Killing Floor

Hubert Sumlin


2005-04-14 THU.


いまを去ることおよそ 300 年前、1706 年 1 月17日に Boston(もちろん当時のボストンは 1773 年の「ボストン茶会」事件も起こっていないし、続く 1775 年に勃発した「アメリカ独立戦争」にもほど遠い時期ですから、当然、イギリスの植民地でした)の石鹸製造業者 Josiah Franklin と妻 Abiah Folger(妻でありながらナゼ姓が違うのか?と言うと「驚くべきことに」この女性は Josiah の「二番目の」妻であった、と!)の間に生まれた男子( Josiah にとっては 17 人の子供たちの中で 10 番目にあたる)が Benjamin と名付けられました。
父 Josiah は彼を聖職者とすべく送り出していますが、それを多数の子供たちを学校に通わせることの経済的負担から逃れるためだ、などと見る資料もあるようですが、そこらは神のみぞ知る、でございましょう。

しかし Benjamin はそっちよりも兄の James が営んでいた印刷業の手伝いを好み、製本作業を助けていたといいます。そして兄は新聞を始め、それは旧来の二紙が本国からの記事の配信のみだったのに対し、現地取材の記事を載せていたため人気がでます。
Benjamin はその新聞に自分も執筆したかったのですが、兄は許さず、そこで「架空の」未亡人になりすまし、記事を「投稿」し始めました。
この記事はたちまち注目を集め未亡人探しが始まります。
16 通の投稿のあと、彼は「実は⋯」と真実を告白したのでした。
後にこの兄 James はちょっとしたことで投獄され、釈放後は彼をあからさまに敵対視するようになってゆきます。その迫害から逃れるため彼はついに Philadelphia にまで流れてゆき、そこで印刷業者となりました。
1729 年には新聞社を買収、これが the Pennsylvania Gazette です。

事業に手がかからなくなった 1740 年代、彼の興味は発明や研究に向かい、あの Franklin ストーヴを 1743 年に完成させ、さらに 1752 年にはあの有名な実験、雷の中に凧を上げて、いわゆる「ライデンビン」に電気を導入して「雷が電気であること」を証明しています。
・・・と、一体これはナニ?ここ科学偉人伝日記かよ?なんて言われそうですが、この Benjamin Franklin の行った事跡こそ、まさに LIGHTNING in a BOTTLE なのでございますよ。

ということで(なにがじゃ〜!と叱られそだけど)本題でございます。ウルフの Dust My Broom でアヤしいソリッド・ボディのギターを弾く Hubert Sumlin 師・・・あああっ!あれは確かイタリア EKO の表裏ツートーン・カラーで出来損ないのジャガーみたいなシェイプのギターじゃないかっ?
師のギターといたしましては、リヴァース・ボディの Firebird、Les Paul STD(サンバーストのと、ゴールド・トップの)、そして Studio( Lightning in a Bottle で使用してるのがこれ。ドット・ポジション・マークでセル巻き無しネックに、Smart Wood というアーチド・トップながらこれもセル巻き無しのウッディ・フィニッシュのモデル)とチェリー・レッドの Spl、Les Paul Custom、ボディはゴールド・トップの STD なのにネックだけ CUSTOM っぽいアヤしいギター、さらにゴールド・トップの P.R.S、ストラトだとサンバースト(ローズ・ネック)、白(メイプル・ネックの一本と、ずたぼろボディにローズ・ネックのもの、さらに黒っぽいピックガードのローズウッド・ネックのも)、赤( Hank Marvin モデルみたいなゴールド・パーツ)、ブラック・ボディにベッコウのピックガードにメイプルネックの Buddy Guy モデルみたいなの、ブラック・ボディ(だと思うんだけど、光線の加減でサンバーストにも・・・)に白ピックガードでメイプル・ネックの各ストラト。 また、一見ストラトだけど ESP のロゴが入ったブルー・パープルにローズ・ネックのギター。テレキャスターは、シングル・コイルのシン・ライン(ローズ・ネック)、ブロンズ・ホワイトにメイプル・ネック、さらにナチュラルにメイプル・ネック&ブラック・ピックガードのもの。そしてリッケンバッカーに、メーカー不詳(ヘッドが写ってなくて、グレッチっぽいシングル・カッタウェイ)のセミアコのギターも。
他に Gibson の ES-345 サンバーストなんてのも知られておりますが、このイタリア EKO は初めて見ました。表面側がゴールドのラメ入りでえらいド派手なギターでしたよ(あ、もちここではモノクロ・フィルムですからゴールドとは限らんのですが)。

Killing Floor ではあのお馴染みのリフを歯切れ良く弾き出していますが、ここで使用しているのは、上でも述べた Gibson Les Paul Studio です。
さすがに Hubert Sumlin 師のギターは実にいいのですが、無理な願いと知りつつも言わせていただければ、ここでヴォーカルが Tail Dragger だったらなあ⋯と。
ま、善男善女がタキシードやらローブ・デコルテで着飾っておみえになるよなここ Radio City では、いかなブルースとて「ショー」として成立させねばならないよーで、「ショー」向きとはあまり思えない某前科者など対象外だったのでしょうか?

そう言えば、某国営放送でときたま流すアメリカの映画人インタビューでマーティン・スコセッシが入ってたそうですが、それを見た友人の話ではブルースのことなんぞいっこも出とりゃせんかった、だそうでございます。
ま、あれはねえ、映画産業を志す若者たちに対する特別講義みたいなもんですからのう。

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