Kick Me in the Pants

Carey & Lurrie Bell


2005-08-21 SUN


1984 年に Rooster Blues からリリースされた父子セットでのレコーディング Son of a Gun(ウチのは P-Vine PCD-5248 )の劈頭を飾る勢いバリバリのインスト・ナンバー Ballbuster ですが、前回ではむしろ Carey Bell の Biography がメインになっておりましたので、この機会にそっちについてもちょっと追加でございます。
ともかく Carey Bell がまずハープの奥義・秘技を総動員して(なんちて、ハープには詳しくないワタクシの言うことゆえ、眉ツバもんかも)「これでもか」的百花繚乱の音宇宙を繰り広げると、そこにこんどは息子の Lurrie が、やたら生硬なギターで斬り込んでくる、と。
もちろんインストですから「歌なし」なのでございますが、なんなんでしょうね?この聴いた後の満腹感は?
ま、そこら「てんこ盛り」なワザのオンパレードが原因かもしれません。
ところで、オープニングのブレイクなど、「キメ」のとこはいいんですが、通常パターンのとこが(上物、つまり父子はそれなりに丁々発止とやりあっててドラマチックだったりもするんですが)どうもイマイチ骨盤に来ないなあ、と思ったら、う〜ん、やっぱり John Ervin のベースとドラムの Theodore Dino Davies の「単調な」キックが干渉してリズムが「実にミリョクが削がれている」からじゃないのかな?
それも、主犯格はドラムの Davies ね。いかんよ、等間隔でキック入れちゃ。

では本日のナンバー Kick Me in the Pants はどうか、ってえと、こちらも、基本的にはドラムが実に「機械的」で、等間隔キックのダサさはそのまま。それだけはちょっとナンですが、軽快なシャッフルに乗せて、キモチ良さそにトバしてるとこは、Ballbuster よりもこなれてきてるよな気がいたします。
Lurrie のギターも活きてますし、同じインストながら、なんとなくこちらのほーがまとまりがあるような⋯

しかしまあ、これ、オレをパンツの中で蹴ってくれ!でしょか?それともパンツの中のオレを蹴ってくれ?なにやら不穏なものを感じますが⋯なんちて、たぶんパンツを「履いてない」オレを「パンツに蹴り込む」つまり「履かせて」くれ、てな「おちゃらけ」ネタ?⋯と思いかけたとこで「念のため」と MacBook Air の辞書を開いてみたら⋯
kìck A in the pánts で A〈人〉につらく当たる、A への協力を拒む、っちゅう定型句(?)てなもんらしいですね。にしても、なんせインストでございますから、そのテーマを把握すんのに助けとなる「歌詞」っちゅうもんがありません。
この音を聴く限り、なんにしてもあまり寓意的なものは感じられませんので、ヒョっとしたら、デタラメにセッションしてて出来た曲にタイトルを無理矢理つけちゃっただけかもしれませんねえ。
ただ Lurrie のギターはこっちのほーが滑らかでユルさもあっていい感じ。

Lurrie Bell は 1958 年12月13日に Chicago で生まれています。
父は当然 Carey Bell という有名なブルース・ハーピストでしたから、音楽的な環境というイミでは恵まれていたのではないでしょうか。
6 才にしてすでに身近にあった父のギターを手にして、それ以来、主に独学でギターを覚えた、と言われていますが、資料によっては、そのギターの形成に Eddie Taylor や Big Walter Horton、Eddie C. Campbell、(親戚でもあった) Eddie Clearwater、Loviee Lee、Sunnyland Slim、そして「あの」Jimmy Dawkins などが影響を与えた、としているものがあります。
さらに父の許を訪ねてきた様々なミュージシャンから相当に多くのものを吸収していたとしても不思議はありませんね。

そして彼が 17 才のとき、あの Willie Dixon のステージに一緒に上がったのが初舞台だったようです。
続いては 19 才からの 4 年間、Koko Taylor のツアーに同行していますが、おそらく彼の知名度が大きくアップしたのはその次のプロジェクト Sons of the Blues でしょう。
Willie Dixon の息子 Freddie Dixon、そしてついこの前、ここ青森で素晴らしいライヴを見せてくれたハーピストの Billy Brach とともに始まったこの Sons of the Blues では、ある意味、初めて彼のプレゼンスを世に問うた、と言うことができるかもしれません。

ところで、父である Carey Bell の録音に初めて参加したのは 1977 年、彼がまだ 19 才の時でした。このアルバムはその 7 年後のものですが、当然、すでに Sons of the Blues での録音を経験( 1978 年 Alligator の Living Chicago Blues )した後です。

ところで、江戸川スリムさまとこの Ariyo の日記*でもこの Lurrie Bell が登場していましたね。
Otis Rush のバースデイ・パーテイのとこ。
なんだか、彼のひととなりが伝わってくるよなエピソードですから良かったらそちらもゼヒどうぞ。

よくトーキョーに行くのはりっきーさんとこで美味しいもの食べて、セッションも楽しむ、さらについでに買い物も!っちゅうモクテキがあるのでございます。
そして、そうゆうのとは別に「な〜んにもモクテキなんてない」それどころかなんでそっちに行くのか、さえ気分でしかないよなデタラメな移動!ってのも好きなんですわ。

なんでか(?)いきなり県東部の田子町に行ってみたのも「そこ」が目的だったワケじゃなくて、十和田湖の南から続く道そのものが「いい感じ」だったから行ってみたら田子に着いた、ってだけ。
あるいは秋田県の大館から南下してく道を見つけて面白がって辿ってったらそのルートでの限界集落を過ぎてもさらに道は伸びてて、ついには山ひとつ越えて「おなじみの」花輪に抜けたり⋯

そんな偶然に見つけた(?)とこ、ってのはタカラモノ、みたいなものかな。

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