Things I Used to Do

Bobby Marchan


2005-06-11 SAT.


おおかたの皆様のご想像通り、本日の選曲は New Orleans「つながり」でございます。
にしても Things I Used to Do つったらそりゃ Guitar Slim でしょ。誰?Bobby Marchan って?
⋯と思われたとしても、まあムリはございません。
よーするに、Rockin' Pneumonia and the Boogie Woogie Flu でみなさんご存知の Huey "Piano" Smith & His Clowns のヴォーカリストを務めた「シンガー」でございます。
その彼のナンバーを集めたベスト・アルバム the Very Best of Bobby Marchan : Collectables 6444 には彼にとっての最大のヒットともなった 1960 年、これも New Orleans の Cosimo Matassa* のスタジオで録音されたThere's Something on Your Mind とともに、この(むしろ Guitar Slim で有名な) Things I Used to Do も収録されておるのですが、ここには 2つのヴァージョンが揃っておりまして、ややギターの扱いで少し異なった味わいにはなっておりますが、どちらも、彼独特の「声」を活かした「精密な(なんて表現をヴォーカルに対して使うのもどうか、とは思うんですが)」歌い上げっぷりがなかなか快いのでございます。

* ─ Cosimo Matassa : 1926 年 4 月13日、New Orleans で生まれる。その名前からも想像できるかもしれないが、フレンチ・クォーターで暮らすイタリア系移民の家庭で、多種の音楽に触れて成長する。
特に父はジューク・ボックスのレンタル業者だったようで、そのような環境も大きく作用していたのではないでしょうか。
また、ジューク・ボックスに「供給」する音盤も作ろう、と思い立つのも自然な流れだった、とも言えるでしょう。
1945 年、僅か 18 才で New Orleans の North Rampart Street 838 番地に J&M Recording Studio を開き、以後、数々の歴史的録音を送り出しています。

その一部を紹介すると

Good Rockin' Tonight : Roy Brown: 1947
Mardi Gras in New Orleans : Professor Longhair: 1949
The Fat Man : Fats Domino: 1949
Lawdy Miss Clawdy : Lloyd Price: 1952
Tipitina : Professor Longhair: 1953
Feelin' Sad : Ray Charles: 1953
The Things That I Used to Do : Guitar Slim: 1953
Dust My Blues: Elmore James: 1955
I Hear You Knocking : Smiley Lewis: 1955
Tutti Frutti : Little Richard: 1955
Let's the Good Times Roll : Shirly & Lee: 1956
Over You : Aaron Neville: 1960
There's Something on Your Mind : Bobby Marchan: 1960
Come On By : Earl King: 1960
Shake Your Money Maker : Elmore James: 1961
Mother-In-Law : Ernie K-Doe: 1961
Ya Ya : Lee Dorsey: 1961
Ruler of My Heart : Irma Thomas: 1962
All These Things : Art Neville: 1962
Trick Bag : Earl King: 1962
Big Chief : Professor Longhair: 1964
Barefootin' : Robert Parker: 1966
Cissy Strut : the Meters: 1969

⋯などの作品がそこからは生まれております。

ただし、その所在地は North Rampart Street から 1956 年には Governor Nicholl's Avenue( Governor Nicholl's Street という表記も見られる。Governor Nicholls は、南北戦争で南軍の准将であり、戦闘中に左腕を、次いで別な戦いでは左足を失っている。戦後は弁護士の職に戻り、後に民主党から知事選に出馬し、二度勤めている。本名 Francis Redding Tillou Nicholls )に移転し、さらに 1965 年、Camp Street の Jazz City Studio に移転しています。
2000 年には the Louisiana Blues Hall of Fame の殿堂入りをはたしています。


さて、カンジンの Bobby Marchan ですが、こちらは 1930 年 4 月30日に Ohio 州の Youngstown で生まれています。
よく、少年合唱団などで、「天使のような」美声で注目される子がいたりしますよね?
でも、たいていは変声期を迎えて、汚い(まではいかないとしても、かっての「美声」から考えると「無惨な」声に⋯)胴間声やらガラガラ声になってセンセをガッカリさせる⋯
それでも中にゃあ、その危機(?)を乗り越えて、それなりの美声を保つ場合もあります。
この Bobby Marchan の場合、さほど音高は女性的とも思えないのですが、ま、どことなく女性っぽい声に聞こえないこともありません。
そんなとこを買われたのか、「女役」のシンガーとして「芸」を磨いておった、と言います。
資料によれば、実際に一行に女が交じると、なにかとトラブルのもととなる、っちゅーことから、メディシン・ショーのミュージカル仕立ての場面でも、男なのに「女」として登場し、高い音域で歌う専門の芸人がいたそうですから、まさに Bobby Marchan はそれだったのでしょう。
しばらくは「その道」で稼いでいたようですが 1953 年には彼自身のショー Powder Box Revue を組んで New Orleans の Dew Drop Inn に出演していたのですが、そこでこの街がすっかり気に入った Bobby Marchan は New Orleans を終の住処と定めたもののようです。
そして Club Tijuana で M.C. として働いていたときに Aladdin Records の社長 Eddie Meisner によって見出されました。
1954 年には Cosimo Matassa の J&M でデビュー・シングル Have Mercy を吹込んでいます。
しかし Aladdin ではケッキョクあまり彼をプッシュすることなく手放してしまい、Bobby Marchan は代わって Dot に移り、そこでは Just a Little Ol' Wine をレコーディング。
続いては Ace Records の Johnny Vincent が彼のショー・パッケージ自体を買い取ったのですが、このとき、そのヴォーカルの Bobby Marchan を「女だと思っていた」というエピソードがあったそうです。
それでも 1955 年には Give a Helping Hand を Ace に入れていますが、このときは契約上の問題から Bobby Fields の偽名を使用しています。
1957 年の Chickee Wah Wah でようやく本名に戻り、正式に Huey "Piano" Smith & His Clowns に「リード・ヴォーカリスト」として参加しました。
で、当然、そこで数々のヒットに貢献したワケですが、あの Big Jay McNeely のヒットをリメイクして Fire からリリースされたシングル There's Something on Your Mind が R&B チャートの No.1、Pop チャートでも 31 位にランクされたのを機に(資料によっては、1959 年の早い時期に既に Clowns から抜けていた、としているものもあります)独立しました。その後は多少のヒットもありましたが 1970 年代以降は、また「女」声シンガーとして、あるいはショーの司会者としてあちこちのクラブに出演していた、と言われています。
1999 年12月 5 日、肝臓ガンのため New Orleans で死亡しました。

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