Please Send Me Someone To Love

Johnny "Guitar" Watson


06-02-28 TUE.




うひゃあ、早いものでもう二月も最後ですねえ。
ま、なんたって 28 日しかないんですからムリも無い、って?いえ、そゆ意味じゃなく、心理的なモンダイですがな。
今月のアタマには、まだ雪があんなに「どっちゃり」あったのに、もう先週の土曜からは MTB で街中を走りまわれるよになったんですから、っちゅうその「確実に春が近付いておる」感、が効いておるのでございますよ。

とは言え、ひとたび世界を眺めれば、カンゼンにダンゼツした価値観の間での不毛な殺戮行為が終息に向かう気配もなく、むしろその距離を広げる方向に押しやっている現実はいまだに雪解けどころか、万年雪の氷床のごとく、いささかも緩む気配を見せていません。
この Please Send Me Someone To Love という曲が生まれたのは、いわば「神を否定する」共産主義(もちろんヨシフ・スターリンにしろ、金日成にしろ、ケッキョクは自分を「神格化」しようとしていたようなものですから、ある意味、別種の宗教である、と言えるのかもしれませんが)の侵攻によって始まった「朝鮮戦争」が直接の契機だったと思うのですが、その頃の、単純に地図上で識別できる「別個の」国家、あるいは主義間の闘争という位相から、宗教という、ひとつの国にも、その両方の信徒がいるような、これまでとは違った集団間の「抗争」へと様変わりした東ティモールや、同じイスラームでありながら、スンニ派とシーア派が武力闘争を繰り広げる(アメリカが言うところの「開放」後の)イラクなど、これまでの、ある地域を制圧したから「勝利」、などという評価がもはや通用しない世界へとシフトしてしまいました。

Please Send Me Someone To Love の歌詞が描く世界は、キリスト教的な「神」に対する「なぜ我々は平和に暮せないのか」という嘆きとともに平和への希求を歌っている、と捉えることが出来るのですが、もはや現在のように、アメリカ対アラブ、いえ、言わばキリスト教的ファンダメンタリズムとイスラム教的ファンダメンタリズム間の闘争となっている状況化では、「あの子たちはクリスマスだって知っているだろうか?」なんて歌って、それが世界を救うことにつながる、なんて信じてた「おめでたい」ミュージシャンたちと同じくらい、イスラーム世界にはまったく通用しない概念なのではないでしょうか。
もちろん、この Johnny "Guitar" Watson がこれを録音した 1980 年代半ばでは、まだ(特に西欧側では)ほとんど誰ひとり、今日の混迷を予測などしていなかったでしょうから、そこらを衝いてもせんないことではございますが⋯

さて、曲に戻りまして、およそ、ブルースって音楽に、シーケンサーやらサンプラー、D.T.M.や、さらに「打ち込み」なんてえ単語や概念は「そぐわない」よに思われるかもしれませんね。
どしてもブルースってえと「人間的」で「ディジタルなとこがない」柔軟でルースな部分があるから、そんなハイテク(?)とかは親和性が無さそーに思えます。
でも、不肖ワタクシが iBook G4 の Garage Band で「でっち上げた」ギター弾きまくりナンバーなど、ワタクシ以外はすべてディジタル音源ってヤツなんですが、けっこー Boogie してますけどねえ。
それと同じよに(って、なにもワタクシが Johnny "Guitar" Watson と同じよなレヴェルだ、って言ってるんじゃなく、そのコンストラクションが、ってえ意味ね)この Please Send Me Someone To Love ではカンゼンに打ち込みで出来ているらしいリズムの上で「ことさら」喰ったりタメたりしたピアノやヴォーカルで、ディジタル臭さを紛らわせておるよーでございます。

そーなんですよ。グルーヴがどうたら、と聞いたふうなことをぬかすドラマーってのも多いですが、ハッキリ言っちゃうと、ベーシック・リズムに「ドンカマ(って判る?)」を使おうが、あるいはシーケンサーを使おうが、曲にグルーヴを持たせることは充分に可能なんですよねー。
どうも、ソリッドかつタイトなリズムを出せないヤツに限って、そうゆうディジタル系リズムを軽視(っつーか「敵視」?)してるみたいですが、エラそなこと言うのは、そんなディジタルのシュアさの上に「サムシング」のプラス・アルファを与えられるよなドラマーになってからにしてほしいですねえ。

このアルバム、Valley Vue Records 72969、STRIKE ON COMPUTERS( 1984 )では、彼自身が全トラックを自分でプログラムしたり、多重録音したりして作っておるワケですが、やはりそのよなクリシェは、ディジタルなリズム・トラックというものをベースとしていますから(あ、もちろん、彼の制作現場に立ち合ってたワケじゃありませんから、あくまでも「憶測」ですけどねん)、むしろ、その上で、どんだけ「柔軟な」タイム感を「演出」するか、でしょう。
さすが、そこらには充分に慣れている Johnny "Guitar" Watson だけあって、かなりモノにしてますねえ。

ま、そのことと、彼のヴォーカルがこの曲をどう表現しているか、ってのとは、これまたまったくの別次元のハナシですが、スキルがどうこう、と言うことじゃなく、ワタクシとしては彼のヴォイス・キャラクター自体が好きなもんですから、「これはこれで良いのだ!」てな気分なのでございます。
ま、ジョン・リーみたいな「ディープな」お声が好きな方からしたら、なんだこのベチャっとした声は!なんて言われそうですが、ワタシはそうゆう彼の個性もひっくるめて好きなもんで、むしろ Johnny "Guitar" Watson がヘタにヴォイス・トレーニングなんてせずに(って、そんな彼は想像も出来ないけどね)、この声で通したことが気に入っております(?)。

予定どおり寒気が襲ってまいりまして、ここ弘前は日中でもついに気温が 0 度を上回ることがなかったのでございました。
おまけに風も強く、ときに小雪がちらつく、なんて一日でございましたが、なんたって、ここんとこ「もう春だ」信号が脳内を駆け巡っておる「おめでたい」私のことでございますから、晴れ間からの陽射しに浮かれて、今日も ROCK 4400 で走りだしてしまったのも無理はございません。
で、走り出して少しするとさすがに(って、最初に感じないとこが実に「おバカ」なんですが)ん?やけに耳が冷たいなあ。なんて気がついて、するうち、痛ぇててて、こりゃそーとー冷えてるなあ、とやっと気がつくんだからまあ、ボケてますねえ。

それでも道路はきれいに乾いてるし、逆にこんだけ気温が低いと残雪から溶け出してくる水が無いんで、ハネのシンパイ無くブっとばせるじゃないの!
てなワケで、ちっとも懲りることなく、市内を走り回っていたのでした。

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