Big Town Playboy

Eddie Taylor


2005-05-19 THU.


これはもう Eddie Taylor 師の代表曲のひとつでございますが、ここで採り上げておりますのはそのオリジナルではなく、はるかスエーデンの地で Big Walter Horton とともにおこなった放送用のライヴ(?)に掬い上げられておる 1976 年の演奏でございます。
このときのステージの写真があちこちのサイト(たしか鮎川誠のとこでも見られたハズ)にアップされとりますから、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。

その写真で見る限り、後方でプレシジョンらしきベースを弾いておるのは白人ですから、おそらく現地スエーデンのミュージシャンでしょうか?
それからいくと、ハープ以外の他のパート(ドラムは当然として、ピアノも聞こえるよな気がすんですが、さだかではございません)もすべてそうかもしれません。

「天使」の気まぐれ(?)で、ある日、手元に降って湧いたように出現した、このスエーデンでのライヴの音源、途中でいかにも FM らしき雑音も入るとこを見ますってえと、おそらくエア・チェックしたものではないか、と思うのでございますが、なんせ相手は天使ですから尋ねようもございません。

最初は Big Walter Horton のハープと Eddie Taylor のギターの二人だけの演奏が入っておるのですが、さすが Eddie Taylor、実にステディなベース・ワークが「揺るぎない」リズムを作り出し、ホントに安心できる世界を作り上げておりますねえ。
そしてこの音源には Big Walter Horton の Trouble in Mind も入っておるのですが、実はそこでは Eddie Taylor のギターのチューニングがズレておりまして、やや「ツラい」もので、それを採り上げるのは見送らせていただきました。

さて、この Big Town Playboy、なかなかいいテクスチュアで滑り出すのでございますが、ただザンネンなことに途中でフェイド・アウトしてってしまうのですよ。
でも、それでも Big Town Playboy ですからねえ。やはり、この曲が始まると嬉しくなっちゃいます。

ず〜っとこの日記をお読みいただいている S さんから「いつも写真には人間が写っていませんがどうしてですか?」という質問をいただきました。
なるほど、言われてみれば、殆どの画像には人が入っておりませんねえ(あ、でも公園のボートに乗ってる人や、奈良美智展の光景などじゃちゃんと出演者もいるんですけどね)。

S さんはその理由を四つほど推理されておられて、その四つ目が「実際に人がいないから」としておられて、いやあ、それを見たときはアっと思いましたね。
首都圏じゃ公共交通機関が発達してて、それを利用する人が圧倒的に多いですから、当然「歩行者」ってのがいっぱい往来してますよね?
ですから渋谷のスクランブル交差点なんて、ひと信号の間にも、渡ろうとする人の波がどっちゃり溜っちゃいます。
ところが弘前は(ってか、いまはどこの地方都市でも)クルマが無いと不便でしょうがない、っちゅーアメリカとはまた違った位相でのモータライゼーションの波が、もともと貧弱だった公共交通機関のさらなる衰退を招き、「廃線」の憂き目をみる・・・だからよけークルマ無いと買い物にも困るし通院も出来ん、っちゅう悪循環で、首都圏とはまったく違う交通状況ってのが存在するワケです。
したがって街中でも通るのはクルマばっかりで、歩いてる人は絶滅しかかっているんですねえ。
唯一、旧来の繁華街、中土手町には歩行者の姿が絶えないのですが、そこから離れると、例えば 4 月29日の日記で紹介した仲町みたいに、滅多に人影を見ない、なんて街筋もあるワケです。
対象を際立たせるために、ちょとそのイメージにそぐわない(って、それはワタクシの主観に過ぎないのでございますがね)通行人がフレーム・アウトしてくれるまで「待つ」という場合もありますが、考えてみると、そーするまでもなく「もともと誰もいない」シーンも多いんですよねー。

ただ、そのぶんクルマはけっこー多いですよ。
ですからジャマなクルマが行ってしまうのを待つ、ってのはしょっちゅうです。
しかしなあ、こんなに人がいない街ってのもなんだか・・・

とゆーワケで、今日は少しは人のいるとこを。
これで無人の街ではないってのが証明され・・・たか?



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