Willingly

Carl Weathersby


2005-09-20 TUE.




しっとりした(ってのは、ギターについての形容詞としちゃちょとそぐわないかもしれないけど)、抑制の効いたギターに導かれるように始まる Willingly、少し涼しくなってきた弘前の今日この頃にはナゼかフィットして、メランコリックな(誰がやねん?っちゅうツッコミはおありでしょうが)味わいがやけにハマるのでございますよ。

とは言え、あの Little Milton の Waiting For みたいなコッテリ感は無いよね、ってのはやはり向こうだと、「あの」ストリングスの存在が大きいのかもしれませんね。
どうしてもストリングスを入れる、ってことはそれだけカンペキなオーケストレーションが求められますから、言わば「一分の隙もない」的な音の塗り込められかたになってしまいがちで、そこらが「過剰な」コッテリ感の原因になってるのかもしれません。

そこ行くとこちらでは「通奏和音」系はハモンドが一手引き受け状態ですから、やはりそのハモンド・サウンドから来るものか、なんとなくソウルフルな(ってワタクシの個人的な印象では、ってこってすが)テイストに溢れ、あれほど劇場チックなドラマ仕立てにはなってないように思います。
他のパートもピアノにベース、ドラムとサイド・ギターってな「よくある」ブルース・バンドとあまり変わらない「編成」にはなっておりますから、まだ「こちらの」世界に踏みとどまっている(?)ようにも思えますが、よっく聴いていただけば判りますとおり、その各パートのレヴェルたるや、やはり「カンゼン」なスタジオ・グレードで、これ、ワシらがやろう思ったら、これ一曲に延べ 10 時間くらい費やしてリハを追い込んでかないと、とてもこんなクォリテイにはなりませんね(なんちて、ワシらのレヴェルじゃあ 10 時間どころか 10ヶ月だろ!っちゅう「突っ込み」が聞こえるようだ⋯)。

でも Carl Weathersby は、そんなバックだからってリキみ過ぎることもなく、いたってナチュラルに歌って行くんですよねー。う〜ん、余裕や!

さて、昨日はシンカンセンから八戸で青森経由で秋田県までゆく特急「つがる」ちゃらゆうのに乗り換えて弘前に向かったのでございますが、やはり飛行機と違ってその座席に座ってなきゃいけない拘束時間(?)が長い、ってのがホント苦痛でございますね。
って、ゆうのもワタクシが独りでトーキョーに行くときはまず自分のクルマで青森空港(ときには大館能代空港だったり)まで行って搭乗まで三十分以上、機内では一時間くらいですからね。持参のハンドヘルドでここの原稿など書いてればスグに着いちゃう。
そっからはモノレールで新橋までですが、地下鉄と違って外が見えますからタイクツいたしませんねん。
モノレールを降りたら地上を歩いて日の出桟橋まで行くのですが、ちょっとしたサンポ気分ですね。
日の出桟橋では「もっちろん」船が出るまでにまた三十分以上は待ちますが、そこでも原稿の続きや手を入れたりしてるんですよ。乗船してからは川面から眺めるトーキョーのビル群が飽きないんですねえ。川風に吹かれながら隅田川上流の浅草まで!

毎回、このアプローチがお気に入りでユッタリと浅草に向かっておったものでしたが、寿家というポイントができたせいで、そこで夕食、ってのから逆算すると「そんなヨユウぶっこいて」向かうワケにはいかなくなって来ます。
となると羽田っから地下鉄イッポンで浅草まで行けるんですが、やはり外が見えない地下鉄ってのはニンゲンを積荷としか思ってない運搬システムなんだな、って感じますねん。

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