the Battle of New Orleans

Andrew Jackson


2005-06-09 THU.


Jean-Baptiste Le Moyne de Bienville( 1680,2,23-1767,3,7 植民ルイジアナの役人)によって建立された New Orleans でしたが、1795 年には、スペインによって、アメリカ人が New Orleans の港湾設備を使用することが認められ、物資の移出入管理倉庫も置かれています。
そしてナポレオンによるスペイン征服は、ふたたびこの地区の統治権をフランスにもたらしたのですが、昨日も書いたとおり、そのナポレオンは 1803 年にルイジアナ自体をアメリカに「売って」しまいます。
このようないきさつから、New Orleans には、旧来のネイティヴ・アメリカン、フランス系住民、少数ながらスペイン系住民、そして新しい統治者であるアメリカ人、さらにはハイチ革命からの難民、クレオールと呼ばれる混血の住民、そして世界各地から貿易に関係した業務のために集まってきた多様な文化を持った人々、そのような雑多な文化が出合う街となって行きます。

さて、フランス→スペイン→ふたたびフランス→アメリカと変遷した New Orleans の統治権でしたが、そこにまったく別種の、新たな危機が襲来します。
1812 年にイギリス軍(すでに 1783 年にアメリカはイギリスからの独立を獲得していたのですが、東海岸のルートを失った英国にとっては、この New Orleans が北米大陸への貿易および戦略拠点として、「きわめて魅力的に」写っていたことでしょう。)がこの街を占領しようと攻撃を仕掛けたのですが、後に第 7 代アメリカ合衆国大統領となる Andrew Jackson( 1767 年 3 月15日〜1845 年 6 月 8 日。1829 年には第 7 代アメリカ合衆国大統領となる。それまでの歴代大統領はすべて Virginia plantation 出身の「エリート」ですべて占められていましたが、彼はそれらのエリートの系列ではなく、開拓者の出身でした。ただし、大統領としての評価は「短気で愚か」と揶揄されたことがあるように、National Bank や最高裁を相手に、ときとしてトラブルを引き起すなど、決して高いとは言えないようですが)に率いられた市民軍は、数マイル川下の Chalmette で英国軍を撃破してこれを阻止しています。(一般に「 War of 1812 」と呼ばれることが多いようですが、この 1815 年の戦勝は特に the Battle of New Orleans と呼ばれます)

New Orleans の人口は 1830 年代には二万人を超え、1840 年には 102,000 人に達し、アメリカの大西洋に面した港湾都市の中でも四番目に大きな都市へと発展しました。
1849 年までは Louisiana 州の州都であり、1865 年から 1880 年までの間、ふたたび州都となっていますが、その時期の New Orleans はあの悪名高い「奴隷貿易」の重要拠点となっています。
その一方で、New Orleans は北米において最大の自由な有色人種のコミュニティのあった街でもあり、そのせいか、南北戦争に際しても、戦闘が行われなかった希有の都市となり、それ故に、コロニアル時代の建造物や文化的遺産がそのまま残ってフレンチ・クォーターなど、独自の都市風景を形成することとなりました。

1884 年には「綿花栽培百周年」を記念して博覧会を開催していますが、それに前後する 19 世紀の晩期以降には、いわゆる紅灯街と呼ばれる歓楽街、Storyville が成立した、と言われています。

昨日が「暑い!」だとすると、今日は「蒸してる!」でした。
気温もそこそこ行ってはいますけど、なんたって湿度が高い!
ときには陽も射すものの、全体的には曇り空で、いかにも「梅雨」ってな風情ではございますが、もちろんまだ入梅宣言は出ておりません。
今日は市内でバイク・メッセンジャーみたいなことしてました(?)。
とある企業へ出向いて原稿を受け取り、別な書類をこれまたちゃうとこへ届け・・・
郊外まで行きますが、レーサーじゃやはり気を使いますんで ROCK4400ですね。

レーサー・パンツの上にホワイト・ジーンズをカット・オフしたのをはいて、上は FOXのグレーの Tシャツ、OFF SHOREのシューズに手には Specializedのグラブっていでたちです。
サングラスはいつもの Oakley Mambo Sweep。
いやあ走り出したら意外と気温が高くてすぐ汗ダラ!
私は構わないんですが、汗びっしょりでクライアントに入ってくのはちと気がひけます。
で、あまり飛ばさないよにして、着く前はクール・ダウン出来るスロー・ペースに、とケッコー細心の注意を。

ま、もともと、みなさん私が自転車で来るのは知ってますからあまりビックリはしないんですけどね。
にしても、あまりに汗びっしょりで入ってくのもシツレイでしょ。
これからホントの夏になると、たいていの事業所ではエアコンを使い始めますから、そーなると汗も引きますからいいんですが、モンダイなのはちょうど今頃なんですよねー。
エアコン動かすほどじゃないし、しかも、決まって中は外より温度高いのでございます。

とかなんとかブーたれてますが、自転車で気持ちよく走れるこの街って、ホント恵まれてます。
ちょっと裏通りに入るとあまり交通量もないし。
これで冬の雪さえ無きゃなあ・・・

さて、とめごろおさんとの東京ツアー(?)の日程がまとまりつつあります。
またまた上野の CLASSIC(自転車屋さんです)やら秋葉原の LLAOX 楽器館、お茶の水の楽器店街、そしてこれを欠かしちゃあいけない、蕎麦屋巡りも森下の京金、雷門の並木薮なんてえスポットをちりばめまして「ほっつき歩こう」って趣向でございます。
え?夜?そりゃもう寿家に決まってまんがな!うな重!!

ま、唯一惜しかったのが Little Joe Washington のライヴがその直前で、それには間に合わない、ってこと。う〜んザンネン!

permalink No.1143

Search Form