Antonio's Song

UA by 内田勘太郎


06-01-10 TUE.




1998 年に発売されたアルバム AMETORA に収録された「明らかに」ボサノヴァ・スタイルのナンバーで、ま、この BLUES日記で採り上げるにはちょっと?と思われるかもしれませんが、ま、そこはカンタローのギターですから(?)「いいのだ!」と言うことにしておきましょ。

モチロン UA の唄は好きでございます。
ニホンの女性シンガーの CD で自分でカネ出してまで買う数少ない何人か(他には佐々木麻美子のヴォーカル限定の Pizzicato V など⋯)のひとりでして、特にそのデビュー盤もかなり聴きまくりましたねえ。
ただ、この曲そのものはマイケル・フランクスが Antonio Carlos Jobim の死を悼んで書いた、それこそ「ジョビンに捧げられた」曲なのでございます。
つまり、ここでのアントニオとは、今は亡き Antonio Carlos Jobim のこと⋯

とは言うものの、この曲に関しましては、いえ、今日の日記の主題となるのは、バックの内田勘太郎のギターなのでございます。
おそらくフル・サイズのボディにアンダー・サドルのピエゾ PU と、あるいはそれにエアー・マイク(ボディ内に浮かせてセットされた小型のコンデンサー・マイク)もミックスしての音のように思われる独特の粘りつくような(あ、とは言っても、いわゆる「エレキ」のハムバッキングみたいな意味での「粘り」のことではありませんので)フシギなイントネーションに満ちたその「弦」の音は、ワタクシのよなエレキ育ちにとっても充分に魅惑的なニュアンスに溢れ、思わずアコースティック(の PU つき、って意味ですが)もいいなあ!なんて宗旨変えをしちゃいそうになります。

ま、実際にはここでのカンタローのギターが「いい」のは、当然、そのトーンがいいだけってなワケは無く、ワタクシなんぞ逆立ちしたって出来そうにない、モーダルなスケールも自由に駆使したそのフレーズの魅力が無視できないんですよ。

かく言うワタクシも、はるかムカシ、都下、国立市にいたころ、友人からボサノヴァ・ギターの手ほどきを受け、彼から借りたガット・ギターで「ちょっと」は弾けるとこまで行きかけたこともあったのですが、そこで別な友人たちとバンドを作ることになって、そっちがメインになってしい、ボサノヴァはちょい齧ったちゅうレヴェルでストップしちまったのでございました。
当時、Antonio Carlos Jobim が、確かクリード・テイラーのプロデュースで作ったボサノヴァのアルバムなんて、よく聴いていたものですが、でも、なんでか、そこではギターよりもジョビン自身によるピアノや、クラウス・オガーマンによるストリングス・アレンジなどの方が興味があって、ギターとしてのボサノヴァは、あの日から一歩も進歩してないようで⋯

そうして、この憂歌団をバックにした「アントニオの唄(マイケル・フランクスの方は「歌」だったんじゃあ?)」で、久しぶりにボサノヴァの「香り」に触れたのでしたが、いつしか記憶の表層から後退して行き、ふだんあまり訪れない CD ラックの一角で眠っていたのでした。
それが、ウェス・モンボメリーについて触れたポストを読んで、フと立川のジャズ喫茶で、これもウェスの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が掛かっていた記憶にトび、そこからは連想ゲームのようにあの美しいジャケット・デザインの Antonio Carlos Jobim の WAVE を思い出し、そこから、あ、そー言えば!と AMETORA を探し始めて、やっと見つけましたよ。

久しぶりに聴くカンタローのギターに、また、やはり快い UA の声はなんだか和むものがあって CD を棚に戻すのはヤメて近いとこに置いとくことにいたしました⋯(後日、IBook G4 が復活したことで「この曲だけは」と iTunes に収容しております)

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