Priority

Willings


06-08-20 SUN.




匿名ではないメールをいただきまして、それに返信いたしましたが、故意か、あるいはなんらかのミスによるものか、なんどやっても帰ってきてしまうので、こちらで返事をさせていただくことにしました。
都区内にお住まいの H さんという方から

他のブルース関連サイトでは、ハリケーン被害に対する支援を呼びかけるキャンペーンに参加したり、あるいは New Orleans 支援金に関するバナーを設置したりしているのに、この Blues After Dark にはそれが一切、見当たらないこと、また、被害以来、ただの一度もこの BLUES日記で呼びかけてもいないのは何故か?

という(別に難詰する、というふうではないのですが)質問をいただきました。

H さんのおっしゃるとおり、当サイトでは一切そのような取り組みをしておりません。

その理由は、まずは Priority : 優先順位の問題だから、と考えるからです。
確かに New Orleans は素晴らしい音楽を通じて、大げさに言うと全世界にその恵みを与えてきたのだから、それに報いたい、というのは充分にリッパな動機です。
では、その後、続いた東南アジアでの地震、あるいは津波災害で実際に家族を失い、困窮しているひとたちは「文化的貢献は無いのだから後回しで良い」のでしょうか?
ただし誤解しないでください。ワタシは、個人の自由意志で行う寄付は、「あくまでも」そこに知り合いがいる、あるいはお世話になった、さらには単に好きな街並だから、などという個人的な理由を最優先して構わない、と思っています。
それがワタシの場合は、もっとも困窮しているのはどこか?という物差しであるに過ぎません。
文化の危機よりも生命の危機が先だ、というのもワタシ個人の優先順位でしかありません。

そしていったん、そのスタンダードを持ち出すと、そこに新たな問題が派生いたします。
それは、各地で起きている災害ばかりではなく、戦災をどう捉えるのか?テロ被害者は?また、それを言うなら犯罪の被害者は?と「とめどもなく」拡大していく、ということなのです。
たとえば、地震で家を失った方々に対し、義援金を送ろうろしてる横から、それは財産の損失でしかない、こっちでは生命そのものが失われようとしている!というケースが飛び込んでくる。いえ、それは氷山の一画で、実際にはもっともっと多くの危機的状況があなたの支援を待っているのかもしれない⋯
それを考えると、結局は自分にとってなにかしら「ひっかかり」のある対象に的を絞って支援する、というのが案外「いい」方法なのかもしれないのです。

ただ、これもワタシ個人の偏見に過ぎませんが、自分の選択、「ワタシはこの人たちを助けたいと思いました」というのを、他人にも喧伝する必要があるのだろうか?という疑問があります。
もちろん、そのバナーなどを見て、あっ、じゃオレもひとくち乗ろう、なんていうひとだっているでしょうから決してムダではないし、日本でもこれだけ New Orleans のことを考えているんだよ、という「表明」としても意義はあるのでしょうが、ワタシにはどうも、「もっとあなた自身でよく考えて、誰を助けるのか、という意味で真剣に世界を見渡してもらいたい」という思いがあるので、個別の事象をクロース・アップすることは一切しておりません。

あちこちのサイトを訪れると「ほっとけない世界の貧しさ」やら「熱帯雨林を守ろう」、「核廃絶を!」「ゲイにも市民権を!」⋯ 等々のスローガンやキャンペーンが張られていることがありますが、ワタシはそんなふうに一カ所に視線を固定したくありません。
現実の社会は流動し、新たな災害が思いがけない所で発生し、考えてもみなかった犯罪が大きな被害を巻き起こす。そんななか、あくまでも柔軟にケース・バイ・ケースで支援できるものを支援してゆきたいのです。
もちろん、そんな類いのものを一切、張っていない Blues After Dark を「冷血」と思われる方もいるでしょうが、でもだからと言って、それがイヤさにまるで「免罪符みたく」適当なのを張っとく、なんてのはもっとイヤ。

誰だって、困っているひとがいて、しかも自分が少しでもそれに役立つ援助が出来るのなら手をさしのべると思います。
ワタシはそれを「黙ってやりたいだけ」⋯

ひとの「善意」ってのは難しいものですね。
ひとそれぞれ気付くレヴェルが違うから「かえってメーワク」な善意があったり。
でも、なんとか助けたい、というキモチがあるだけ、まだこの世も捨てたものではないのかもしれませんね。

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