Earlene Lucky Peterson 06-06-12 MON. | 確実にそのレヴェルは違うんだけど、同じよな「器用貧乏」一族として、とっても親近感を(こっちが一方的に、ですが)抱いている Lucky Peterson、彼が Bob Greenlee*(ベーシストでもあります)のプロデュースで Florida 州 Sanford の King Snake Studios で吹き込んだアルバムに収録された、割とオーセンティックなブーギでございます。 Alligator AL 4770 : LUCKY STRIKE 1 – Over My Head 2 – Pounding Of My Heart 3 – Can't Get No Loving On The Telephone 4 – She Spread Her Wings (And Flew Away) 5 – Lucky Strikes 6 – Dead Cat On The Line 7 – Bad Feeling 8 – Heart Attack 9 – Earlene Guitar, Keyboards, Vocals – Lucky Peterson Backing Vocals – Donna Staples, Nadine Brown, Vyki Walls Rhythm Guitar – Ernie Lancaster Rhythm Guitar – Bryan Bassett Tenor Saxophone, Baritone Saxophone – Bill Samuel Baritone Saxophone – Bob Greenlee Trumpet – Sylvester Polk Bass – Bob Greenlee Drums – Denny Best Drums – Scott Corwin 実はこのアルバム、全体的にはかなり凝った造りの曲が多く、そしてご想像どおり、その手のナンバーの方が彼の多才ぶりがよく現れてはおるのでございましょう。 が、皮肉にも(?)ワタクシがこのアルバムのなかで一番気に入ったのは、この、ちょっと Tore Down っぽいとこもあるライトなリズムが心地よい「シンプルな」ブーギなのでございますよ。 ややうわっついて聞こえる Lucky Peterson のヴォーカルもこの手のナンバーではかえって歯切れ良く、粘つかないぶんクリーンな印象で、そのおかげで曲自体が「活きて」いるように思います。 またジャケットの画像を信じれば、ローズウッド・ネックのストラトキャスターで弾いているらしきそのギターのトーンもフレーズもこのリズムによくマッチして、なかなかに血の通ったナンバーになっているような気がしますね。 どうも、他のトラックでは「出来ること」ってのを追求しすぎてて、そりゃね、やってることは確かにスゴいっちゃあスゴいんですが、でもそんなの抜きにして「音楽としてどうよ?」と言われれば、う〜ん、とちょっと考え込ませちゃうよなとこがあるんですよねー。 ザンネンながら、彼が他のブルースマンのバッキングにまわったときの、あの素晴らしいプレゼンスってのに較べちゃうと、なんだか「ストレートに」ココロに響いてくるものが少ない! ま、それはあくまでもワタクシ個人の印象でございますので、逆に、かなり盛りだくさんに作り込まれた「凝った」楽曲のほうが彼らしくていい!っちゅう見方だって「あり」だとは思いますが。 サイドでリフを入れているのは、ベースの Bob Greenlee とともにこの曲を作った Ernie Lancaster のギター。ドラムは Scott Corwin か Denny Best のいずれか。 このアルバムは、Alligator の 1989 年リリースの通常シリーズ(つまり AL-4769 とかゆう「 AL 」で始まるアルバム)のトップで、直前の Rufus Thomas の Florida 録音に登場しているとこからも判るでしょが、これまた Bob Greelee つながりでして、このアルバムも「とーぜん」King Snake Studios での録音を、シカゴの Streetville Studios でミックス・ダウンという公式どおりで完成しています。 ま、唯一、気になると言えば、クレジットから「監修 Bruce Iglauer 」って記載が抜けてるんですよね。 もう安心しきって、現場(ミックス・ダウン・エンジニアは「ずっと」Jay Shilliday )に任せっぱなしだったんでしょか。まさか「もう知らん、好きにやれ!」なんてことじゃないよね⋯ AL-4770 での録音、主だったとこはほぼ前述の Rufus とっつぁんのセッションのメンバーとダブってます。 ま、いちばんの違いは Lucky Peterson がキーボードだけじゃなく、ギターも自分で弾いてるってことでしょか(あ、サイドとしての二人は交代で参加してますが)。 アルバム全体としてはかなり完成度の高い仕上がりで、とても初リーダー・アルバムを出した「新人」とは思えませんが、まあ、それも当たり前、彼の場合はアルバムこそ「初」でしょが、もうずっと前からこの世界では活躍していたのですから、このくらい、どうってことない、と。 ただ、そんな音群のなかで(だからこそ?)彼の声の裏表が無さそうな「軽さ」がちょっと浮いてしまっているかもしれませんね。 あと、才能があり過ぎるひとにちょいちょい見られる、「そこまでやらないほーが、かえって活きるのに」てな部分も無いとは申せません。 特にキーボードでね。 しかしまあ、これもこのひとの個性として、ワタシゃけっこー好きなんですよ。 ミゴトに過不足なく完成してるってのもいいけど、こんなふうに、まだまだ出っ張りやらへっこみがあるミュージシャンもまたそのアンバランスさが一種の魅力となって、案外いいものです。 さて、毎度まいど、寄り道ばっかしてて⋯とゆうのが本稿の特徴なのでございますが(?)、ここでまたまた支線に迷い込むワタクシ⋯ * Bob Greenlee ─ Discogs によれば 1944 年 11 月 19 日、Florida 州 Daytona Beach で生まれたようです。 ただ、ある資料では「シカゴからフロリダに来た彼は⋯」って表現があって、それを信じるとすると出生地はシカゴで南に移住して来た、てなふうにとれますね。 ただ大半の資料では「 Daytonaっ子の」なんて表現がされております。ま、まだ幼いうちに来てるんだったら心情的には Daytona ネイティヴみたいなもんかもしれませんが。 そこで成長する彼に大きな影響を与えたのは Nashville からの WLAC(お~っとぉ!記憶力のいい方なら覚えておられるでしょか?Elvin Bishop くんとこでも出て来てましたよねえ!そ、あの Jimmy Reed の Honest I Do が流れて来て、彼の人生を変えてしまった!っちゅう局でございますよ)の放送だったそうでございます。 「 Surf meets Soul( by https://williamvandyke.com )」っちゅう当時の Daytona の音楽シーンの中で育った彼は Sea Breeze High School(ぐひゃあ!ガッコの名前とは思えんカッコ良さ!)在学中にベースとヴォーカルを始めているようですが、一緒にやってるひとの名前でどんな音楽か判る、ってえ博識な方もおられるんでしょうが、ワタクシには、いずれも始めて聞くよなお名前ばかりで、さっぱ判りません。 いわく、Peter Carr やら Jim Shepley、Floyd Miles に Duane と Gregg っちゅう Allman 兄弟っての⋯ と、ジョーダンはともかく、そんな連中が入り乱れて出来てたらしいバンド、The Pearl Notes、The Houserockers なんてので Daytona 周辺の店に出演していたもののようでございます。 ただ、当時の彼は意外と堅実な考えを持っていたものか、それ以上、音楽に深入りすることはなく、ノース・キャロライナ州 Ashville のプレップ・スクール(名門の総称である「アイヴィー・リーグ」に含まれる有名大学に入学するための準備学校。ニホンで言う「予備校」ではない)を経て名門、Yale 大学に進学し、そこで法律も専攻してますから、まあエリートまっしぐら、っちゅう、そのままで行くと白人社会の中でもさらに上位に位置するハイアラーキィに属する、てな勢いだったワケで。 そして Yale 在学中にはカレッジ・フットボール(ここはモチロン言うまでもないことですが「アメリカン・フットボール」ね。間違ってもサッカーなんぞやるワケはない!)でキャプテンを務め、ドラフトではマイアミ・ドルフィンズに 4 位で指名( 1967年 )されるほどだったのですが、そこでナゼかプロ・スポーツ選手、という「未来」を投げ捨て、音楽に「戻る」道を選んだのでした。 ワタクシが探し当てた資料では、そこらのいきさつっちゅうか、彼の心の動きについて触れた資料は皆無であるため、音楽を志向したがための「転回」だったのか、あるいは別な理由からスポーツ、あるいは法曹界進出を断念した「後」に音楽へ漂着したのか、は「まったく不明」でございます。 1970 年代に入ってから、彼はロー・スクールで一緒だった Washington D.C. の Foster McKenzie III と再会するのですが、なんと相手は Root Boy Slim と名乗って自らのパンク・ブルース(ってどんなんじゃ?)バンド、The Sex Change Band を率いて演奏活動をしていました。 Bob Greenlee はこれに加わり、遠くイギリス・ツアーにまで同行しております。 その活動とは別に、1980 年代に彼はフロリダの祖父の家のガレージを改装してスタジオを作り上げ、そこで King Snake Records を設立したのでした。 そしてそこからは数々の録音が送り出されることになるワケですが、そこでレコーディング・セッションをサポートするバック・バンドとして(あるいはバック・バンド「でも」あった、か?)結成されたのが、もちろん彼自身がベーシストとして在籍する the Midnight Creepers です。 Alligator に提供した録音で名前が出てくるギターの Ernie Lancaster やサックスの Noble Watts などがメンバーとして主にブルース系の録音でそのクォリティを高める役割を果たしていた、と言ってよいでしょう。 Bob Greenlee はまた新たなタレント(ここでは本来の意味「資質」で)を見つけ出す努力も怠らなかったようで、あまり乗り気ではなかったらしい Kenny Neal を説得するために Baton Rouge に現れ、Kenny によれば「彼は、オレが自分で思ってる以上にイイものを持っているんだから、自信を持て、と言ってくれたのさ、それはもう熱心に」⋯こうして生まれたのが Kenny Neal の Big News from Baton Rouge でした。 そのような新人の発掘のみならず、復活させたいブルースマンや、違った光を当ててみたい才能など、まさにレーベル・オーナーの感覚をメインにして Rufus Thomas、Lucky Peterson、Raful Neal、Sonny Rhodes などをはじめとする、およそ 100 枚ほどのアルバムの録音を世に送り出すこととなったのです。 ただし、1990年代末あたりから彼の健康には影が差し始め、ついに 2004年 2月12日、膵臓癌により、彼は帰らぬひととなりました。このときの彼はまだ 59才。最後の日々は自宅で最愛の妻 Sonja と送っていた、と言われています。 ⋯というワケで、こんな調子じゃいったいいつまでかかるもんだか、またまた本筋から離れたおハナシに深入りしちゃいましたねえ。 ま、なんたって King Snake でございますから、これがホントの「蛇足」ってヤツで⋯ |
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No.1512