Telecaster

2002-08-11
Fender 社の Telecaster というギターは創始者、レオ・フェンダーによって、1948年頃にはその最終的なスペックが決定され、'50年のトレード・ショーで一般に公開された。
ということになっています。すでによく知られたエピソードとして、そのモデル名が現在とは異なり「BROADCASTER」だったのが、その名を商標登録していた Gretch 社との関係で「Telecaster」に変更されています。その間、一時期、モデル・ネームの無いものがあって「NOCASTER」と呼ばれているようですが。

この Telecaster は、ボディ加工をきわめてシンプルに割りきって、実にストイックな面構成となっていますが、これは「楽器」としての哲学云々などではなく、コスト面や、加工技術などの制約による製造効率から来たものだと思います。
したがって演奏者への「当たり」はまったく考慮されておらず、ストラトなどに見られる背面のえぐりもありません。
ブリッジ・プレートにしても、強度を確保するために「プレス加工で」立ち上げたフランジなど、ここでも、プレイヤビリティは殆ど考慮されていません。
そのためにブリッジ・カヴァーを、というつもりなのでしょうが、ブリッジ近くでミュートする奏法などが使えなくなってしまいます。

他にも、作る側の都合が優先された部分が目立ち、たとえば、PU セレクターをエンド・ピン側に倒すと、ヴォリューム・ノブと干渉します。
そうでなくても手の大きい(したがって指も太そうな)アメリカ人が文句を言わなかったんでしょうか?
にもかかわらず?テレキャスターの人気が衰える兆しは見えませんよね。
かく言う私にしてからが、ほぼ原形を止めないほどにモディファイされているものの、いまだにテレキャスを時折、最前線に投入しているんですから。

どうやら、Telecaster には独特の存在感があるようなのです。
もしかすると、非常にプリミティヴ(?)なその在りようが異彩を放っているのではないでしょうか。
一般に、ヨーロッパ系の完成された撥弦楽器としての「ギター」が、完全に固着されたネックとボディを持ち、共鳴箱として吟味された空洞に効率良く弦振動を伝達する構造を持つに至った経歴を持つのに対し、Fender 社は(音響的な意味合いでの)空洞が内部に存在しないソリッド・ボディに、別個に作られたネックを無造作にボルト止めし、ナットから先の弦の伏角もあまりとれない(ただし作りやすい)ヘッド形状、弦振動の伝達よりは、構造上の必要から形状を決定したと思われるブリッジ・プレートなど、「電磁的に弦振動を増幅するからいいのだ!」という前提無しには「楽器」とは言えないものを送り出したワケです。

そして、その異形ぶりが最もストレートに見えるのが「Telecaster」ではないか、と思えるのです。
断ち落しのボディ、プレスいっぱつで出来ちゃうブリッジ・ベース・プレート、スイッチやツマミの配置に「人間工学的考察」などゼッタイになされていないメタルのパネル・・・
およそ、伝統的な工芸技術に「背を向けて」、誰でも作れるような(もちろん実際にはそれなりの技術が必要なのは当然ですが)設計。

そして、一筋縄では行かない、あの音です。やはり独特なアタックのクセがあのボディからもたらされるのでしょうか。
Seymour Duncanのハムバッキングを搭載してパワーは倍増した私の Telecaster でも、やはりオリジナルの 2 シングル・コイル時代の音を思い返せば、Stratocaster とはゼッタイに違う「響き」がつきまとうのです。
選べるポジションも少なく、アームも無い、ロッ骨にゴツゴツ当たって痛い、オリジナルの 弦2本づつのブリッジじゃ、ファイン・チューニングなぞ無理だしコントロールも不便。
こんな旧態依然たる、しかし革命的なギター。でも、なぜか魅力があるんですよね。
原種、あるいは野生種の「輝き」とでも言うものを持っているのかもしれません。
この Telecaster と Stratocaster の距離、その大きさこそが逆にその価値を高めているのでしょう。

Telecaster にアームをつけ、背面にコンターを入れ、スイッチ類を配置しなおしてしまったら、使いやすくはなるでしょうが、その時、いまと同じだけ「魅力的」でいられるでしょうか?
新たなファンは獲得できるかもしれないけど、間違いなく、その10倍以上の Telecaster ファンを失いそうな気がします。

世の中、洗練されてりゃいい、ってもんじゃないようですね。
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