Gethsemane II

Thomas Haweis


2005-06-07 TUE.


さて、それでは、その歌詞の内容から、原曲 Dark Was the Night とその発展型と思われる Gethsemane のグループ(この二つは、微妙に言い回しが違っていても、基本的には同じ内容であるため「共通した意訳」としてまとめてあります)と、話題の Dark Was the Night, Cold Was the Ground の、両方に描かれている内容の比較、なんてのをしてみましょ。

とは言え、前にも申しましたとおり、ワタクシはキリスト教の部外者であり、なにかしらカン違いやら誤解で、その教義に反する表現をしてしまっておるやもしれません。
一応それでも、この両者の間にある大きな違いは判っていただけると思いますので、多少「おっかなびっくり」ながらも意訳を強行いたします。

まずは原曲の Dark Was the Night と、細部の表現に多少の差異はあるものの、基本的には同一の主題を歌っている Gethsemane から。

かくも暗き夜に
冷たい地面に横たえられた主よ
その血の汗の滴りは苦悩の中での祈りで流された

『父よ
もし出来ることならば
この苦杯をとり
それがご意志であるならば
御心のままにしてください』

我らは昏き野にありて
主イエス・キリストが
我らのために苦杯をあおるのを見る
ゆっくりと地に臥すイエス・キリストを

我に主の「苦難」を学ばせたまえ
重き十字架を担いて歩むその苦難を
そして我、誘惑に惑わされんとするとき
目覚め、祈ることが出来ますように


これが Gethsemane 及び、その原曲と言われる Dark Was the Night の内容です。

一方、それに対し Dark Was the Night, Cold Was the Ground では

暗闇は夜、地面の冷たさ
主はその地面に横たえられた
そこに埋められたのは
我らの罪を背負ってくださった救世主そのひと
どうしてそのようなことが出来たのでしょう?
我らの魂を救うため?

寒さ厳しき夜に暗黒の墓に入れられ
彼らは石もて封をする
風は静まり
もはや息も静まり
主は独り横たえられた
血を流すその御身体は神の愛の代価

暗闇は我が心
寒きものも我が心
どす黒き我が罪は魂を汚す
神よ我らが罪を、汚れを、病める心をお救いください

地が揺れて光が走り
封じていた石が動き
イエスは再びその墓から甦った
なんという歓びであることか
主よ、救世主よ、その深き愛が我らを解き放ってくださる


と言う内容になっています。
この二つは、そのコード進行でこそ多少の類似は見られますが、なによりも主旋律がまるで、「あまりにも」違うのです。
Gethsemane は、まさに House of Rising Sun そのもの(今回の調査では、18 世紀の原曲 Dark Was the Night そのものを演奏したトラックに辿りつけなかったため、その古謡の旋律も House of Rising Sun そのものなのか?は確認出来ておりません。したがって、ここで「主旋律がゼンゼン違う」としているのは Gethsemane と Dark Was the Night, Cold Was the Ground の比較でのお話)で、ただし歌詞は当然 New Orleans の紅灯街の描写でなぞあるハズもなく、ご覧のように(ま、正確さには疑問が残るものの)主イエス・キリストのゲッセマネの園での受難(マタイ 26/38-39 )を扱っております。
つまり、そこではキリストが埋葬されるまで、が主題であり、我々のために捕えられ刑を受けることとなったことから、信者に覚醒を促すかのような歌詞となっておる⋯ような気がする⋯かな?(かなり弱気)

それに対し、Dark Was the Night, Cold Was the Ground(紛らわしいけど、この「フル・レングス」の題名と、短縮版のように見える Dark Was the Night では、「違う」曲なのだ、ってことを意識しておいてください⋯って、もっと早く言えよな)のほうでは、見ていただければ判ると思いますが、終盤で、イエス・キリストの「復活」が描かれています。
つまり、罪深き民の願いが届いたのか、奇跡が起きて主イエス・キリストは復活した、という「歓び」で曲を締めくくっております。

ところで「ゲッセマネの園」とは?そこでなにがあったのか?等々の疑問をお持ちになられる方も多いと思います。
ワタクシが生半可な知識で解説めいたことをするよりは、国内のキリスト教関係者のサイトで、そこを語っているサイトがかなりございます。
「ゲッセマネの園」という語句で Google などで検索してみてください。
どっちゃり出てまいりますので。

⋯と、ワタクシは宗教的側面から(おそるおそるながら)探りを入れておりますが、さて、江戸川スリムさまはどのへんまで行っておられるものやら。
ワタクシのは、「なんかの足しにでもなればい〜なあ」っちゅー、かなり無責任な彷徨でございますが、氏のことですから、きっちりとツメておられるに違いありません。ね?ねっ?ねっ!
あ、そうそう、今朝も出勤前の忙しい中からひとつ見つけた、ってメールをいただきましたが、そこにあった(発展形の歌詞か?)フレーズに驚きました。

Black Was the Color of My True Love's Hair

という一節は、あの Donovan の曲で「とても良く似たフレーズが出てくる」からなのです。
もちろん、旋律は Donovan 独自のものかもしれませんが、たぶん、古謡などで慣れ親しんでいた表現をそのまま使ってしまったものかもしれません。

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