Angels In Harlem

Doctor Clayton


2005-07-04 MON.


前回の Pearl Harbor Blues は、それこそ日本のヒキョーな「真珠湾不意撃ち」のコーフンまだ冷めやらぬ 1942 年 3 月27日の録音でございましたが、本日のこのナンバーは、大戦が終結した翌年、1946 年 2 月22日の録音でございます。
モチロン Bluebird のための Chicago 録音で、手慣れたピアノは John Davis、これまたありがちなギターは Ollie E. Crawford。
他に Alfred Elkins のベースが加わり、まさに絵に描いたよな Bluebird サウンドの仕上がりでございますねえ。

Doctor Clayton、自称「アフリカ生まれ」と吹いていたようですが、信頼すべき情報として、両親は確かに南アフリカから来たこと、しかし実際に彼が生まれたのは Georgia 州であることなどが、Bluebird の記録に残っているようです。
でっかいメガネをかけて、いつも裸足で唄ってたとか、そんなエピソードもあるようですが、先日の Byther Smith じゃないけど、家族(妻とコドモたち)を自宅の火災で失っています。そして、この吹き込みの後、肺結核を発病し、翌 1947 年には死亡してしてしまいました。

I know Harlem can't be heaven
'Cause New York is right down here on earth

But it's headquarters for brown skin angels
From everywhere else in this world


この気の利いた歌詞は彼自身の手になるものらしく、そこら、曲作りの巧さはなかなかのものでございます。
ただ、それも「あの」時代の中でこそ眩い光は放ちましたが、それを乗り越えて、現代にまで到達し得る「名曲」としてプレゼンスを持っているか?となると、やや弱いかな?

ワタクシなぞ、「ロック」ってものを、「その時代にあってこそ輝くもの」と定義しておりまして(ま、だから今のロックは聴いても、かって愛した '70 年代ロックあたりには、もはやなんの未練も無いのでございますが)、その意味では前回の Pearl Harbor Blues もそれに似てるな、なんて感心しております。

土曜日には「ぷ」さんと一緒に十和田湖まで行ってきました。
最近 Photographerとして開眼した(?)彼女はワタクシの(といっても、その半額以上を借りて購入してるんで向こうの所有権のほーが大きいんですが) Degital Camera、Canon Power Shot S1 ISで、本日も奥入瀬渓流の流れや、山頂付近での霧の光景など、今日一日で 100枚ほどのショットをものしておられました。

かってのウジェーヌ・アッジェとベレニス・アボットの如く、写真家とそのプリント作業員として、作品の色調やらコントラストを整えて、そのうちネット上の個展でも?なんて企んでますが、今日はセンセにナイショでそのうちの二枚をチョコっと紹介いたしましょ。



これはスロー・シャッターを使っての移動感を出したもの(らしいっす)奥入瀬渓流沿いの道。



そして渓流の中でセンセの心を捉えたひとつの石でございます。

で、本日のワタクシの作品(?)はこれ。



小坂町の青銅館ってお店の「冷やし稲庭うどん」ざます!
そりゃもう美味しかったですよ。⋯って、やっぱ喰いもんかよ!っちゅうツッコミが。

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