「知ってる」と
「教える」の間


2002-07-31
ギター、どしたら弾けるようになりますか?って質問ほど困ることはありません(ま、なかにゃあ、そうやって尋くことでゴマ摺ってるってケースもありそうですが)。
そりゃ、自分は、どうやら、こんな風なコトの積み重ねでここまで来たんではないか?ってのは判ってても、それがその相手にとっても有効な方法だ、という保証はどこにも無いわけですからね。
というよりも、こんな変な道筋でギターと関わって来てるヤツなんて、他にいるワケないよな〜、と、ある意味、自分を特別視する傾向がそう思わせているのかもしれませんが。

もし、相手の個性がどうであろうとも、自分の覚えて来たやりかたを唯一無二のものとして強制したら、案外、上達は早かったりするのかもしれません。
しかし、それでは自分の萎縮したコピーを作るだけではないでしょうか?
むしろ、その人が本来もっている「最適な学習パターン」を禁じてしまうワケですから、ある意味、師匠を超える事は難しい「いびつな」成長しか出来なくなってしまうような気がします。
つまり立ち上がりこそ早いが「大器晩成」のちょうど逆、最初はめざましい進歩を見せるかもしれないけど、やがて頭打ち、というパターンです。

ギターを弾く、というコトは確かにワザの部分を必要とします。
そしてワザの習得のため、と称してコピーのウデを競ううち、いつしか価値の力点がズレてしまい、いかに完璧なコピーをするか、がギタリストのレヴェルを計る基準だ、と言うコトになってしまうのがイッパイいるんだよね〜。
さて、「素晴らしい歌手」とはカラオケで本物そっくりに歌えるヒトのコトですか?
違いますよね。それはモノマネのウマいヒトであって、「いい歌手」ではありません。
でも、ギター業界ではいまだに、「あいつ○○のXXが弾けるってよ〜」「すげ〜」なんて不毛な会話が続いてるんですからヤになります。

よって今日の「お言葉」・・・
  『模倣で始まるギタリストは、模倣で終わる』

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