Just A Little Little Little…

and More Bit


06-06-20 TUE.




いやはやもう、いっぺんに 30 個以上、統一したデザインのリンク用のボタンの制作が入って、ずっと、それやっておりました。
しかもそれが、あの Tiffany みたいな粉っぽいプルーに白抜きで文字が入るんですが、全体でも 100X60 ピクセルっちゅう小ささなものですから、かえって大変。
ま、ボタンなんで、そんなデカいものになるワケはないのですが、にしてもその小さなスペースに、ものによっちゃ 27 文字も入れなくちゃなりません。
そりゃね、いっこだけです、なんてえのなら、どれ、と、イッパツ拡大サイズで作って、そいつを縮小しちゃえばいいんですが、いっぺんに 30 個以上、それも午後 3 時までに、なんてことになったらそんな悠長なマネなんぞしてられませ〜ん。

じゃどーすんのか、ってえと、HTML で文字の大きさと書体を指定して、バックグラウンド・カラーは例のティファニーみたいな色にして、ホームページの一ページみたいにしてアップさせ、そっからスクリーン・ショットのトリミング機能を使って切りぬいては 100X60 のベースに貼り込んでいくワケ。
でもときどき字数が多いヤツではみ出しちゃうのがあるんで、そんな時は表示文字サイズを小さくして切り取り直すんですよ。
いやもう、後半は機械的な作業になっちゃうんで、そこらはちぃ~っとも面白くありません。
そこまでの、どーやったらいっちゃんラクに(ぐへへ、これが大事!)出来るか?ってえ手順を考えてるときがイチバン楽しいんですよ。

テキスト・エディット上で HTML ソースが完成したときの「美しさ」そしてそれをアップして、実際に思ったとおりに表示されたときの「やったぜ!」感⋯
そこで終るんだったらねえ。それこそサイコーなんですが。
てなワケで、本日はもう PC スクリーンを見るのもイヤ、てなもんですから、ちょっと前に書いてストックしといた文章を持ってきてズルしちゃいましょ。

かっての繁華街であった土手町から富田に向かうと、一度大きく左にカーヴするのですが、ひところその右には、かなりな大きさのビルがあって、そこにはスーパーが入っておりました。
しかし、次第に中心商店街周辺の居住人口が郊外に移ったりして減少するにつれ、売上が低迷し、ついには廃業・撤退、そして跡地も解体へ、という道を歩むことになるのですが、どうやらいまごろになって、ようやく郊外への大規模店舗をふたたび規制しよう、という動きが出て来たみたいですね。

一時期、大店舗は新規開店が難しいような法規制が存在し、それが規制緩和という趨勢で開放されたことによって、特に周辺部では地価がさほど高くはない地方都市にあっては、次々と郊外型の大店舗、いわゆるショッピング・モールの乱立が始まることとなったのでした。
特に、自分のクルマしか交通手段が無いような地方都市(そこらが、電車網が発達した大都市との最大の差でしょう)ではクルマで買い物、というのが日常化し、そうなるとロクにクルマを駐めとける(つまり「タダで」って意味ね)場所もない、かっての中心商店街には滅多に行かなくなってしまいます。

つまり、それまでは同じ商品から得られるマージン部分が、地元の住民に回ってきていたものが、その少なからぬ部分を中央からの大資本に「持ち去られる」ワケですから、いくらそんな郊外のショッピング・モールが賑わっていたとしても「地域振興」にはまったく寄与しないワケですね。

しかし、この事態を、ただ単に出店規制のユルさが招いた、と捉えてしまうのは少し違うんじゃないでしょか?
もっと大きなファクターは上でも書きましたが、クルマでのアクセスはこれからも増えることはあっても減ることは見こめない、ということです。
それに対して、市街部に駐車場を作ればいい、という発想は「無料で開放できるのなら、ね」という条件付きでだったら確かに有効な手です。
すでに郊外のスーパーではクルマを自由に乗りつけて買い物するのが当たり前、という「常識」で洗礼されてしまった人たちに、たとえ「ちょっと」駐めて、探している商品が付近のお店にあるかどうか見に行くだけでも、一時間分の料金 200 円を払わなきゃいけない有料駐車場なんて、お客を呼び戻すミリョクになる、と本気で思っているのでしょうか?

ともかく、本気で中心商店街を「再生」させよう、なんて思ってるんなら、税制上の優遇なども含め、「ともかくタダで駐められる」駐車スペースを周辺に「大量に」作ることです。
そして逆に平屋に近い二階建て程度の商店もまとめて(それほど高い必要はないけど)高層化し、上階を居住スペースとして賃貸・分譲するマンションなどとすることで、中心部の居住人口を増やし、クルマなんか無くたって日常の買い物はすべて近場で済む、それもアーケードやら地下街などで冬でも雪に濡れず、寒さからも無縁で買い物が楽しめるとなれば、それまでクルマに依存することで損なっていた地球環境にとっても、また高密度化することによってひとり当たりの除雪費用も少なくなるし、作業効率も上がり(だって、郊外の住宅地で 1000戸の生活道路を確保するために除雪しなければならない道路総延長と、そのような高密度な市街での同じ 1000戸について比較すれば答えは明白でしょう)ます。
さらに今後、ますます枯渇が近付いている化石燃料の消費も抑えられるし、高齢化が進む社会にとって、集積しているメリットの方が大きくなると思うのですが。

付近にミリョクある商店が無い、ということで、特に周辺の農村部などに居住する、すでに自分のクルマがある生活に慣れてしまったひとにとっては、市心部にどれだけアクセスのベンリな「無料パーキング・スペース」を提供できるか、一方、そこに住まうひとにとっては、いかに「クルマなぞ無くてもいっこうに困らない生活環境を整えられるか」が、空疎化に悩む中小地方都市にとっての最重要ポイントじゃないでしょか。

注)この原稿は少し前に書いていたもので、その後、例のシンドラー社エレヴェーターによる事故が起き、高層化にはそのようなハードウェアも大きく関わるだけに、注目しています。
耐震偽装にしても、このエレヴェーターにしても、あまりにコスト重視をすすめるあまり、安全面が「脱落」してしまった、という共通項を持っているように思われてなりません。
あの脱線事故でもそうでしたが、最後まで聖域であるはずの安全関連の予算まで削ってしまった「過当競争」ってものが、この市場原理で動く社会では必ずつきまとうようです。

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