Robert Nighthawk

#3


2005-10-22 SAT.




1940 年には Chicago に移り、主に Curtis Jones や Leroy Jackson などとウェストサイドや State Street 周辺で演奏を行ったり、セッション・ワークをこなしていた他に自身のバンドもあったようですが、そこにはギターとして John Henry Barbee を擁するほか、アコーディオン奏者(氏名不詳)もいたらしく、スゥイング系のナンバーを演奏していました。
また Big Joe Williams によると Robert Nighthawk は South Wabash Street 3410 番地に「自分の」レコード・ショップを持ち、Chicago にいる間はそこにいたそうですが、多くの証言が「彼は一ヶ所に落ち着くことをせず、特に Chicago には長居をしなかった」と指摘していますから、あまりそこにいた時間もさほど多くはなかったものと思われます。
ただ、1940 年代の前半と言えば、モチロン第二次世界大戦が勃発しておるワケなのですが、どうも、それが彼の生活に及ぼした影響というのがあまりよく判らないんですね。

それには彼の年齢的なものもあるのでしょうか?
彼より 9 才も年下で、まだバリバリの(?)20 代だった Elmore James は海軍に入り、グアム島まで行って来たんですが、この Nighthawk の周辺では参戦どころか、あまり戦争の影さえ語られておりません。
かって「大きくなったら俺のところに来い」と言っておいた息子の Sam Carr が Helena の Franklin Street 308 番地で一緒に住み始めたのが 1942 年あたりと言われております。おそらくアメリカが太平洋地域でさあ反撃!ってあたりなんですが。

ただし、このころについて Houston Stackhouse の回想では多少の「違い」があって、それによれば Nighthawk は 1939 年から Mississippi 州 Clarksdale の WROX、そして Tennesse 州 Memphis の WDIA にも出演しており、あるいはその両方の中間地点( Clarksdale まではほぼ 40km、そして Memphis まではおよそその 2 倍ほど)ということで Arkansas 州 Helena だったのでしょうか?ま、次に出て来る KFFA の話がまた Houston Stackhouse の話とは整合しないので、はたして真実は?

マイク・ブルームフィールドが行ったインタビューによれば、一般に信じられているように、Tampa Red からそのスライドを受け継いだ、というのは「違う」んだそうです。
─ Tampa Red のスライド自体は好きだったけど、それをなぞったプレイはしていない、アイデアのレヴェルだ、と主張してます。
これについては Robert Nighthawk のスライドは Greenville のナイフ・スライド走者、Sonny Boy Nelson こと Eugene Powell から学んだのだ、とする説もあります。
そして、ここでも Houston Stackhouse が登場しますが、彼によれば Nighthawk は「まったく」Tampa Red そっくりに弾くことが出来たし、ところどころにそれが出ていた。のだそうです。
1940( alt. 1942 )年にはヘレナの KFFA の番組(「Bright Star Flour Hour」金曜夜)出演枠をゲットし、その放送では自分の名前を Robert Nighthawk としてアナウンスしています。
息子の Sam Carr と一緒に暮らし始めたあたりは、かなり集客力もあったようで、そこら、さすがに番組を持った効果か、どこでも 200~300人がすぐ集まったらしく経済的にも安定したみたいですが、カネの分配の件で仲間と感情的な対立になったこともあったみたいですね。

やがて Earl Hooker や Ike Turner なんかとの付き合いも始まっています。
その Ike Turner のガール・フレンドだった Nanny Mae とは 1945 年に知り合ったようですが、その 2 年後の 1947 年には「結婚」しています。
それを機に彼女の名前を Ethel Mae に改めさせ、一緒にステージに立つようになりました。その Ethel Mae のヴォーカルが Aristocrat に残っています。

1948 年11月10日から吹き込んだ Aristocrat の録音には有名な Sweet Black Angel(こちらは 1949 年 9月12日のセッション)が含まれ、それによって彼の名声は確立された、と言ってもいいんじゃないでしょうか。

Down the Line: vcl.に Ethel Mae -U7127
Handsome Lover: 同上 -U7128
My Sweet Lovin' Woman: Chess 1484( 1951年にリリース)-U7130


─この三曲が 1948 年11月10日、ピアノに Ernest Lane、ベース Willie Dixon で吹込んだもの。

She Knows How to Love A Man* -U7194
Sweet Black Angel: Aristocrat 2301 -U7195
Annie Lee Blues: Aristocrat 2301 -U7196
Return Mail Blues*: Chess 1484 -U7197
Sugar Papa: vcl. Ethel Mae -U7198


* ─ Jeff Harris は She Knows How to Love A Man と Return Mail Blues を 1948 年の録音としていますが、Charly Records からの CHESS CD RED 29、Robert Nighthawk / Forest City Joe : Black Angel Blues には Aristocrat のマスター・テープのシリアル・ナンバーが付されており、その連続性を勘案すれば Jeff Harris が「間違っている」と思われます。「-U」で始まる 4桁のナンバーがそれ。
ただし、欠けている U7129 が Return Mail Blues で、U7197 は別テイクだった、という可能性も「無いワケではない。」

続いては 1950 年 1 月 5 日の録音で、ピアノが Ernest Lane から Pinetop Perkins に代わっています。

Good News: vcl. Ethel Mae -U7226
Six Three O: Aristocrat 413 -U7227
Prison Bound -U7228
Jackson Town Gal: Aristocrat 413 -U7229


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