Sweet Home Chicago

Robert Johnson


2005-11-20 SUN.




なにをいまさら!と言われそうですが、もうとっくに採り上げたような気がしてたこの Robert Johnson の Sweet Home Chicago ですが、考えてみればあちこちで言及こそしておりましたが、正面からは採り上げてはおらなんだ、っつーことで(?)まさに「今更ながら」そのへんを⋯

この Robert Johnson の Sweet Home Chicago、観光客相手の「シカゴいいとこ一度はおいでアラエッサッサ〜!」みたいな「アッパー」かつポジティヴなイメージで Sweet Home Chicago を捉えているひとには、ちょっと違和感があるかもしれません。
歌い出しの Ohhhhh、というところに感じてしまう「切なさ」、そこには Chicago という別天地に対するイメージと、しかし、それがなにかしらの確実な「未来」を約束しているワケではない、ということへの醒めた視線、でもまた、現在の境遇に対する「決別したい想い」などがないまぜになった複雑な葛藤があるような気がする⋯なんちて、そりゃ考え過ぎ、ってもんでしょね。

あの Magic Sam の Ann Arbor での Sweet Home Chicago は、もう既にそこに住んでいて、言わば Chicago の光も影も見てしまった上での割り切ったダイナミズムで疾走しているかのような(あ、モチロンそれはワタクシの浅薄な印象でしかないですから、んにゃ違う!っちゅー方もどっさりおられることでございましょう。みなさまそれぞれで「味わい」を比べてみてくださいませ)印象だったのですが、この Robert Johnson の Sweet Home Chicago では、むしろ Chicago への「距離」を感じてしまいます。

そこらワタシみたくシカゴ(はおろか、まだ一歩も日本を出たことが無い!)を知らない人間と、すでにそこで何年かを過ごしたひととでは、もちろん Chicago という「単語」にまつわって「思い浮かぶ」ものもまたまったく違うのは当然でしょうね。

未知の街としての Chicago に対しては「憧れ」と「不安」がつきまとい、それぞれに勝手なイメージが広がりがちなのですが、この Robert Johnson の Sweet Home Chicago が持つ距離感が、その意味では共感できるものがあります。
さて、自分では、となると、やはり Sweet Home Chicago、なかなか歌えないですね。あんまりイージィには歌いたくないというか、かえって難しい曲、と言えるかもしれません。
なにも考えずに歌えたらラクなんでしょけど。




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