Robert Nighthawk #7 2005-10-26 WED. | 昨日の書き出しでは『1964 年 9 月の演奏が Rounder から Live On Maxwell Street 1964 としてリリースされ、それは Big John Wrencher と Carey Bell のセットでは Little Arthur Duncan がギターで加わり、Robert Nighthawk のセットではドラムが Jimmy Collins( accomp. unknown としてあるものを除く)、サイド・ギターに John Lee Granderson が参加しています。 ・・・と昨日の日記ではお伝えいたしました。がっ!』 ・・・と言うのに、もひとつ、「がっ!」 江戸川スリムさまより、その Maxwell Street でのライヴに関する詳細な資料をいただき、このままでは「間違った」記載になってしまうことが判明しましたので、そこら、訂正させていただきます。 まず、一昨日の日記で言及した Rounder からの Live On Maxwell Street 1964 というアルバムですが、これがとんだ喰わせものだったようでございます。 そもそもは Mike Shea(日本ではマイク・シェイ、と読んでいるようです)というインディーズの(なんてコトバは当時は無かったでしょが)映像作家が 1964 年夏の Chicago、Maxwell Street に週末ごとに通って撮影したフィルムと、そのサウンドを収録していた音声テープが「大量に」作られたらしいのです。 それらの Audio & Visual は統合されて、これも日記で書いた And This Is Free というドキュメント・フィルムとして完成し、公開されたのでした。 しかし、その新しいドキュメント手法は「当時の映画ファン」にはまったく迎合していなかったため、大した評価もなされることがなく、ために撮影されて未編集のままの大量のフィルムは「お蔵入り」となり、人々の記憶からも消えて行くところだったようです。 それが皮肉なことに Mike Shea が事故で急死したことにより、その子息が遺品の整理をするうち発見された「オリジナルの」テープが奇跡的に世に出て、P-Vine→Rooster の And This Is Maxwell Street となったワケですね。 ん?じゃ、Rounder のは?ってことになりますよね。 なんと、これって Mike Shea の下で雇われていた録音技師が「不正に」横流ししたものだったんですねえ。 そもそも、その音源(マスターからのアナログ・コピーですから、正確な意味での「音源」ですらないよなもんですが)を販売する「資格も権利も無い」人間が勝手に Mike Shea の知らないところでそんなことをしていたようです。 とゆーワケで、同じ演奏がクレジットされていても、マスターから正確に起こしたディジタル・マスターを使用した P-Vine 以降のものと比べると、かなり音質の落ちる、そしてなによりも、「不正な手段で」流通した Rounder 盤は、いま、これを読んだみなさまには「買ってはいけない」アルバムとして理解していただけたことでしょう。 ま、Rounder 自体が「善意の被害者」なのか、あるいは「黙認による共犯者」なのか、はワタクシには判りませんが。 詳しくは、江戸川スリムさまとこのこちらで! ところで、これも江戸川スリムさまに指摘されて気付いたのですが、ワタクシ、 1940 年 6 月 5 日の Decca での録音のとこで Decca の戦後録音の資料を「わざわざ」取りのけといたのをすっかり忘れ、まったく触れずに終わってしまいました。 この同じ 1964 年に Nighthawk は Decca のために Merry Christmas Lula Mae の 2 曲をレコーディングしています。 このときのメンバーは Walter Horton のハープにピアノが Henry Gray(ちょっとアヤしい baddogblues.com はこれを Willie Mabon とし、さらにギターに Johnny Young も加わっていた、としています)、ベースに Willie Dixon(同 Andrew Stephens )、ドラム Clifton James でした。 この 2 曲は Decca LP 4748 Blues-Southside Chicago に収録されています( baddogblues.com では Flyright の FLY 521 の名を挙げてますが、江戸川スリムさまによると、それは Decca の再発のようでございます)。 別に「虫の知らせ」ってワケじゃなかったんですが、Robert Nighthawk(あるいは Night Hawk )の Biography をまだ完成させてなかったんですよね。 なんでか、1963年の CeDell Davis と一緒に、ってとこまでで、その続きをアップしないままでおりました。 そしてそのおかげでこうしてまた詳しい資料を提供していただくことが出来て、さらに念を入れてチェックすることができます。 一昨日の Maxwell Street の、曲ごとのパースネルも「編集」で直しとこ。 またひとりアメリカの黒人社会にあって、重要な存在であった人物がこの世を去りました。 それは Rosa Louise Parks(旧姓 McCauley )で昨日、老衰のため Detroit で死亡しています。 1913年 2 月 4 日生まれですから 92才ですか、かなり長寿だったんですね。 1955年に Alabama 州の州都 Montgomery で起きたある事件で、アメリカの公民権運動にとって重要な一里塚となったバス・ボイコットの主役だった女性です。 Montgomery から東に 40km ほどのところにある Tuskegee(最近の統計では人口の 95% が白人、という町です)で生まれた彼女は 1955年12月 1 日、Montgomery 市内のバスの中で、運転手の「そこは白人の席だから、向こうの Colored の席へ移れ!」という指示に逆らったことで「治安を乱した」として拘束されてしまったのです。 アメリカの最高裁はこの逮捕自体を「違憲」である、と裁定したのでしたが、市営バスは座席の分離を改めようとはしませんでした。 これに対し、当時バプティスト教会の牧師だった Martin Luther King Jr.に指導された黒人たちによる市バスのボイコット運動へと拡大してゆき、南部に根強くはびこっている人種差別の存在を全国レヴェルにまで周知せしめることとなったのです。 後に Detroit に移り住み、そこでもまた別な事件に遭遇しているのですが、そこら詳しくお知りになりたい方は Sly & the Family Stone でどうぞ。 さて、事件からちょうど半世紀が経とうとしていますが、アメリカでの黒人たちの「人間としての尊厳」はきちんと尊重されるようになった、と言えるのでしょうか? あのハリケーンの際の、アメリカ政府の「扱い」がはからずもその答えとなっているように思えるのですが⋯ |
permalink
No.1283