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Otis Spann


2005-09-29 THU.




先日の Otis Rush に続き、ただいま Otis Spann の Biography を準備中でございます。
元のがカンタン過ぎたので、ちょちょっと付け足すつもりが、アっちゅう間に「どっぷり」!
もーこうなったら、誰が見るかも判らん Biography でひっそり更新したって張り合いが無いですから、またしても日記でブチ上げちゃいましょ。
と言ってもまだ途中までなんで今日はその前半を・・・

Otis Spann

Otis Spann は 1930 年の 3 月21日に Mississippi 州の Jackson で生まれています。
彼自身がインタビューで語ったところを信じれば(なんてことわるのは、彼の発言に時々辻褄の合わないところが出て来る場合があるから⋯) 8 才の時に地元のピアニスト Friday Ford の演奏に魅せられてピアノを弾くようになった、ということのようです。
14才ですでにジャクソン周辺のジュークジョイントやハウス・パーティで演奏してたそうですが、1946 年には兵役に。
1951 年には除隊となったのですが、その間、1947 年にすでに彼の母が死んでいたため、親戚を頼ってシカゴに移り、そこで、かって 78 回転 SP でよく聴きこんでいた Big Maceo に会い、その庇護も受けていた、とされています。
当初、彼はギターの Morris Pejoe*とギグをしてた( alt. Morris Pajoe のバンドにいた)らしいのですが、ついに 1952 年にはマディのバック・バンドのレギュラー・メンバーとなることができました。

* ─ Morris Pejoe( Morris Pejas )、生年月日不明。生まれはおそらく Louisiana 州ですが、 1940 年代の後半には Texas 州の Beaumont に移り、そこで彼はそれまでの楽器であるヴァイオリンからギターに変わったとされています。
そこではピアノの Henry Grey とともに演奏し、やがて連れ立って Chicago へと移動したのが 1950 年代の始めでした。そこで出会ったのが Otis Spann というワケですが、その期間はさほど長くはなかったものと思われ、Otis Spann はマディの元へ・・・
Morris Pejoe 自身は 1952 年に Chess でのレコーディングを経験しており、それは二枚のシングル、Checker 766 Tired of Crying Over You / Gonna Buy Me A Telephone 、と Checker 781 Can't Get Along / It'll Plumb Get It として 1953 年にリリースされています。
ただ、そこでのピアノは Otis Spann ではなく、旧友(?)の Henry Grey 。
その後も様々なレーベルで録音を経験していますが、自身のフル・アルバムとしては 1954 年に United に入れた Wrapped in My Baby があります。
代表作はそれに収録されている Let's Get High 。
1960 年代は妻 Mary Lane をヴォーカルにという形でも演奏していたようですが、やがては長じた息子の Morris Pejoe Jr.とも共演しています。
1982 年、Detroit で永眠。


そのマディとの初録音は 1952 年の 9 月17日で、他のメンバーはギターに Jimmy Rogers、ハープ Little Wakter で Chess 1526 としてリリースされることとなる Standing Around Crying は当日二曲目に録音されたもので、最初は後に Chess 1542 として後発となる Who's Gonna Be Your Sweet Man の方でした。(一部のサイトで Blow Wind Blow Chess 1550を Otis Spann の最初の録音としている記載がありますが、そちらは 1953 年 9 月24日ですからほぼ一年後となります─参考資料: http://www.bluespower.com/osdiscog.htm

それからの約10年間、マディのバックで支え続けることとなります(ただし、ずっとマディ専属のピアニストだったワケではなく、たとえば 1955 年の Bo Diddley の I'm A Man を始めとして Sonny Boy Williamson、Howlin' Wolf、Jimmy Rogers、Little Walter などのピアノとしても録音に参加しています)。
1954 年10月25日には自己名義での録音もスタートさせ、It Must Have Been the Devil / Five Spot(こちらはインスト) Checker 807(ついでに Bo Diddley の I'm A Man は Checker 814 で、ハープに Billy Boy Arnold も参加。カップリングは Bo Diddley )としてリリースされています。
ただし Checkerでのシングルはこれ一枚だけ。
メンバーは George Smith、B.B. King、Jody Williams、Willie Dixon に Fred Below という豪華版(?)。
もっとも、この 1954 年には(と言うか、1954 年かもしれない、かも?)、その正確な日付が判らないために、Otis Spann の自己名義による「初」録音という栄誉に授かれない録音がありまして、それが J.T. Brown とともに吹込んだ、とされる(一部ではそれを認めていない資料もあります) JOB 1111 T-99 / Love というシングルなのですが、そのシングルとしてリリースされたシリアル・ナンバー自体は 1956 年物(?)なワケで、それが、この録音は 1956 年ではないか?というギワク(オーヴァーな⋯)を呼んで、初録音として認められないもののようです。
ただ、未確認ながら JOB 1110 The Bible Don't Lie / Los Angeles Midnite Groove (後者はインスト)ってのもあるらしく、シリアルからすると先に世に出ているハズなのですが⋯

実は 1956 年 7 月にも Big Walter Horton、Lockwood、Dixon に Below といったメンツで I'm Leaving You と I'm In Love With You Baby の二曲が録音はされているのですが、それがリリースされることなく 1960 年代を迎えてしまいます(結局それが世に出るのは 1987 年。現在は P-Vine PLP 6022 などで聴くことが出来ます)。
1960 年 7 月 3 日には New Port Jazz Festival において演奏し、唯一ヴォーカル入りの Catfish Blues を含む 5 曲が JSP 1070 Rarest Recordings に収録されています(他は Boogie Woogie / Jump Blues / Slow Blues / St Louis Blues⋯ところで「 Jump Blues 」や「 Slow Blues 」ってのは「曲名」でしょか?便宜上、そー言ったのをそのままにしたんじゃ⋯)。
同年 8 月23日には New York で

The Hard Way
It Must Have Been the Devil
My Home In Delta
Otis' Blues
Woman Leave Me Alone
Otis Rides Again


などをレコーディング。Candid CJM 8001 Otis Spann Is the Bluesなどのアルバムとなっています。

ところで彼にとってひとつの転機となったのが 1963 年の American Folk Blues Festival の一員としてのヨーロッパ・ツアーでした。
この年のツアーはマディはもちろん、他に Sonny Boy Williamson、Memphis Slim、Lonnie Johnson、Willie Dixon、Matt Murphy、Big Joe Williams などといったメンバーで構成されていたのですが、そこでは彼のブルースが評価され(この 10月 4 日の Frankfurt での録音は fontana 885.403MY などに収録。彼は Had My Fun の他、Sonny Boy とマディのバックにも入っています)、デンマークの Copenhagen では Storyville のために彼名義の録音が行われたのでした。
この時の録音は Storyville SLP 157 Portraits In Blues, vol.3で、

Love, Love, Love
Don't You Know
Jelly Roll Baker
Good Morning, Mr. Blues
Going Down Slow
Spann Boogie
Must Have Been the Devil
Riverside Blues
Trouble In Mind
T.B. Blues
Worried Life Blues


を収録。
あ、その直前の 9 月21日に Chicago で 4 曲( Skies Are Blue / My Baby Is Gone / Love Is A Miracle / No, No, No )を録音している、とする資料も存在していますが、いづれも Unissued のままらしいです。そのときの他のメンバーは J.T. Brown に Sonny Boy、Matt Murphy とドラムの Bill Stepney、そしてベースは不明だそうです。

さらに A.F.B.F.後の 10月から 11月にかけて

The Blues Ain't Nothing
T-99
Built Up From the Ground
Spann Boogie
What Getting Wrong With Me
Everything Gonna Be Alright
Why Did She Have To Go


を Matt Murphy、Willie Dixon、Bill Stepney という顔ぶれでレコーディング。
これは前述の New Port での録音と一緒にされて JSP 10070 Rarest Recordings に収録されたり(後半の 4 曲)、あるいは Professor Longhair( P.L. Bounce 1 曲だけ)や Lyin' Joe Holley、Little Brother Montgomery と一緒に JSP 1056 Piano Blues Legend に収録されたりしています。

さらに 12月には Sad Day In Texas / I Tried Not To Cry Testament S 01 を入れていますが後者は Johnny Young がヴォーカルでした。
続いて 12月あるいは翌 1964 年の 1 月には Louis Myers に Willie Smith というリズム・セクションで Lovin' Girl / The Name of the Blues を吹き込み。前者は One-der-fulってレーベルから(たぶんシングルで?)リリースされたらしいのですが、後者は Unissuedとなってますが、どちらも未確認です。

ところでその1964 年にもマディと Otis Spann、ドラムの Willie Smith に Ransom Knowling というパックがイギリスに渡っているのですが、これは A.F.B.F.とは別口の American Folk, Blues and Gospel Caravan というまったく違うプロジェクトによるものでした。
そして案の定(?) London でも 5 月 4 日にレコーディングをしているのですが、ここでは上記のメンバーにプラス、クラプトンとジミー・ペイジが参加しております。

Natural Days
Meet Me In the Bottom
I Got A Feeling
Sarah Street(紛失により unissued)
Jungle Boogie
Nobody Knows
The Blues Don't Like Nobody
T-99(これにも別テイクがあったらしいのですがマスター・テープが紛失)
My Home Is On the Delta
Spann's Boogie
I Come From Clarksdale
Rock Me Mama
Get Out of My Way
Lost Sheep in the Fold
Keep Your Hand Out of My Pocket


が Decca 4615 The Blues of Otis Spann に収録。
(つづく)

・・・と、いかがっすか?相変わらずクドいでしょ?
この調子でやってたら全部アップ出来るのはいったいいつになるんでしょ?
しかも、これやってる間は通常プログラムの「今日のブルース」に時間を割けない感じですからねえ。ま、別にそれを期待してる方はあまりおられないとは思うんで、いいんですが。

結局、独りでゴソゴソやってるのがつまんなくなって、ねえねえ、こんなことやってるんだよ!っちゅう自己主張でございます。
なんせ「奥ゆかしい」なんて単語はワタクシを逆さにして篩っても出てきっこないもんですからねえ。
それに、こーやって日記に上げれば、ちょっとはハゲみになる、っちゅうもんでございます。

でも、振り返って見れば、もーアップしちゃったとこでもこの調子でやったら「そーとー」書き加えなきゃ、ってのがイッパイありますねえ。
むふむふ、老後の楽しみにとっておきますかいのう。

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