COBRA ~ DELMARK

Otis Rush


2005-09-27 TUE.




先日から必死こいて書いていた Otis Rush の Biography(みたいなもの)はともかく完成して、Blues After Dark にはアップしたんですが、せっかく書いたもんを、まだ何人が見てるか判らない片隅の(?)コンテンツだけにしとくのはもったいない、ってんで、この BLUES 日記でもその内容をそのまま転記しておきます。
ちょと長いけど⋯

多くの資料では、Otis Rush が生まれたのは 1934 年の 4 月29日、場所は Mississippi 州の Philadelphia としています。
ただ、ひとつの資料だけは、それを Philadelphia ではなく、同じ郡内ではあるものの、そこから 7 時の方向におよそ 30km ほど南下した Neshoba の近辺である、としてありました。
なかなか「あり得る」センかなあ?という気もしたのでございますが、その同じ資料だけは Otis Rush の誕生年を 1935 年、としているのですよ。そこで判断に迷ったのですが、Otis Rush 本人と親交のある江戸川スリムさまからの情報によりますと、ナゼか 1934 年というのが定説となっているようですが、正しくは 1935 年である、とのことで、そーなるとやはり生まれたところも Neshoba が正しいのかもしれません。

Living Blues の 1996 年の記事によれば、どうやら彼の生まれた家庭では父親が収入の面で「頼りにならず」兄弟姉妹がそれぞれに働いて母を助けていたもののようです。
彼が最初に覚えた楽器はハープで、ギターは 8 才から、などと言われておりますが、その背景には Baptist 教会でのコーラスの経験や、時にはギターでその伴奏をつけたことによって、基本的なギターの技術を習得した、としている資料もあります。
また資料によってはこの時期の彼はラジオから流れてくる様々な音楽(そこには C&W も含まれていた、と)に影響されて音楽への意欲を持つようになった、としているものもありました。
また彼の歌唱力はこの時代に培われた、という見方も出来るでしょう。
また、そもそも、彼がギターを右利き用のままで左向きで弾き始めた件についての信頼するにたる情報はどうやら見当たらず、おそらくゴスペルの場で、そこにあったギターをなんとか弾こうとしてそのままで覚えたものではないか、と思うのですが、モチロンそれは憶測に過ぎません。

その彼が Chicago に出たのが 1948 年(一部には 1949 年としている資料も)とされていますが、そもそもは姉(先に Chicago に出ていた、ということから「姉」では?と推測しているもので、ハッキリ Elder という表現があるワケではないので注意してください。英語では姉か妹かがまったく判らないのですが、そこら向こうの研究者「ども」はどー思ってるんだ、いったい!)の Elizabeth を Chicago に訪ねたところ、音楽好きな Otis のために案内してくれたのが Zanzibar で、そこではマディのバンドに Little Walter、Jimmy Rogers の演奏に触れて、すっかり魅せられてしまい、そのまま Chicago でミュージシャンになることを決意した、としているサイトもあります。
ただし、かと言って Chicago に出てきただけで誰でもがミュージシャンとして暮らして行ける訳でもなく、この Otis Rush も当初はいろいろな職を経験したようで、石炭を積載した貨車からの荷下ろしの仕事(を行う馬を御する仕事だ、ということですが)のようなハードな労働に従事し、夜ともなれば、あちこちのブルース・クラブに足を運んでいたようですね。

そして彼は、まず Kay のギターを手に入れて練習を開始したようです。
そのような努力の末、1950 年代の前半には、彼のギターはひとつの個性として完成に近づいた、と言えるのかもしれません。
1953 年、彼が Kay のギターで練習しているのを聴いた Club Alibi のオーナーは、彼にソロで出演するように声をかけてくれたのでした。したがって彼の最初のギグは、ギタリストとしてギグに参加したものだったようです。
しかし、そのような形での活動はやはり彼の本意ではなかったようで、じきに自らのバンドを結成しようと動き始めました。
むろん、その時点ではまだ Day Job 無しで喰って行けるほどの稼ぎとはならず、昼の仕事と並行することとなっていたようですが、そのバンドではギターよりも、むしろヴォーカリストとしてのスキルをアップさせたのではないでしょうか。
Little Otis という芸名(?)が使われ出したのもこの頃と思われます。

そんなある日、Otis は Dave & Louis Myers 兄弟の Four Aces に加わって(そこら「臨時」だったものか、あるいはオーディションみたいなものだったかはちと判りませんでした。またこれが 1956 年、つまり Cobra と契約したその直前だったのか、あるいはもっと前のことなのか、については確実な資料に辿り着くことができませんでした)東 47 番街の 708 Club で演奏していたところ、居合わせた Willie Dixon と Cobra のレーベル・オーナー Eli Toscano の目に止まったらしく、結局 Willie Dixon の「プッシュ」もあって 1956 年には Cobra と契約が成立し、そこで吹込まれて初のヒットとなった I Can't Quit You Baby が生まれています。
ここに新しいスター Otis Rush が誕生したのでした。
そのまま Cobra では都合 8 枚のシングルをリリースしています。

Cobra 5000 I Can't Quit You Baby / Sit Down Baby : 1956
Cobra 5005 Violent Love / My Love Will Never Die : 1956
Cobra 5010 Groaning the Blues / If You Were Mine : 1957
Cobra 5015 Love That Woman / Jump Sister Bessie : 1957
Cobra 5023 Three Times A Fool / She's A Good 'Un : 1958
Cobra 5027 It Take Time / Checking On My Baby : 1958
Cobra 5030 Double Trouble / Keep On Loving Me, Baby : 1958
Cobra 5032 All Your Love ( I Miss Loving) / My Baby's A Good 'Un : 1958

Eli Toscano の失墜及びその直後の不可解な死から Willie Dixon を追うように Chess に移った Otis でしたが、そこでは

Chess 1751 So Many Roads, So Many Trains / I'm Satisfied : 1960
Chess 1775 You Know My Love / I Can't Stop, Baby : 1960

のシングルがリリースされたのみで、後に Albert King とのコンビ・アルバム Door to Door という形で出て来ただけです。
そこでは上の 4 曲の他に So Close、All Your Love も収録されています。

Cobra での厚遇(?)に比べ、この Chess では Otis Rush が正当に評価されていたとは言い難く、続いて DUKE と契約。

DUKE 356 Homework / I Have to Laugh : 1962

というこれまた名曲を残すのですが、他に Don't Let It End This Way と This Mean Old World の二曲を吹込んでいるようですが、ともにリリースされた形跡は無いようです。
ステージとしてはこの頃には Madison & Homan の Curley's Twist City などに出演していたようで、特に Cobra からの一連のリリースによって彼の知名度はかなり高くなっていました。

1965 年には Vanguard に吹込んだ 5曲

Everything's Going to Turn Out Alright
It's A Mean Old World
I Can't Quit You Baby
Rock
It's My Own Fault

が V/A Chicago/The Blues/Today! vol.2 Vanguard 79217-2(リリースは 1966 年)に収録されています。

そして 1966 年には American Folk Blues Festival のツアーの一員としてヨーロッパに渡っています。
このときの 10月16日の Berlin での録音では All Your Love / My Own Fault の二曲が(ウチのはアナログ・ディスク) Fontana からディストリビュートされた GRAVURE UNIVERSELLE 885 431 BY AMERICAN FOLF BLUES FESTIVAL '66 に収録されています。
ただし、このアルバムに関する限り、Junior Wells の Checkin' on My Baby と A Tribute To Sonny Boy Williamson 、Big Joe Turner の Flip, Flop and Fly と Roll'em Pete にギターで参加しています。
この時の録音でも他の編集による Amiga 855114 では All Your Love 一曲だけとなり、その vol.2 たる Amiga 855126 では It Takes Time と My Own Fault が収録されています。

おそらく、その American Folk Blues Festival での演奏が強い印象を与えたのではないかと思うのですが、ブルームフィールドとグラヴェナイツ(でいいのかな?発音)は Otis を Atlantic のサブ・レーベル Cotillion に導き、そこで Alabama 州 Muscle Shoals で吹込まれたのが 1969 年の Mourning in the Morning( Cotillion 82367 )でした。
そこでは「あの」オールマンがギターとして参加したことばかりがとかく語られるようですが、もうひとりのギター、Muscle Shoals のサウンドの確立に貢献した Jimmy Johnson も参加していたことを忘れてはいけません。
収録曲は

Me
Working Man
You're Killing My Love
Feel So Bad
Gambler's Blues
Baby, I Love You
My Old Lady
My Love Will Never Die
Reap What You Sow
It Takes Time
Can't Wait No Longer

かわって 1970 年には Otis Rush は Capitol とアルバム 5 枚の契約を結びます。
そして、それにしたがって 1971 年 2 月に San Francisco に赴き、そこで録音したのが Right Place, Wrong Time( Hightone HCD 8007など)。

Tore Up
Right Place, Wrong Time
Easy Go
Three Times A Fool
Rainy Night In Georgia
Natural Ball
I Wonder Why
Your Turn To Cry
Lonely Man
Take A Look Around

このアルバムは本来、Capitol からリリースされる予定だったのですが、結局、Bullfrog が市場に出すまでは Capitol の倉庫で眠り続けることとなったものです。
そんな状況でしたから Capitol での「 5 枚のアルバム」などすべて「ちゃら」だったようで、結局彼の次のレコーディングは 1974 年の Black & Blue まで待たねばなりません。

しかし、その間にひとつ重要なトピックを。
1972 年 9 月10日に白いボデイに鼈甲柄のピックガードという右利き用の Fender Jaguar を抱えて Ann Arbor Blues & Jazz Festival のステージに登場した Otis Rush はたしか 5 曲ほどを演奏(なかには Stormy Monday も含まれる)したハズなのですが、そのときの録音からは、ただ一曲、Gambler's Blues のみが Atlantic SD 2-502 Ann Arbor Blues & Jazz Festival 1972 に収録されました。

1974 年11月26日にはフランスの Black & Blue にレコーディング。これは後に Evidence ECD 26014 としてリリースされた Screamin' and Cryin' です。

Looking Back
You're Gonna Need Me
It's My Own Fault
I Can't Quit You Baby
Every Day I Have the Blues
A Beautiful Memory
I Got News For You*
I Can't Quit You Baby*
* ー最後の二曲は CD化するにあたってボーナス・トラックとして加えられたもの。

続いては 1975 年 4 月29日(お誕生日だ!)と 5 月29日に録音された Delmark DE 638 Cold Day in Hell
これはまた、やたら長い曲が多いアルバムで

Cut You Loose
You're Breaking My Heart
Midnight Special
Society Woman
Mean Old World
All Your Love
Cold Day in Hell
Part time Love
You're Breaking My Heart ( alt. )
Motoring Along

別テイクじゃないほうの You're Breaking My Heart など 8 分を超える作品になっています。

そして 1975年には日本を訪れ、そこでのライヴ( 7 月20日と29日のステージ)から録音された 12 曲

Will My Woman Be Home Tonight - Blue Guitar
Everyday I Have the Blues
I Can't Quit You, Baby
Crosscut Saw
Looking Back - Take A Look Behind
Chitlin' Con Carne
I've Got News For You
Mean Old World
All Your Love - I Miss Loving
So Many Roads
Gambler's Blues
Three Times A Fool

が Delmark DE 643(日本では TRIO PA-3086 ) So Many Roads: LIVE IN CONCERTとしてリリースされています。
この音源は後に、曲順を入れ替え、Crosscut Saw / Chitlin' Con Carne / I've Got News For You の三曲が「落とされて」 Vivid Sound VSCD 052 Blues Live! として再発されました。ジャケットのデザインも違うのでうっかりダマされないよにね。
一説ではこの時の来日で奥さんのマサキさんと知り合われたらしいのですが、そこらは江戸川スリムさまのほーが詳しそう。(明日に続く)

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