Come Back Baby Doctor Ross 2005-11-24 THU. | おそらく有名なのはこの次に吹込んだ Boogie Disease の方でしょうが、ここではより彼らしい、もろワンマン・バンドの香りがぷんぷんしてるこちらをセレクトいたしました。 シンプルな「どたどた」リズムに乗せて、とても戦後 1953年( 10月 )の録音とは思えない(あ、音質はさすがに戦後録音らしく、うんと良くなってますが)オールド・スタイルな伴奏ぶりが聞こえてまいります。 それはどうゆうとこか、ってえと、やはりひとりで全部やってるせいか、ヴォーカルと同じメロディを弾くギター、またハープと同じ音を選んでるギターなど、バンド化して分業していたら表れないそこらへんの特徴ってのを感じてしまうのですよ。 もちろん、それがダメだ、と言うことではなく、なんだかとっても「人間臭く」ていいなあ、と思うのでございます。 旧盤には強い Discogs にはセンター・レーベルの画像つきで、10 インチ・シェラック 78 rpm が紹介されておりましたから、現物が存在する以上、SP 盤としてリリースされたことは間違いないようですね。 Come Back Baby / Doctor Ross : SUN 193 ( B-Side は Chicago Breakdown ) ついでながら同じ Discogs では 45rpm の EP Single も紹介されています(同サイトによればリリースは 1995 年 1 月) あ、EP というのは 1949 年に RCA Victor がスタートさせた新規格で、直径 7 インチ、毎分 45 回転の、正式名称 Extended Play を略したもので、当初、片面につき 1 曲だけのものと 2 曲入りのものの両方があったらしく、この片面 2 曲、両面で 4 曲というところから、混同して「17cm で 33 と 1/3 回転で 4 曲入り」を EP としている解説がありますが、EP は収録曲数にかかわらず「必ず」45rpm でなければいけません。 一時、日本国内では「コンパクト・プレイ」の意味か CP と表記していたメーカーもあったように記憶していますが、さだかじゃありません。 それはともかく、この 1953 年の時点では、まだまだ SP 盤の需要が多かったのでしょうか? Charles Isaiah Ross は 1925 年 10月21日に Mississippi 州 Tunica で生まれています。 そしてその 2年後には、先日の CeDell Davis が(ただし生まれは Arkansas 州 Helena )やがて兄のいた農園に移ると、そこがその Tunica にほど近いところにあったため、Isaish Ross と Ellis Davis は幼なじみとなる・・・ Isaiah に影響を与えたブルースマンとして Robert Johnson の名前を挙げているサイトもありましたが、そこらどうなんでしょ? こうして聴いてみても、あんまりその影響ってハッキリしないように思うのですが。 むしろハープの方での Sonny Boy I、ってのはなんとなくそうかな、って気もしますが。 ところで、彼はギターを左で弾くのですが、一説によると、なんとハープも左右が逆、つまり左が高いピッチというセッティングだったそうで。 いやまあ、ダメってこともないでしょが、なんでそうなったのかなあ?っちゅうギモンが・・・ ところで、どうもこのひとがいつごろからブルースを演奏するようになったのか、なんてとこがイマイチよく判りません。 Discogs の記載では彼はドラムとハープを覚え、やがて 1938 には人前で演奏すうりょうになっていたそうで⋯ 第二次世界大戦では陸軍付属病院に所属し(あるいは付属の)United Service Organization ─ USO のショーを行う一座に所属して演奏しているうちにハープだけではなく、ギターや、さらに空いている両足でキックとハイハットも操るようになった、というハナシもあります。そしてその頃、彼がハープを入れて運んでいたのが医者用の鞄だったために「ドクター」という綽名を賜ったのだ、と。 除隊後は Memphis に落ち着き、そこでは WDIA の番組を通じて有名になり、1951( 1952としている資料もあります)年に CHESS での吹き込み、CHESS 1504、Country Clown / Dr. Ross Boogie ─ Doctor Ross and his Jump & Jive Boys 名義が初録音となります。この録音は SUN の( 1952年 3月以前だとすれば、まだ正式に「 SUN 」にはなっておらず、Memphis Recording Service のままか?)Sam Phillips がプロデュースしており、その縁で 1953年のこの Come Back Baby の吹き込みとなったのでしょう。 続く 1954年に録音された The Boogie Disease は彼の代表作ともなったのですが、この年、彼は memphis を離れ、Michigan 州 Flint に移っています。 そして General Motors の門衛(!)の職についたとか。 しかし 1965年には初めて彼のソロ・アルバム Call the Doctor を録音して、さらにヨーロッパでの公演と、この時期の彼はかなり知名度を獲得することが出来たようです。 ただ、とあるサイトでは 1970年代に、一時 Dr. Ross は「もう死んでいる」という説が流れたことがあった、としておりましたから、そのあたりではシーンへの露出もかなり少なくなっていたのでしょう。 その彼が実際に死亡したのは 1993年 5月28日のことでした。 |
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No.1312