。
別に彼がブルースをやるからと言って認めているのではなく、彼は彼自身として「素晴らしい」。
そのギター・ワークには特に注目して聴いていましたが、もう充分にギターを「ものにして」いますね。
あ、どんなヘボでも、そいつが必要と感じるレヴェルでモノにすることは出来るでしょが、山崎まさよしの場合には、そのレヴェルが「スゴい」んですよ。
しかも某有名ギタリストのごとく「それ自体が目的」化していない。
彼の音楽を実現するために必要なスキルなりテクニックというものがひとつの必然としてそこには凝集されているのではないでしょうか?

とかくギターの話になると、どんなリードをとったか、みたいなとこに話題が言ってしまいがちですが(ま、それが「初心者」にも判る目安ではあるのですが)、そんな表面的なところではなく、ひとつの曲をプレゼンテーションする際に、いかに効果的に働いているか?という位相も音楽には存在するということです。
なんにしても現在も進行形の、さらに輝きを増して行きそうな彼のギター、そして彼の音楽は、やはり「いま」を彼なりの心象で反映していく、つまり「その時代を、その時でなければ存在しえない表現で捉えてゆく」ものがロックだとすれば、まさに突出したロックである、と言えるのかもしれません。

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