My Little Angel Mercy Dee Walton 2005-12-09 FRI. | いささか演出過剰気味な(でもよっく聴くと結構アナだらけっちゅうか詰めの甘いとこもあるんですがね)豊かに響くピアノに乗せて、かなりくだけた感じの、そう、ジューク・ジョイントなんてとこよりは、もっと都会的なクラブ、はたまたカクテル・ラウンジなんてのが似合いそなこの唄いかた。 なのにバックの Sidney Maiden のハープは「もろ」洗練されてなくて(!)、その対比がまたなんとも言えない味を出しておりますねえ。 バックで「シタシタ」っとリズムを着実にとっているのは、これも Mercy Dee Walton とは Sidney Maiden 同様、佳きトリオを形成しておったドラムの Otis Cherry でございます。 この My Little Angel ですが、一連の Black Angel Blues → Sweet Black Angel っちゅう流れの中のいちヴァリエーション?てなタイトルに見えないこともないのですが、聴いていただけば判るとおり、多少のインスピレーションを得ている可能性までは否定できないものの、基本的にはこの Mercy Dee Walton の手になるオリジナルでございます。 なにしろこのお方、結構ソング・ライターとしての才能には恵まれておるらしく、昨年の 10月に採り上げた Johnny Guitar Watson の One Room Country Shack、あの曲のオリジネイターでもあらせられるのですねえ。 さて例によって彼のことを調べにかかったところ、二・三のサイトで、彼のことを「ルーラル」なスタイルのブルース、なんて紹介してるのを見ました。 えええ〜っ?どっ、どこがぁ! まあ 1953 年に Specialty に吹込んだ、オリジナルの One Room Country Shack では、「そう言えないこともない」かもしれないけど、この、彼の全盛期(?)とも言える 1961 年の録音では、冒頭で書いたように、むしろクラブ(ここでいう「クラブ」はブルース・クラブっちゅうより、『カサブランカ』ね)で「丸くなっちまった」ヴォーカルや、聴かせどころを強調するピアノの伴奏手法など、どしたって「ルーラル」だなんては言えないと思うけどなあ⋯ Mercy Dee Walton は 1915 年の 8 月 3 日に Texas 州 Waco で生まれています。 およそ Mississippi 川流域の黒人たちがどちらかと言うと北を目指し、Chicago に漂着するケースが多いのに対し、その Texas 州からは、むしろ西海岸、California 州に移動するケースが目立ちます(そー言えば Sly もだ⋯)。 Waco は、西の San Antonio と東の Houston を底辺として、一辺およそ 300km 強の正三角形を地図上に描いたとき、その頂点であり、もうちょっとでさらに北にある Dallas に届く、という位置にある町です。 町の西側には Lake Waco があり、その北の湖岸には地方空港もあるようですが、なんせカンジンの Mercy Dee Walton が、いったい何才までこの町にいたのかさえ判りませんので、この町について述べること自体がなんの役にも立たない可能性も「大」でございます。 ともかく彼についての詳しい Biography ってもんに今回は辿りつくことが出来ず、したがってピアノを弾くようになったいきさつやらそこらへんのエピソードなど、ゴッソリと欠落しておるのですねえ。 そんなワケで、時期的なことなどさっぱり不明ではございますが、いつしか西海岸、それも大都会である San Francisco や Los Angeles ではなく、その San Francisco から東にほぼ 80km 以上も離れた Stockton(現在ではある種、学園都市でもあるようで、C.S.U. ─ California States University ─ Stanislaus Stockton、さらに University of the Pacific、San Joaquin Delta College があり、あと、周囲にはなんでかゴルフ・コースが多い⋯)に居を定め、一帯の San Joaquin Valley と呼ばれる谷筋(つーか、ようするに「カリフォルニア地溝帯」として知られる地震多発区域じゃなかったっけ?)の街々を演奏して歩いていたようでございます。 その彼の初録音は 1948 年に同じく San Francisco から南東に 200km 以上も離れた町 Fresno で中国系の移民、あるいはその子孫と思われる Chester Lu. という人物が経営する独立レーベル Spire に吹込んだのが最初のようです。 このときの Mercy Dee Walton は ─ a piano player / singer from Texas, who was also a farm worker ─ と表現されておりますので、この 1948 年に「初めて」西海岸に出て来た、という可能性も考えられないことではありません。 ま、どっちにしても確証がないので、そこらは「?」のままなんですが。 そして 1949 年には Lonesome Cabin Blues 、さらに 1953 年には前述の One Room Country Shack がそれぞれヒットし、おかげをもちまして、例の地溝帯沿いに労働キャンプなどの演奏をして歩いていたのでしょう。 やがて Chris Strachwitz のセッティングで、おそらく Stockton の彼の自宅で(?)の録音が 1961 年 4 月16日に行われ、その時に収録された 16 曲から 9 曲が Bluesville BVLP-1039 Pity and a Shame としてリリースされました。 Pity And A Shame* Your Friend And Woman Five Card Hand* Have You Ever Been Out In The Country After The Fight* One Room Country Shack My Little Angel* Shady Lane The Drunkard* * のナンバーでは Otis Cherry のドラム、Sidney Maiden のハープが参加 このアルバムではなかなかにノリのいいブーギ、Five Card Hand (最初、こっちを採り上げよっかなー?なんて思ったんですが、むしろこっちのほーが彼のヴォーカルの粘度みたいなものがはっきりしていいような⋯)なんてのも入ってますが、「野中の一軒家」のほーはちょっとイメージがちゃうかな?田舎の、じゃなく「郊外の」ってな感じでしょか。 Mercy Dee Walton はこの録音の翌年、1962 年12月 2 日、Stockton からさらに東、山に分け入った(?)Murphys で死亡した、とされていますが、まだ 47 才という若さで、どのような事情で亡くなったのか、は残念ながら僅かな記載ですら発見することが出来ませんでした。 彼の遺骸は Stockton の墓地に葬られたとされています。 |
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No.1327