Beyond the Reef

Lisa Ono


06-07-14 FRI.




Beyond the Reef だとぉ? しかも小野リサ? こ、ここってブルース日記でしょ?なんて声も聞こえてきそうですが、いいのじゃっ!
なんたって今日の弘前ときたら、 正午ころ 32 ℃ っちゅうデータが出ておりましたが、実際にはもっとじゃねえのか?街中なんて⋯
っちゅうバクレツな「暑さ」でございましたので、もう脳ミソもへろへろ、ともかく、なんでもいいから涼しそうなもん、みんな出せ〜!ってな状態ですから、ここらあたりなんてそりゃもう実に時宜を得たセレクションちゅうもんでございましょ。

なんて、そんなふうに書くと、いかにも、ワタクシが手持ちのソースの中から、クソ暑い日にはこれ、って出して来たみたいですが、ホントはそうじゃないのよねー。
実は、いまは 10 月までの長いお休みに入ってしまった、我が最愛の CAFE JEEBA、そこで流れていたのを聴いて、ああ、久しぶりの小野リサ、いいじゃん!てなことがございまして⋯
そんなワケですから、私にとっちゃ小野リサはしばらくご無沙汰してたので、おや、意外とハワイアンも「合う」のね?とヘンな再発見です。

そのソフトで、耳に快い(あ、ワタクシ、以前にもここで書いておりますが、ソプラノよりアルト、さらにアルトよりはコントラ・アルトの女声が大好きなのよね〜。あ、でも音域はどーあれ、「○ー○○」みたいな汚ねえ声は大っ嫌いですけど)、しかも色気過剰じゃない声は、こんなバクレツな暑さには「利く」んですよ。
ま、実際に飲むとウマいもんじゃない、っつーウワサのトロピカル・ドリンクなどそばのテーブルに載せ、目の前のプールでときおり水音をたてる美女をちらっと見たりしつつも(あ、そっちに集中しちゃうと南佳孝になっちゃうんですよねー。「泳いでるキミ、幻のよう⋯」って)、午後のプールサイドで、気の向くまま、手にした「ブルーノ・タウト論」など拾い読みする、てなときに静かに(そ、そこらカンジンでっせ〜。大音量でなんぞ流されたんじゃあ「台無し」)流れてて欲しい音楽ではございますよ。

てなことでお茶を濁しておる、ってのも、やはりあまりの暑さで、どうも普段から「快調」とは言い難い「思考回路(誰?えっ、そんなもん、あったの?って言ったヤツ!)」がいささか失速しておるせいでして、ま、こんな日にゃあ無理せず、「弛緩」さす方向でアタマを休ませてやろかいのう、っちゅうことなのよね(?)。

いやあ、それにしても「うっとりするくらい」暑い一日でございました。

さて、いまや伝説ともみなされている「おふとんジャズ」の有名コンテンツ「ギタラ族の伝説」中の小野リサについての一節が実に素晴らしいので、その部分を転記させていただきましょ⋯

これまでの考察が明らかにしたように、ヘビメタは若者を堕落させ、ブルースは中年を堕落させる。ブルースマンというのは実際、ヤクザみたいなもので、なぜだかわからないが十中八九、恐ろしい顔をしている。すでに述べたように、「顔」と「ブルース」との間には深い結びつきがあるのだ。
 ボサノヴァも世の中に様々な害毒を垂れ流してきたが、一番懸念されるのは、ボッサの歌声は人間から生きる気力を奪うという点、これに尽きると思われる。
あのヤル気のなさには、そら恐ろしいものがあるのだ。それは、信念の欠如をはっきり示している。したがって、あらゆるボサノヴァ族には情熱が欠けておるので、渇を入れてやる必要性があり、「もっと気合いを入れて歌うんだ!」と人々は叫ばざるをえない(むろん気合いを入れて歌うと、ボッサはボッサでなくなってしまうわけだが...)。
ただし小野リサは別格で、彼女はあらゆる批判から免れている。美人は何をしても許されねばならない。


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