As The Years Gone By

2005 / 2006


2005-12-31 SAT.




さて、2005 年も残り僅かとなりました。
あちこちで今年を総括するよなことをしておられるのでしょが、ワタクシはごく個人的なことに限定いたしましょ。

振り返って見ると、この 2005 年の 1 月 8 日早暁、満を持して「差し替えられた」まったく新しいデザインのトップ・ページが 2005 年「最初の」ビッグ・イヴェント(?)でございました。



それ以前からトップ・ページに関しては例の「文字の JPEG 化」を推し進めてきておったのですが、やはりそれまでの形式から「根本的に」変革しよう、という決意のもと、PC 上でイロイロ遊んでいるうちに次第に形を成してきたのが今のデザインのプロト・タイプとなったものでした。
ただ、そのプロト・タイプでは、左から 1/3 あたりのところに赤い縦線が入り、左の区画の上の方に三行に分割された Blues と After、それに Dark が並び、その下に今もトップ・ページを飾っている Black MOSES。
そして赤い線の右にはコンテンツが並ぶ⋯というものでした。

それならそれでも良かったような気がしますよね?
でも、ひとつだけ気に喰わないとこがあったんです。
それは、そのレイアウトだと、コンテンツの行数のカンケーで「必ず」垂直スクロール・バーが出ちゃうんですよ。
モチロン、それがどーした!ってえのが世の趨勢ではございましょうが、ワタクシがこれまで見てきて(特に写真や美術系のサイトなど)デザインの良さに感銘を受けたサイトってのは、どれも水平&垂直スクロール・バーなんて出ないのでございます。
そこで発想を逆転させて、「それ」が出ないようにコンパクトにまとめることをテーマに組みなおしたのが今のスタイルなのです(あ、細かい比率、サイズ、また元の JPEG のサイズなどは今と少し違います。最初はアップを急ぐため試作の JPEG をそのまま流用していたため、スムージングの無い PC では文字が荒れておりました)。

ただ、このときのプロト・タイプのデザインは、そのフォーマットを多少アレンジされて Screamin Jay Hawkins の Voodoo Cafe のページなどに使用されております。

さすがに(?)ようやくマンゾクできるデザインが完成しただけあって、それ以降はちょっとしたマイナー・チェンジ( Black MOSES と Red Hot が入れ替わるヤツとかね)だけで、基本デザインには手を入れておりません。
最近のマイナー・チェンジとしては、一部の WINDOWS マシーンではリンクを仕掛けたとこがマーキングされて「せっかくの」デザインが台無しになるのでそれを「追放(?)」した、ってことでしょか。
それらの隠しコンテンツ(のハズだったんですが⋯)、アクセス解析を見ると WINDOWS ばっかし、ってののナゾが解けましたねえ。
今度は直接お会いして、ほらココをこう⋯と教えない限り、誰も判らないよにしちゃいましたから、いまのとこ、アクセス解析を見ても毎日ゼロの連続です。
うひうひ、そーカンタンに入ってこられちゃ価値が半減する、ってもんですからねえ。

次のトピックは、これも宿願だった(はちとオーヴァーかな?)Elmore James の連載を 1 月17日から 2 月 9 日までやっちゃってます。
まー考えてみりゃ、こんな自分勝手な採り上げ方って無いですよねー。あくまでも自己満足の世界ですわ。
公民権運動と絡めて連載し「ちゃった」Sly and the Family Stone から、さらに戦線を拡大したこの Elmore James で、およそ「そっち(?)」方面の欲求はほぼ満たされましたので、その後、それらに匹敵するような連載のプラン、なんてのがしばらく出てきそうもありませんね。

さて、今年はとめごろおさんと大江戸セッションに一緒に参加ってえのをいたしましたねえ。
まずは 6 月19日。もちろんとめごろおさんも前日から東京入りして一緒に森下の京金で蕎麦、夜は寿家(しかも、久しぶりのいしがきじまも駆けつけてくれて一緒に呑みました)。あ、その前に楽器街に自転車店巡りに秋葉原探検なども楽しんでおります。
モチロン曳舟のスタジオで行われたセッションでは、とめごろおさんも思いっきりプレイ出来てマンゾク?
彼とは 10月にもそのセッション・メンバーをコアとした大江戸パーティ( at 押上)に参加させていただいてます。
そのときは久しぶりの厚木ファッツさんとかつさんも来ておられて一緒に出来て楽しかったなあ。

ところでその 6 月のセッションではとっても可愛いお客さんが来てくださいました。
自転車カンケーのブログで知り合った maymay18bt ちゃん。イースト・トーキョーは初めてです、と言いつつ曳舟まで来てくれて一緒にスタジオ入りしました。
その後、仕事の部署が変わったのか業務内容がかなりハードになったらしく、いろいろ大変なようで、ときどき落ち込んだりもしているようですが、来年はゼヒ一緒に呑みたいものでございます。

そして 7 月14日、ホーム・ページ Blues After Dark のカウンタが「まさか!」の 100,000 を刻んだのでございました。
ただ、例によって地味なカウンタゆえに気づかれなかったのか、その直前の Stumble 杉様の 99,999 しか判りませんでしたが。
いやあ、そんな数字をこんなに早く目にするとは思いませんでした。
でも、多くはネット検索で参照されたついでに INDEX PAGE も見てく、って感じなんでしょか、まったく反応が無いんですよねー。
ま、自分だってブルースマンの生涯を追って、次々ネットを渡り歩いてるときって「いちいち」 BBS にご挨拶なんて書き込んで来ませんから、そりゃそーだろなあ、とは思いますが。
ともかく、数字の回る速度が速くなったのは、やはり Sly のとこに公民権運動の活動家の名前がどっさり登場するようになってからだったようで、そこらからも「非ブルース圏」からのアクセスが多いんじゃないでしょか(でも確証ナシ⋯)。

その同じ 7 月の下旬には、なんと!あの Billy Branch と Sons of the Blues のライヴが弘前からも近い浪岡と、次の日にはまた青森で二日間ライヴ!
いやあ、サイコーでしたねえ。江戸川スリムさまもおいでになられ、さらに、みっくおかさんも一緒にブルースをたっぷり味わうことが出来ました。
スリムさまは一行の接待(?)ホントにごくろーさんどした。

9 月からはこれまでのブルース日記から抜粋して Biography だけのコンテンツを作り始めました。
原文から曲紹介部分を削るだけでいいからラクショー!なんて思ってたんですが、いざ始めてみると⋯
結局、あと僅かを残すだけなのに年を越しちゃいましたねえ。(と言った舌の根も乾かないうちに「ひさお庵」でウマい蕎麦喰ってきたおかげか、突然ヤル気を出して、なんと大晦日の午後九時ジャストに完了いたしました!)
ま、追い込み時期に iBook の HDD 昇天っつうトラブルがあってスケジュールがクルっちゃったってのもあるんですが。
2005 年、最後のトピックがその iBook の受難なのでございますが、おかげで(?)ヘルプとして登場した「不実(?)」PC で自分の HP を改めてチェック出来て、要改良点がいっぱい判明し、またまた充実させることが出来たってのは、まさにコロんでもタダでは起きない、いかにもワタクシらしいエピソードではございました。
さて、シメの日記はこれくらいにして、大晦日らしく(?)、黒石の「ひさお庵」に蕎麦を喰いに行こっと。

みなさま、良いお年を!

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