帰っておくれ

久保田麻琴と夕焼け楽団


06-05-10 WED.




本日は Lazy Lester の Biography 部分をひとつにまとめて収容する作業を続けていたのですが、その間ず〜っとアタマのなかにこの曲が「エンドレス」で流れ続けてるんですねえ。
まあ、きっかけはその Lazy Lester の原文中にこの曲を連想してしまう、てなことが書いてあるんですが、そこを見たとたん、脳内ジュークボックス(?)にスイッチがはいって、延々と鳴り続けてる⋯

最初は Those Lonely Lonely Nights を思わせるコード進行で、
G→D→D→G/G7→C/Cm→G→D→G と進みますが、そこはモチロン「お約束」のサビ、
C→Cm→G→G7→C→Cm→A→D7 が入り、っちゅうスタイルになります。
ただしあらためて聴いてみて「意外(?)」だったのは、イメージでは全編を通して入ってたように記憶してた Weeping Harp Senoh の Excelloっぽいトーンのハープが、なんと三番からようやく登場した、ってことでしょか。
ワタシのアタマのなかの「帰っておくれ」では最初っから最後まで妹尾ちゃんのハープが鳴り響いていたんですが、人間の記憶って面白いもんですね。
そんだけ、この曲での Weeping Harp Senoh のハープの音には、そうとうなプレゼンスがあった、ってことなのでしょう。

ただ、こーやって採り上げながらこんなこと言うのは「ナン」なんですが、実はワタクシ、この「ゴジラ・アルバム」こと SUNSET GANG のなかで、この曲は決して「好き」な部類ではございません。
なんたって、歌詞がもうメチャメチャ暗いんですよねー。
収録されてる他のナンバーは、ポケ〜っとしたレイドバックつうか「抜け」っぷりからすると、これは重く、演出過剰でちょっともたれちゃいます。
それでも、バックに流れる妹尾ちゃんのハープが虚空をヒラヒラと舞う花びらのように漂って行く様、それが忘れられない曲なのでございます。
いえ、極言すれば、そればっか覚えてた、てなもんでしょか。

ふだん滅多に行かない郊外のスーパーで偶然見つけて、好奇心からつい買ってしまった Nissin の「芋煮うどん」ってカップ麺(ま、特売でいっこ 68 エンだったから気楽に、っちゅうせいもあるんですが)をお昼に食べてみましたが、これが正しい芋煮であるかどうかはともかくとして、これはこれでなかなかウマい!
もちろんワタクシ、そもそも山形県を中心とした芋煮会文化(?)っつうモノに触れたことがございませんので、正しい芋煮が「どうあらねばならないか」など、まったく判りませ~ん。
したがいまして、この製品自体がカネ出してまで喰うに値するかどうか?のみで判断しておりますが、それで行きますと、私見ではございますが、充分に合格なのではないか、と愚考いたします。
⋯と、それはそれで良いのですが、さて、これがワタクシのようにホンモノの芋煮より先に来てしまうと、ちょっと別なモンダイもあるかもしれませんよ。

だいたい、どんな郷土料理でもそうでしょうが、そこで実際に暮しているひとたちにとっては、それぞれに「一家言」あってしかるべきだし、実際に百人に尋けば百通りの「こだわり」すら出てくるかもしれません。
それを(こともあろうに!)カップ麺なんぞに翻案する以上は最大公約数的な「萎縮」が含まれるワケで、逆にそうすることによって地域性に依存しない「共通言語」を獲得して「全国化」してゆくんですね。
そうなると、そのような一般化を「個性の喪失である」だとか、「地方のアイデンティティの危機である」てな論調で攻撃する気運も生まれてくる、と。

この芋煮うどん、これはこれでウマかったんですけど、それとはカンケーなく、もし山形県民 100 人に食べてもらって感想を尋けば、おそらく半数以上が(ウマいかマズいか、なんてことより)「こんなもの芋煮じゃねえっ!」と言いそな気がしませんか?
それが、いま現在は違うとこに住んでいる山形県人 100 人だったら、もっとキビシい声が出てくるんじゃないかなあ。
あ、これ、別に山形県民および県人を、ワシら青森県とはちゃう!なんて「貶めてる」んじゃありません。
おそらく「津軽そば」ってカップ麺で、青森県民&県人に試したら同じよな結果になると思いますよ(あ、津軽そばは南部じゃ知られてないから意外と肯定的な声が多いかも?)。
どうしても、こうゆう郷土食って各家庭ごとの振れ幅も大きいだけに「違うっ!こんなの XXXX じゃない!」なんて言われちゃうのかも⋯

知らなきゃ知らないで、スナオに「あ、XXXX って美味しいじゃん!」ってことになるんでしょが。

permalink No.1479

Search Form