Big Chief

Professor Longhair


2005-06-05 SUN.


ここんとこちょいご無沙汰しておりました我らが偉大なる教授を久々に採り上げましょう。
Big Chief / Professor Longhair : 05-06-05_a0011975_12225959.jpg Alligator ALCD 4718 Crawfish Fiesta のライナーによれば、1979年11月のとある週末に、Professor Longhair は彼のバンドを引き連れて New Orleans の Sea-Saint Studios に御降臨あそばして「楽しく」セッションをなされた!ということなのでございますが、さて、Sea-Saint Recording Studio と言えば、メチャメチャ記憶のいい方ならば、拙日記 2003年11月28日*の Earl King Trick Bag などをはじめとする、あの New Orleans Jazz & Herritage Festival 1976 で、一見フェスティヴァルのライヴ?てな作りながら、クレジットでは「正直に」録音スタジオは・・・と記されておった「あの」スタジオなのでございます。

ま、それはともかくといたしまして、やはり教授のピアノ、もの凄〜く楽しそうですね。

もう、彼にとっちゃ口で喋るのと同じ・・・いえいえ、ヒョっとすると、それより何倍も自由自在に「語れる」んじゃないか、ってえこの指のマジック!

ありとあらゆるピアノのクリシェを懐に入れた(なんてえ「和風」の表現もどうかとは思うけど)教授が、まるで「無心に遊ぶ」かのように繰り出してくる、彼ならではの珠玉のフレーズの数々が空間に充満して来る「さま」が、とてもナチュラルでありながら、さすがの「手練」っちゅうもんでございます。

あの口笛も利いてますよね。

でも、フと思ったんですが、バックのブラス・セクション全体と張り合えるほどのプレゼンスを口笛が発揮してるのが面白いです。

やはり、肉体的なものって、「強い」ですよね。

ワタシの場合、そんな肉声的なものに惹かれるからこそ、ジャズじゃなくブルースにのめり込んだのかもしれませんが。

本日、某所で( あ、午後遅く WiFi 使える某フードコートでメールをチェックしてたら)聞こえてきたスーツ姿のオッサン二人の会話で、ひとりが「通(つう)ですねえ!」と言ったのが聞こえました。

うわぁ、ワタクシにしたら「通かどうか」ってイッチバン「ど〜でもいい」し、もしも、ヒトから「通ですねえ」なんて言われたらオシマイだ!と思ってま〜す。

まあ、通と言われて喜ぶのは、雑知識なんぞ詰め込んでモノ識り顔したがってる能書きオヤジじゃん、ちゅう独断と偏見に染まってますからねえ。
逆に、ウンチク垂れのクソおやじには「通ですねえ」とヨイショしとけ、っちゅうのはジョーシキとなってるのも無理ないよね。

実際、「通だねえ」なんてのが実は皮肉だったり「お客さん」に対するヨイショだったりってシーンを何度も見てますよ。
どうもホメるとこが見つからない、てなときに雑知識の断片を「通ですこと」なんて言っとく社交辞令で(言われた本人は悪い気しないし?)それ、真に受けちゃダメでしょ。

いい?ケッキョク「通」ってのは「部外者」ですよ。
いっくら歌舞伎通だとしても、そいつに歌舞伎役者の代役は出来ません。
プロレス通をリングに上げたらソク爆死。いくら的確な評論が出来ても実際に料理させたらロクでもないのが「通」。
どいつも「自分じゃ出来そうもないことをエラそうに語ってるだけ」ですよ。

情報通やら事情通なんてのも「ぜ〜んぶ」部外者です。
それを「ショーバイにしちゃった」のがヒョーロンカ、かな?

かって小林秀雄は「評論家とは」を真摯に塾考し、文学界にあってその存在が為し得ることとは?を真剣に追求していたものですが、きょうびのヒョーロンカのみなさんは単に事情通であるってだけじゃん。
なのに「なんか言える資格がある」ちゅう誤解をしてるよね。

タダの事情通にどう判断すべきか?などと尋くマスコミも悪いんですが、良識ある「誠実な解説者」ならば、それは各自が判断すべきことであって、誘導は出来ない、と言うハズ。
でも、そう訊かれるとたいていは「いい気になって」自説を披瀝しちゃうんだよな・・・

ほんとうに「すべての」内部事情に通じていたら、きわめて複雑なリンケージによって方向性は支配されてるから、そうカンタンに説明など出来るものではない、ってこと理解できてるハズなんですよ。
もっとも、そこで口を濁すと「次からは呼ばれなくなる」んでしょうけど! あはははは〜!

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