I'm Back Again

Carl Weathersby


2005-07-08 FRI.


またまた Carl Weathersby でございます。
アルバム Hold On のトップをかざる、よくギターが唄っているナンバーなんですが⋯
いやあ、ホント、聴けば聴くほど、Albert King への傾斜が感じられますねえ。しかもそれがけっしてマイナスになっていない。
そうなんですよ、ニホンじゃ「まるごとコピー」したのを「シンパシーの表れだ」なんてうそぶいてるバカがいまだにハバきかしてますが、本当のシンパシーってのは、コピーすることなんかじゃなく、その香り(?)を漂わせる、しかし自分のフレーズ、ってえとこで表現されるんですよね。
いつになったら「音楽界」ではそういう「贋作」が放逐されるのかなあ。

え?永久に無理?
うん、そうかもね。特にこのサルマネ天国ニッポンじゃ・・・

てなことはともかく、ヘンなたとえですが、この Carl Weathersby のギターってのは、時として眩い閃光を放っているように感じさせるところがあって、逆に、その瞬間は歌がやや引っ込んでしまうように思えるほどです。
もちろん、それは「聴いているこちらの意識が、どうしてもギターに引っ張られやすい」せいもあるんですけどね。

おそらくご自分でもハープをやっておられるかただったら、ひいきのハーピストがバッキングつけてる他人のアルバムなんて聴いても、ついつい歌よりハープに耳が行く、てなことあるじゃないでしょか?
ワタクシの場合、Eddie Taylor がバッキングしてるナンバーなんかで、よくありますよ、そゆの。

もっとも、ここでのケースは本人の歌とギターの「比重」ですから、ちょっとちゃいますが。
うん、それにしても聴いていて気持ちがいいギターですね。

蛇足ながら、このバックの Hammond、ウルサいと思わない?

どうやらフツーに「お隣さん」として仲良く暮らしているとなんともないのに、そこに「民族の誇り」やら「〜主義」あるいは「宗教的な違い」はたまた「××族を許すな!」なんてのが持ち込まれると、たちまちにして「憎悪」の応酬となって、相手を「人間とも思わない」仕打ちで痛めつけることが平気になってしまうんですね。

宗教ってものが平安をもたらしている、なんてセリフは、それをみんなが信じている共同体の中では、って意味でしかなくて、対外的には「悪魔に対するのと同じ」扱いになってしまう。
その意味で「宗教は麻薬である」なんていうコトバも当たっているのかも?

価値観の違う集団が地球上にはいくらでも存在するのだ、ということを理解しようとしない、それどころか自分たちの価値観を至上のものとして強引に全地球的に「押し通す」ことを目的とした「ぐろーばらいぜーしょん」なんてタワゴトを信奉して行く以上、そこでは必ず我々が「テロ」と呼ぶ、しかし逆に「彼ら」にしたら、圧倒的な物量と近代技術で武装した最新兵装に対抗するにはこれしかない、という戦術に追い込んでしまったのはアメリカをはじめとする西欧的モデルではなかったか?

もちろん、どのような意味においても、自らの主義主張に注目してもらうために、他人の生命を犠牲にしても構わない、という考えは「病んで」います。
でも、テロにはとことん対抗してゆく!なんて声明をいくら出してみたところで、それは次のテロを誘っているだけでしょ。

我々の側「も」、それを冷静に考えてみる必要があると思うんだけど。

permalink No.1172

Search Form