If I Hadn't Been High

Detroit Junior


2005-08-31 WED.


Alligator の V/A Living Chicago Blues IV には、この他にも Some Nerve 、Somebody to Shack 、I Got Money が収録されておりますが、この If I Hadn't Been High、なんだか独特の距離感があるようで、どっかで聴いたことあるよな気がしてしょうがないんですが、どうも、思い出せない、っちゅーなんだかもどかしいような、でもそのままにしておきたいよな不思議な感覚に包まれております。
ま、どっちかってえと New Orleans Jazz & Herritage あたりの匂いがちょっとするよな気がするんですが、さて、みなさまはいかがでげしょ?

妙にダイレクトなベースがなんだかいっちゃん近いとこにいるよな(ヴォーカルがその次、かな?)変わった録音で、それ以外はなんだかケッコー「スカスカ」な音作りっちゅう感じなんですが、でもそれがち〜っとも「寂しく」ないんですねえ。
なんか、こうなるべくしてなった、っちゅう「整理された」音群はむしろヴォーカルを際立たせる効果があるようで、普通だったら、もっと前面に出して「華々しく」活躍さすよなあ、ってブラス陣も、かなり「向こう」で控えめにリフを入れるだけ。
ご本人のピアノにしてからが、決して弾き過ぎず、要所要所で軽く和音系を転がし、ソロに行っても決して走り廻る訳じゃないし、かなり落ち着いたフレーズ(あ、でも、その割りにはところどころとっちらかりかけるとこがまたいい味を出してます)で、ヴォーカルを浸食しないんですねえ。

そのヴォーカルは、軽く歌っているようで、でも、よく聴くと、けっこうメロデイの上下など、テクニカルなバック・ボーンはしっかりしてそう、って感じがいたします。

その Detroit Junior こと本名 Emery Williams Jr. は 1931 年10月26日に Detroit Junior という芸名に反し(?) Arkansas 州の Haynes( Tennesse 州 Memphis から Inter-State Hywy40 で西に河を越え、Arkansas 州に入って 50km ほどの Forrest City から Hywy40 を離れ 16km ほど南下したところにある町)で生まれています。
しかし、なんらかの事情で家族はすぐ北上したらしく、彼は Illinois 州の南部で子供時代を過ごしたようです。
それが 19 才の時にはすでに「 Detroit 」で自らのバンド the Blues Chaps を率いていたと言いますから、その間、イロイロなこともあったハズなんですが、どうも、そのあたりのことはどの Biography でも「すっぽり」抜け落ちてますねえ。
ま、なにはともあれ、そんなワケで(?)音楽活動をスタートさせたらしいのですが、その彼を「発見(?)」し、Chicago に連れてきたのは( Alligator の資料によれば) Eddie Boyd だ、っちゅうことらしいっす。
それが 1956 年のことだったらしいのですが、当初 Eddie Boyd が紹介した CHESS Records は、あまり契約には乗り気じゃなかったらしく、その間に Detroit Junior は「あの」サックス奏者 J.T.Brown のもとに落ち着き、Club 99 で出演し始めました。
そしてそこでの彼は次第に腕を上げ、また知名度の方も上がっていったんでしょね。さらに Little Mack Simmons とも組むようになり、Cadillac Baby のハウス・バンドとなったことが一つの転機となります。

Cadillac Baby は自らのレーベル Bea & Baby を持っており、それがあの名曲(?)So much money, money tree!のリフが印象的な Money Tree を産み出すことになりました。
このシングルが出るまでは「ただの」 Little Junior Williams だったのが、この曲で Detroit Junior という名前が定着したもののようでございますよ。

ま、Money Tree のローカル・ヒットで CHESS は「しまった!」と思ったんでしょか?彼と契約はしましたが、ナゼかあまりリリースには積極的ではなかったようで、結局 Detroit Junior は Foxy、CL、Palos というレーベルに吹込んでいたようです。
そして 1965 年には U.S.A. からリリースされたシングル Call My Job (カップリングは The Way I Feel )がヒットし、その曲は Albert King もカヴァーすることになりました。

う〜ん、どうやらピアノ・プレイヤーとしての Detroit Junior もさることながら、業界(?)ではむしろ Songwriter としての位置も獲得していたようですね。
Money Tree ばかりか、この Albert King の Call My Job 、さらに、Koko Taylor の Thanks, But No Thanks 、Tired of That 、Never Trust A Man なんて曲も書いておるのですよ。

これも Alligator の Biography によれば(って、他には、そっから引用したらしいのしか発見出来なかった!)、1960 年代を通じて、前述の Mack Simmons をはじめ、「あの」Eddie Taylor や Sam Lay(彼も健康を害しているとか⋯シンパイです)などとギグをしていたようですが 1968 年からはウルフとも一緒にやっています。ウルフの死後も the Wolf Gang に残ったそうですが、そこではサックスの Eddie Shaw がリーダーねえ⋯

Chicago のノースサイドで Kingston Mines などに出演もしていたそうですが、興がノると彼のカラダはだんだん「沈んで」行き、ついには彼の姿は見えず、ただ彼の手だけが鍵盤の上で動いているのが見えた、なんてエピソードもあるようでございます。
その彼も糖尿病からくる腎不全でやや演奏活動のペースを落としていたようですが、この 2005 年 8 月 9 日、心臓発作によって自宅で死亡しました。
彼を愛した Alligator の Bruce Iglauer の言葉─

He was a one-man blues party.
He had a smile and a good word for everybody.


安らかに眠られんことを!

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