Sleepwalk

Kantarou Uchida


2005-07-05 TUE.


この Sleepwalk って曲ですが、もちろん、「いかなる基準をもってしても」ブルースである、と言うには無理があるナンバーでございます。
ではございますが、かの Freddie Roulette センセを始め、Amos Garrett ちゃん、そしてこの Kantarou Uchida ⋯つまり内田勘太郎など、多くのブルース系ギタリスト(?)もよく採り上げるナンバーなのでございますよ。
ま、だからってブルース日記で採り上げるのはいかがなものか、てなご指摘もございましょうが、なんたって外は雨もよいの薄暗い火曜日、となると、こんな「ほにゃ〜」っとした曲もタマにゃあいいもんでして、しばし現世を忘れて夢幻の境地に⋯
なんて言っておりますが、実はこの Kantarou ヴァージョン、そのタイトルに反して、やや「覚醒方向」に振れた音作りなのよねん。
ワタクシがいっちゃん最初にこの曲に惚れ込むきっかけとなった Hank Marvin 師の the Shadows の演奏や、エイモスちゃんのも、どっちかってえと「聴いてると眠くなる」よな「方向性」てのを秘めておるのでございますが(ま、でも Freddie Roulette はハラハラするから眠気はブっとぶかも?)、ここではまず「寝た子も起こす」よな特徴的なドラムが口火を切って、ハっとさせます。
とは言っても、そのクセのあるパターンも慣れてくると、ミョーな催眠効果を発揮することになるのかもしれませんが。

全体はその一風変わったマーチング・ドラムみたいなスネア・ワークに乗って粛々と進行してゆくのですが、バックのスティール・ギター( by Takashi Ozaki )の上で Kantarou のギターは意外と「弾きまくり」、ここでも、なかなかどうして、そうすんなりとは眠らせてはくれませんねえ。

やがて Keisuke Ota のヴァイオリン、そして前述のラップ・スティールのソロとなったあたりで、かなり眠りの「とば口」までは行きかけるのですが、そこでまたしても Kantarou のハイ・テンションなギターが走りまわり出しますから、ここでまたお目々がパッチリ、てなもんでしょか。

フと気が遠くなりかけてると、なんか雨垂れの音にも聞こえるスネアは(って、たまに減衰のやたら早いシンバルや、ボトムでは控えめながらキックも入ってるよーなんで、ドラマーと言うべきなんですが) Hitoshi Ujinaga。
たしか弘前に来たときには Fender のプレシジョンだったような(⋯あんまし確かじゃありません。勘太郎ばっか見てたもんで)気がしてた Hiroki Kinjou は、ジャケットで見る限り、フル・アコースティックのベース(あ、アップライトじゃないよ。ギターのデカいの)弾いてるようですが、でも、この音、あまりアコースティック臭くないなあ。音の録りかたかなあ?

⋯なんてジャケット背面のメンバーのとこに全部ローマ字で名前が出てたんで、それ真似しちゃいましたが、モチロンみなさま、ちゃんとした漢字のお名前をお持ちでございますから、それも書いとかなきゃね。
ドラムは氏永 仁、ラップ・スティールが尾崎 孝、ヴァイオリン 太田 恵資、ベース 金城 浩樹でございます。
このアルバム、『マイ・メロディ』(トオン・レコード 1001)は「美ら(ちゅら)フクギの林から」なんてゆう、その収録曲を見ていただいても判るとおり、「沖縄」がキーワードとなっています。

でございますから「リゾート・ミュージック(なんじゃそりゃ?)」になりがちな Sleepwalk を「あえて」トゲのあるリズムに乗せて「臭く」演奏してるのかも?なんてのは考え過ぎでしょか。

ところで、このよーに多くのミュージシャン(つーかギタリストですがね)に愛されている Sleepwalk ですが、モチロン原曲はブルースとはまったく「縁」が無さそうなとっから出て来ています。
New York の Brooklyn で、イタリア系の家庭で 1937 年10月24日に生まれた Santo Farina(まだイタリアっぽい名前でしょ?)と 1941 年 4 月30日に生まれた Johnny Farina(もうここらで名前もアメリカナイズされてきてます!)の兄弟は音楽の道に進み、兄の Santo はカントリー系を中心にいろんな音楽を聴いていたようですが、まさにカントリーらしく(?)スティール・ギターに魅せられたもののようでございます。
14 才ですでにバンド(もひとりギターとドラム、っちゅうトリオ)を組み、すぐに作曲もするようになったのだそうで。
またダンス・パーティでの演奏も多かったためか(?)ハワイアンのテクニックにも触れていたようです。
やがて、その作曲に注目されるようになり、1959 年にはこの名曲 Sleep Walk(この曲名ですが、Sleepwalk ではなく、Sleep Walk がオリジナルかもしれません。ただし、けっこう両方が混じっており、判別は困難です)を発表。
そのマスター・テープを、当時、New York とカナダの Manitoba 州 Winnipeg の両方にあったため名付けられた Canadian-American Records にリースしたのですが、これが 1959 年 9 月21日に全米チャートの 1 位を獲得する、という大ヒットとなったのでした。

ところで、あまり知られてはいないようですが、この Sleepwalk には「ちゃんと」歌詞もあるんですねえ。
さいわいなことに(?)ワタクシはまだ聴いたことはございませんが、なかなかに「なに」な歌詞でございますよん。

夢を見るかわり
夢遊病者だよ
君を失ってから
(中略)
毎晩、夢遊病者の徘徊をしてるよ
君が帰ってきてくれたら治るんだけど
そしたらもう徘徊はしないよ

なるほどねえ。失恋の傷みから夜毎、意識も無く徘徊するようになっちまってたのかあ。
てなことを聞いてもあまりピンとは来ませんね。ううむ・・・

どうも自分を「これに関しちゃひとかどのもんだ」と自負してるヤツって、自分と比べ「なにも判ってないな?こいつ」と決めつけた相手に「それは違うぞ」とエラそうに「講釈」タレくさるよね。 

「ほんとうに」その道をきわめるひとは、そんなナイーヴな感想だって、ちゃんと「そう感じたアナタの感性を大事にしてほしい」と受け止めるんだけどねえ。

マディ?好きじゃない、なんて素直に言うと、オマエはまだ本当のブルースが判ってない、とか、オレも前はそうだったけど先輩から教わって開眼した、だの、いずれこの良さが判るようになるよ⋯などなど、マディの良さが判らないのは「未熟だからだ」てなタワゴトで片付けようとする馬鹿オヤジに馬鹿ジジイたち。 

これまでに何度も書いてるけど、ニンゲンは成長し続ける、と思ってるのなら「とんだ」大バカものだ。 
そう!ニンゲンは変化していくよ。 
それが必ず「いい方に」変化して行く思ってる時点でアウト!だよ。アタマ悪すぎ!
イッパイ聴いて、イロイロ読んで、ひとに揉まれて変わってくのがニンゲンです。 
でも、それってよくなるだけ?すり減り鈍化し、錆ついたり腐ったりするのもまたニンゲンだろ?
そのこと「も」理解してるのがホントのオトナ! 

キミもオトナになれば判るよ、なんてほざいてるのはすり減って錆びて腐ったほうに転んだヤツばっかさ。 
何十年長く生きてようがバカはバカ。 カンタンなことでしょ?

むかしのひとはそれ判ってて言ってたんでしょか?バカは死ななきゃ治らない、って?

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