Otis Redding 4 4th 2005-10-05 WED. | さて、本日もまた新たな情報のカケラから始めましょか。 ただし、このエピソードにも残念ながら具体的な日付が付されておりませんので、他のエピソード(あいにくそちらもその日付については「あいまい」なままの記述です)との前後関係が「まったくもって」定かではございません。 唯一、Otis Redding が 15 才のとき、という記述が入っているため、ある程度の Time Line には乗りますが、だとしても他のエピソードのほうが正確には「いつ」なのか、がアヤしいため、どうにも扱いに困るところです。 したがって、現状では Biography の本文に加えるにあたり、アマチュア対象のコンテストで連勝した、という話の後に入れておくことにいたしました。 将来において、そのヘンの具体的な Time Line が判明しましたら、スグに修正いたしますが、とりあえずはこのままでアップすることといたします。 その部分を Biography に再録するにあたり追加した文章をここに載せておきます。 Ballad Hudson High School の第10学年で(日本でいう高 1 かな?)おそらく家計を助けるためにドロップ・アウトして Little Richard のバンド the Upsetters で働き(ある資料では、彼のステージ・ネームを Rockhouse Redding であった、と。ローディー兼ドライヴァーあたりだったのでしょか?当時の写真では他のメンバーは楽器を手にしているなか、彼はマイク・スタンドを手にポーズをつけているものがあります)家には週 25 ドルを送っていました。 また、当時 Gladys Williams(このひとについてはよく判りません。地方の名士でしょか?お名前からすると女性のようですが)が主催していた Sunday night talent show(それが正式名称ではなさそうですが、賞金は 5 ドルでした)では 15 週連続で勝ち抜き、それ以上の出場を断られたのだとか。 このころのエピソードと思われるのですが、近所で「 Plantation Inn 」という(この Plantation Inn に関しては、当時の南部にあっては「一般名詞」だったのかもしれませんが、手持ちの辞書では該当する一般名詞としては発見できなかったため、一応、固有名詞扱いとしておきますが、案外プランテーションに付随する簡易な宿の総称かもしれません)周辺住民に開放されたサロンを持っていた Claude Sims という人物は、15 才の Otis Redding から相談を受けているようです。 数々のアマチュア・コンテストや、アマチュアを出演させるショーなどに出まくっていた Otis も、それが結局はさほど金にはならず(賞金やギャラはゼロか、あっても僅かだったみたい)さほど生活の助けとはならないことに苛立ち、彼のサロンで毎週、金曜の夜にパフォーマンスをさせて欲しい、という申し出でした。 Sims はこれを了承し、これによって Otis Redding はそれまでのような一出演者ではなく、「自分のショー」を持つことが出来て、さらにスキルをアップさせていったのかもしれません。 ま、こんなエピソードはこれから先もまだまだ出てくると思いますので、随時追加していくつもりです。 さて、昨日は 1966 年の Coke の CM ソングのところまででしたね。 ではその続きをどうぞ。 翌 1967 年の 1 月 18 日と 19 日にかけてレコーディングが行われ、そこでは New Year's Resolution ( with Carla Thomas ) : STAX 45-244 / 1968. 1.24 Tramp ( with Carla Thomas ) : STAX 45-216 / 1967.4.13 / R&B-#2, Pop-#26 の 2 曲が Carla Thomas とともに吹込まれ、そして Volt ではなく STAX からリリースされています( Tramp のカップリングは Tell It Like It Is。New Years〜については後述)。 続いて 1 月20日以降は Open the Door: Volt 45-163/ 1968. 4. 8 ( The Happy Song の B 面となる) Knock On Wood ( with Carla Thomas ) : STAX 45-228/ 1968. 7.28/ R&B-#8, Pop-#30 Lovey Dovey ( with Carla Thomas ) : STAX 45-244/ 1968. 1.24/ R&B-#21, Pop-#60 I Love You More Than Words Can Say : Volt 45-146/ 1967. 3.21/ R&B-#30, Pop-#78 Let Me Come On Home : Volt 45-146 ─ つまり上の曲の side-B などが録音されています。 ところで、Rhino の CD ボックス・セットの三枚目のアタマには 1967 年に録音されたらしい Otis Redding のスピーチ(?)が収録されており、それは、自分が学校を中退していることから、学校に通うことの大切さを説き、ドロップ・アウトしないように、っちゅうものなんですねえ。 確かにどしても学校が肌に合わない、なんてんじゃなく、生活苦から通えなくなった身としては、いっそう学校教育の欠落がコタエたことでしょう。 事実、初期の Barkays では、まだ就学中のメンバーがおり、Otis は彼らがきちんと学業を「まっとう」できるよう、活動をその時間に合わせて融通し、「まるで彼らの父親のようだった( by Zelma Redding )」そうですから。 ここら、アメリカン・フットボールの精神(?)とも似通ったものを感じますね。 勉強なんて落第せん程度でいいから、っちゅーか、多少アタマ悪くても「いいタマを投げる」なんてピッチャーがいたら「推薦入学」で入れちゃう「どっかの国の野球の強い私立高校」なんかとは大違いで、チームのコーチは選手達に A クラスの成績を要求し、それが達成できなければレギュラー落ち、という「スポーツ馬鹿じゃない」メンバーでチームを構成していく・・・ いえね、日本もかくあるべきだ、なんて言う気はさらさらございません。 でも、そういう世界もあるんだ、ということは覚えといてもいいんじゃないでしょか。 ところで、この1967 年の 2 月には、なんと「次のクリスマス用に」 Merry Christmas, Baby と White Christmas の 2 曲が録音されているんですねえ。 しかし⋯ この 2 曲が A/B 面のカップリング・シングルとなった Atco 45-6631 は結局、1968 年の10月23日に発売されることとなったのでした。 そして、こちらは 2 月13日、と日付もハッキリしてる録音で、 Glory of Love : Volt 45-152/ 1967. 6.30/ R&B-#19, Pop-#60 Tell the Truth : Atco 33-333/ 1970. 7. 1 Slippin' and Slidin' : Atco 33-333 などが録音され、それと同じ日付か、あるいは別な日か不明ですが(たぶん別?) I've Got Dreams To Remember : Atco 45-6612/1968. 9. 3/R&B-#6, Pop-#41 Hucklebuck なども録音されていますが、Hucklebuck というのは例の「学校をドロップ・アウトしないように」呼びかけるキャンペーンのための V/A アルバムに収録されたものでした。 I've Got Dreams To Remember のカップリング曲は Nobody's Fault But Mine。 この 1967 年は Otis Redding のヨーロッパ・ツアーのライヴ録音が生まれた年でもあります。 3 月のヨーロッパ公演から Respect Can't Turn You Loose I've Been Loving You Too Long My Girl Shake Day Tripper Satisfaction Fa-Fa-Fa-Fa-Fa These Arms of Mine Try A Little Tenderness などが Volt 33-416 Live In Europe として 1967 年 7 月10日にリリースされています。 「つづく」 |
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No.1262