Sing A Simple Song

Sly and the Family Stone


06-04-27 THU.




Different Strokes By Different Folks という Podcast で、例の Sly and the Family Stone へのトリビュート(と言って良いのだろうか⋯?)の数々に触れてみても、なんだかどれひとつピンと来ない、とゆうか、オリジナルを邪魔してる、あるいは借りてもっとロクでもないそいつのサウンドにしてるだけ、って気がするのは、ワタシが「筋金入りの」Sly フリークだから?
そんな我田引水チックな横恋慕の洪水に疲れて、ついついオリジナルで「口直し」をしてしまう⋯
別に Isac Hayes は嫌いじゃないんですけどね。

てなワケで、やはり、オリジナルの Sing A Simple Song、無垢な幼児の喜びそうな「天真爛漫さ(ともちょっと違うんだけど)」を盛り込んだよなリズム・フォーマットに、アメリカ社会の底流にある「人種間摩擦」のガサガサさ(?)を「歌でくるんで」転がしてみせるこの世界、現代の後処理くらいではとても乗り超えることは出来そうもないですね。

この曲の特徴的な、リズムと一体となったこのリフ、これが紡ぎだしてゆく地平に次々と、まるでコメンテーターであるかのように現れては消えてゆくイロイロな声。
それが、あのドレミの音階をなぞることで一挙に「協調」する。その奇跡の一瞬はたった一度だけ。
ま、それもこれも、ワタシが勝手に「そう読みとっているだけ」です。
しかし、そこには、そのような読み取りに資するだけの「もの」があるということ。
そして、もちろんそれは他の、いわゆるファンク系のミュージシャンの作品にだってあるのでしょう。でも、それは良くも悪くも「ブラザー」向け(?)の仲間うちのランゲージで書かれており、ワタシにはそのステートメントが伝わってきません。

別に、Sly だけがそれを「全人類共通の言語」に近付けてバリアーを乗り超えた、なんては思ってませんが、いやむしろ、「人種差別なんて無視すれば無いのと一緒だ」的なオプティミスティックな理想像をまだ信じていられた時期の Sly Stone の「ある種」妄想が生み出した幻影だからこそ持ち得たパワーだった、と言えるかもしれません。
どんなに彼の曲がヒットして巷に流れても、現実の差別は「なにも変わりゃしない」ことに失望する前の Sly Stone⋯

いまの彼は、どう折り合いをつけたんでしょうか。
ただ単にシーンに出てきた、というだけではなく、今の彼がどう働きかけるのか、を語る「新たな作品」が再び世界に衝撃を与えるまでは、それを「復活」などとは言わない⋯

さて、1993 年 1 月12日、Sly & the Family Stone のメンバーたちは Rock and Roll 栄光の殿堂入りの認証式典に揃っています(他の顔ぶれはクリームに C.C.R. にドアーズ)。
P-Funk の George Clinton に呼び上げられたメンバーはステージ上に歩みを進めましたが、その中には Sly Stone だけがいませんでした。
Larry Graham がリードした Thank You Falettinme Be Mice Elf Agin と Dance to the Music の演奏の後、Larry、Freddie、Rose、Cynthia、Jerry、Greg の六人が感謝のスピーチを述べ始めたところで、今日は表れないものと皆が思っていた Sly が場内でトツゼン立ち上がり、それに気付いた観衆による満場の拍手の中、ステージに上がりました。
そしてマイクに歩みより、注視の中でただひとことの手短なスピーチ「すぐ会えるよ」の一言を残してその場を去っています。
ウワサでは Los Angeles あたりで世捨人のような暮しをしている、というのですが⋯

1997 年 5 月25日カリブ海の島 Arubaで行われた Shinbad's Soul Music Festival に Larry Graham が組織して Rose、Jerry そして Cynthia Robinson で Sly & the Family Stone のメドレーを演奏しています。

さらに 2003 年の 6 月にはレコーディング・スタジオにかっての Sly & the Family Stone が再集結し、レコーディングに入ったのですが、やはりそこには Sly Stone の姿はありませんでした。
Sly の状態は依然として好転していないようで、Larry Graham が主になって新たに吹き込んだ 16 曲には、たとえ後からのオーヴァー・ダブでさえ彼が参加することなく終っています。
Larry Graham がいない Family Stone なんて Family Stone じゃないのと同様、Sly のいない Family Stone なんて⋯

Was It All In A Dream ?
2006 年の 2 月、Sly は、第 48 回グラミーのエキシビジョン(?)に姿を現しています。
そのときにはずいぶん騒いでいた人もいましたが、もはや半年もするとそれさえも記憶から薄れていくようで、たとえば 2006 年、音楽の 10 大ニュースに Sly の出現を挙げるひとはたぶんいないでしょう。
そのとき「ちょっと」出て来ただけで、「その後」が「無い」から⋯

やはり、あれは「うたかたの幻」だったのでしょうね。
いえ、むしろ、それで良かったのではないか、と思っています。いろんな意味で。

Thank You Sly, for let me be myself again and again...

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