Diva

2002-08-04
少し前にそまさんの Electric Guitar Museum の bbs で「Diva」(「歌姫」なんていう邦訳が、ちょっとイヤなんですが、)が話題になっていましたが、みなさん、Diva というと、誰を連想するんでしょうね?
私の場合は、けっこう前になりますが、偶然テレビで見たワン・フェイ(「王斐」─ひょっとして字、違ってるかも。日本ではフェイ・ウォンの名で知られています)の武道館公演を見て、「あ、これこそが Diva だ!」と思いましたね。初めてその言葉にふさわしい人格に出会ったな、と感じたのです。

さて、では「Diva」とは?
いくら売れていても、あるいは、いくら奇麗であっても、また、いくら人気があったとしても、それだけでは「Diva」にはなれないような気がします。
そこには、その名にふさわしい「気品」とでも言うべきものがあるかどうか?が大きいのではないでしょうか?
そして「人格」という言葉にふさわしいプレゼンス(タダの「存在感」じゃなくてね)。
そして「歌」のみに専心していること。その意味では ボニー・レイットも Diva ではありません。

Divaとは、才能のすべてを、「この世にある、数々の佳き楽曲を、ひとつひとつ心をこめて歌い届ける」事に傾注する資質をさすのではないか、と考えています。
だから作詞・作曲なんて自分でする必要はないし、楽器だって、まわりに、あのひとのためならバックに徹してもいい、と思わせるところが Diva の Diva たる所以でしょう。
なので、自分で弾く必要もないワケですから、その分の才能もすべて歌に集中できる、と。
こうして、自分なりに納得できる「Diva」の条件みたいなのを並べてみると、さて、今の日本で、その名に値するひとっているんでしょうか?
どうも、別なタイプのスターたちはいっぱいいますが、Divaと呼べる資質は見当たらないような気がします。
日本の女性ヴォーカルって「自己陶酔」入ってるひとが多いみたいで、だから採り上げるのも、自分の声質や特長・個性を引き立ててくれる曲ばかりで、ホントにいい曲だからみんなに聴いてもらいたい、っていうんじゃないんですよね。
ま、そうゆうケースは日本だけのことじゃなく、たとえばセリーヌ・ディオンなんて、キャロル・キングの "Natural woman"を歌ってるの聞くと、やはり、曲の持つメッセージを純粋に伝えることよりも、「自分らしさ」にこだわって、結局スケールの小さい「手のこんだ豪華版カラオケ」で終わっています。
ま、セリーヌ・ディオンのファンにはあれでもいいんでしょうが(というか、あれ喜んで聞けるのは彼女の「ファン」だけなんじゃないかな)、もし、これが"Natural Woman"を初めて聴く経験になるんだったら、曲にとっても、聴く人たちにとっても「ご愁傷さま」と言うほかないです。

つまり(以前、ギターのとこでも言ったような気がしますが)Soul や Spirit よりも、歌う Skillを優先させている Singer、持ち前のキャラクターだけで売れている Singer は、「スター」にはなり得ても「Diva」ではない、と思います。
「スター」は輝いてさえいたらいい。単なるラッキーや偶然など、どんな意味ででも。しかし「Diva」は・・・ 真の才能というものをを必要とするのではないでしょうか?
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