Otis Redding 3

3rd


2005-10-04 TUE.




以前、STAX story の連載において、『その日、Johnny Jenkins はおそらく「Love Twist」を吹き込んだのではないか、と思うのですが、Jenkins の調子が良くなかったのか、あるいは逆に順調に進んで思いがけず早く終ってしまったのか、たぶん前者だろうとは思うのですが、およそ 30 分ほど余裕が出来たとき、プロデューサーは( Jim Stewart だった、とする資料もあります)彼と一緒にスタジオにやってきていた Johnny Jenkins のバンド the Pinetoppers のヴォーカリスト(バンドでは Jenkins がギタリストとして全体をリードしていたようです)で、お抱え運転手でもあった男に、「時間あるからキミも歌ってみる?」てなことを言ったんでしょか?男は、それじゃあ、ってんで自作の曲を出してきました。そしてレコーディング⋯』と「その瞬間」を書いたものでしたが、例の Rhino のブックレットに載っている Jim Stewart の回想が、そのヘンのとこを詳しく述べておりましたので、今日はその点についてもちょっと付記しておきます。
他の証言者たち( Zelma Redding、Steve Cropper、Alan Walden など⋯)はいずれも Otis Redding を語るときに必ず帯びる「熱」というのがあるのですが、この Jim Stewart の回想だけは淡々と、まるで、自分には共感も理解も出来ない一種の熱狂を目の当たりにした、という「驚き」のようなものは漂っていますが、でも、おそらく Jim Stewart には最後まで Otis Redding の価値は判らなかったのでは?という気がいたします。
それだけに、Otis Redding の出現と、それが巻き起こした波紋を冷静に語っていて、ある意味、いちばん信頼するに足る「回想」となっている、と言えるかもしれません。

その部分を Biography に再録するにあたり修正した方の文章をまずここに載せておきます。

その日、Johnny Jenkins はおそらく Love Twist を吹き込んだのではないか、と思うのですが、Jenkins の調子が良くなかったのか、あるいは逆に順調に進んで思いがけず早く終ってしまったのか、たぶん前者だろうとは思うのですが、およそ 30分ほど余裕が出来たとき、( Jim Stewart の回顧によれば)当時 Atlantic から派遣されてきていた A&R マンの Joe Galkin は、Johnny Jenkins 一行の車を運転してきて、スタジオまでバンドの機材を運び、まるでローディのように見えたシャイで物静かな男、どうやら Johnny Jenkins のバンド the Pinetoppers のヴォーカリストで、お抱え運転手でもあった男に、「時間あるからキミも歌ってみる?」てなことを言ったんでしょか?男は、それじゃあ、ってんで自作の曲を出してきました。そしてレコーディング・・・

These Arms Of Mine、歌ったのは Otis Redding。21才の、まさに新しい才能が「シーン」に登場した瞬間でした。
この曲は 1962 年の 10月に Stax の R&B のサブ・レーベルたる Volt からリリースされ、翌 1963 年の 3 月にはチャート・インしています。
ただし、この曲は Otis Redding の初レコーディングではなかったようで、それは 1960 年の 7 月、Otis and The Shooters. という名義で行われ、She's All Right という曲が録音されていますが、実質的には Johnny Jenkins の the Pinetoppers そのものだったようです。
また、厳密に言えば、実はこの These Arms of Mine、Otis Redding の「 STAX での初レコーディング」でもありませんでした。
実際にはその前の Pinetoppers の録音が不調に終り( Jim Stewart によると)バンドが機材を片付け始めてから Joe Galkin が、ちょっと彼にも歌わせてみよう、と言い出したとき、ピアノがもういなかったため、ギタリストでピアノなんて弾けない、という Steve Cropper をピアノに座らせてムリヤリ録音したのが Hey Hey Baby。そ!栄光の Volt 103、These Arms of Mine のカップリングとなった曲だったのですが、それを聴いた Jim Stewart は「ダメだね、Little Richard そっくりじゃないか!Little Richard はひとりいれば充分だ!」という反応でした。
しかし Joe Galkin はさらに、バラードも歌うっていうからやらせてみようじゃないか、と・・・

どうやら、この Jim Stewart の証言を信じるとすると、Otis Redding が世に出るきっかけは、まったくもって、この Joe Galkin のインスピレーションによるものだったようです。
その後も Joe Galkin は Otis Redding のプロモーションに熱中し、周辺の放送局のスタジオにおしかけては、D.J.に対し、「このシングルをかけろ!今すぐかけろ!でないと、ウチ( Atlantic )が無償で提供してた全部のレコードを即座に引き揚げる!」と「脅し」をかけて歩いたそうですからスゴい!
Phil Walden が「オレが Otis Redding を世に出したんだ」などと吹聴しているようですが、この Joe Galkin が Jim Stewart を、そして Jerry Wexler や、その Phil Walden を説得したからこそ、そんなタワゴトも言ってられるんだ、ということをお忘れなく。
いつの世にもこういう「なんでも自分の手柄にしたがる」図々しい手合いがいるんだよな。

というワケで、誰が Otis Reddingの運命の扉を開けたのかはこれで判った!と言ってよいと思います。

次のレコーディングは 1965 年の 11月 5 日で、I Can't Turn You Loose と Just One More Day( Volt 45-130 )。I Can't Turn You Loose は R&B チャートで 11 位をマークし、カップリングの Just One More Day も R&B チャートの 15 位、Pop チャートでは 85 位という両面ヒットとなりました。
1966 年になると、まず 5 月 3 日に My Lover's Prayer をレコーディング( Volt 45-136。R&B チャート 10 位、Pop チャート 61 位。カップリングは Don't Mess With Cupid )
そして 8 月 2 日には Good To Me / Cigarettes and Coffee / Chain Gang / It's Growing をレコーディングしていますが Good To Me 以外はシングルとしては発売されず、Volt 33-413 The Soul Album( 1966年 4 月 1 日発売ってことに「なっている」けど、モチロンんなワケはない)に収録されています。
その The Soul Album には他に

Just One More Day
Nobody Knows You ( When You're Down And Out )
Scratch My Back
Treat Her Right
Everybody Makes A Mistake
Any Ole Way
634-5789


が収録されています。

Good To Me だけは 8 月30 日に録音された Fa-Fa-Fa-Fa-Fa ( Sad Song )の B-side にもなって Volt 45-138 として同年 9 月 7 日にリリースされています。
Fa-Fa-Fa-Fa-Fa ( Sad Song )は R&B チャート 12 位、Pop チャート 29 位にまで達しました。
あと、Rhino のブックレットでは、おそらくこのあたりの録音ではないか?としてるのが 1992 年 4 月19 日にリリースされたアルバム、Stax 33-8572: Remember Me に収録された I'm Coming Home ですが、これをこの時期、と特定したコンキョは Rhino が提示していないため、なんとも・・・

9 月13 日には

I'm Sick Y'All : Volt 45-141/ 1966.11.14
Sweet Lorene : Volt 45-157/ 1968. 1. 8
Day Tripper
Try A Little Tenderness : Volt 45-141/ 1966.11.14


などが録音され、その前の Fa-Fa-Fa-Fa-Fa などと一緒にアルバム Complete & Unbelievable...The Otis Redding Dictionary of Soul っちゅうスゴいタイトルの Volt 33-415 として 10 月15 日にリリースされています。
その収録曲は上記以外に

Tennesse Waltz
My Lover's Prayer
She Put the Hurt On Me
Ton of Joy
You're Still My Baby
Hawg For You
Love Have Mercy


Try A Little Tenderness は R&B チャートの 4 位、Pop チャートの 25 位を記録しています。
他に Stone っちゅうワケ判らんレーベルから 1976 年に Volt 側に「無断(?)」でシングルで出された You Left the Water Running と、こちらは STAX 33-8572: Remember Me に収録された Trick Or Treat の 2 曲が 1966 年の録音「らしい」のですが、そのデートは不明なようです。
また、"Things Go Better With Coke" でお馴染みのコカ・コーラの CM ソング A Man and A Woman というのも吹込んでいるらしいのですが、Rhino の資料で見る限り、それは結局オン・エアされていないようなんですねえ。もしかすると、彼の不慮の死がその背景にはあったのかもしれませんが・・・

「つづく」

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