I'm Gonna Murder My Baby

Pat Hare


2005-04-27 WED.


こんなことを申してはなんですが、ブルースマンで、人を殺した経歴を持っているのは「珍しいこと」ではございません。
なんたって、Les Coles の Tokyo Blues じゃ、Blues Jokes のとこで、「ブルースマンの条件」として「 Memphis で人を殺してること」なんて一項があるくらいですからね。(ブルースマンじゃない= Memphis で人を撃ったけど撃たれた相手が死ななかった、ちゅうのまでありましたっけ)
古いとこじゃ Barbecue Bob のお兄さん Charlie Lincoln も確か殺人罪で収監された獄中で死亡してるハズ。
そして最近じゃ Tail Dragger でしょか。
そして死にはしなかったものの、実際に銃で Brewer Phillips を撃っちまった Hound Dog Taylor⋯
まっこと銃が身近にあるアメリカっちゅう銃の文化(?)なりゃこそ、でしょうねえ。

そんな中でひときわ神話化(?)されている Pat Hare のケースですが、なぜにそれほどセンセーショナルに彩られているのか?と言いますと、それにはおそらく、あまりにも「出来過ぎた」この曲のタイトルと、その後の事実の「符合」が「ロマンチスト」のみなさまの想像力を刺激したからではないでしょか?

1930 年12月29日、Arkansas州 Cherry Valley で Auburn Hare として生まれているようですが、家族構成、父母の氏名などは判明していません。あるいは殺人犯として収監された、という経歴に鑑みプライヴァシーに配慮してあえて「伏せた」結果かも。

SUN / PLP-312 Memphis Agrressive Guitar に収録された(他に Bonus Pay も収録)この I'm Gonna Murder My Baby は 1954 年 5 月14日、Sam Phillips の Sun に吹込まれたもので、
どうやらアメリカ通販大手のシアーズ・ローバック社に OEM で提供されたケロッグのシリアルとかのパッケージ大の( cereal-box-sized、ってのはたぶんそーゆういう意味だと思うんですが、違ってたらゴメン)アンプ─つまりむっちゃチープなアンプですねえ。
ギターにしてもアンプにしても「シアーズの」なんて言ったらそりゃもうロー・エンド、ま、ある意味いっちゃんブルージィと言えないこともない(?)レインジでございまして、もともとあましパワーもありませんからたいていツマミはフル 10 でございましょう。
ほたら、もうドたっぷりのディストーションになるのはそらもうとーぜんっちゅうものでございます。
ついでながらこの同じ日に Sun で録音された James Cotton のバックでの Pat Hare も(僅かに「柔らかい」音になってるよな気もしますが)同じよに「砕けた」音してますねえ。

さて、その Auburn Hare というリッパ(過ぎる?)名前がどうして Pat(ふつーは Patricの愛称だよねえ?)になったのでしょうか?
どーもそこらへんのことがいっこも判りません。pat という動詞もあってポンポンと軽く叩くって意味らしいっす(?)
モチロン判らないと言えば、彼が Sun への吹き込みで名を残すまでの 20 年以上の「途中経過」も不明でございます。
いきなり Sun での James Cotton の最初のセッションにギタリストとして登場するのですが、はたしてそれまではどんな生活をしておったのでしょうか?

ま、一説ではハイ・ティーンのころに河の対岸の West Memphis に渡ってきたのでは?てなことを言われておりますが、さあどうだか。
それはともかく、Sun 周辺での仕事から離れ 1950 年代の晩期には北上し Chicago を目指しています。
そして Chicago ではみなさまご存知のよにマディのバンドに加わり 1960 年の Newport でのライヴにもその一員として参加してるようですねえ。
ただし、彼の酒癖が原因でバンドを追い出された、という話もあって 1962 年には Mojo Bufford*( Buford?)とともに活動をするようになったと言うのですが⋯

Pat Hare の酒癖ですが、シラフの彼は引っ込み思案で内向的、あまりハッキリと意見も言わないようなタイプだったらしいのですが、酒が入るとだいぶ「変わった」ようです。
1948 年から彼が加わっていたバンドでありながら、呑みつぶれて穴を空けたステージで代役を務めたことで頭角を現したと言えるのが Hubert Sumlin 師でございますから、縁は異なもの、でございますね。

1962 年のある日(ちと日付などは特定出来ませんでした。つーか、あまり特定する気も無かったんですが)、警察に通報があり、とある家で、今で言うドメスティック・ヴァイオレンスの疑いがある、ということでさっそく現場に急行し、その家に踏み込んだところ、そこにはひとりのオトコが銃を手にしたまま立っており、さらには射殺されたらしい女性が横たわっていたのでした。しかも急に踏み込まれたオトコは逆上し、なんと警官のひとりに向けて発砲し、結局この警官も死亡させてしまったのです。
そのオトコこそ、Pat こと Auburn Hare でした。

資料によって多少のコンランはありますが 1963 年( 1964 年としているものも)には終身刑が宣告され、それ以来、1980 年 9 月26日に獄中でガンで死亡するまで Minnesota 州 St. Paul の監獄にその人生は閉じ込められてしまったのです。

もちろん、これが吹込まれた 1954 年の時点で、彼が自らのそのような未来を見通していた、ということはないでしょう。
言わば偶然の符合なのでしょうが、それを因縁づけて捉えて面白がるキモチも、まあ判ります。判りますが、あんまりそゆことばっか追っかけてるとヘンな「運命論者」になっちゃうんじゃないかな。

ま、本人が良けりゃあ別にいいんですがね

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