Too Much Monkey Business...

How about you??


06-10-10 TUE.




今日はちょっとカタいお話をしようと思う⋯
仕事のほうで検索してたとき、偶然に面白いサイトに出会ってしまったからです。
それは 2000 年の暮れに開設されたサイトで、沖縄でジャズを演奏しているミュージシャンが主宰しています。
そのキャッチ・コピーが
『ジャズはなぜ死んだか』
この言葉で検索すれば、おそらく誰でもこのサイトに辿り着くことが出来るハズ。

もちろん、主題はジャズですから、ブルースとは違う、と言うことも可能でしょう。また実際にジャズならではの事情みたいなものもあるでしょうし、そのままではブルースに当てはまらない、と言う部分もありそうに思えます。
しかし、もっと根源的な部分、そこにとっても重要な示唆が含まれているのではないでしょうか。

それは、基本的に日本人は物真似をする猿であるということ。
ブルースでもそうですが、それはジャズでもロックでも、ギター少年たちはみな完コピと言われる、ミスタッチまで「再現する」デッド・コピーに血道を上げ、誰よりもオリジナルそっくりに弾けることが「勲章である」とカン違いしていることからも明白でしょう。
なぜか、ここ日本では、訥々とした「自分のアドリブ」を弾く人間よりも、他人が弾いたフレーズを無断で盗んで来て、上手にマネした人間の方が「ウマい」と言われるようです。
なんでそんなバカげたことが通用してるのか、と言うと、結局、まわりじゅう「そうゆう盗人ばっかりだから」なんですね。
誰ひとり、「アドリブをコピーなんかしちゃいかんのじゃないか?」という「当たり前」なことに気付かない。
それどころか、コピーを非難されると、「心酔していることの現れだ」だと。

心酔するなら、そのフレーズを、じゃなく、その姿勢を学びなさい。

たとえば、B.B. のギターが好きだからと言って、そっくりにマネをする。
日本では、それを B.B. への愛情の現れ、なんて「言ってくれる」同じ種類のバカが多いから平気でいられるのでしょうが、さて、B.B. って、誰か他のギタリストの完全コピーなんてする人間でしょうか?
B.B. はそんなギターは弾いていません。
それなのに、その音だけ盗んで、その精神、姿勢、生き方は踏みにじってもいいのですか?
そりゃ B.B. そっくりのギターが弾けたら、「オレってスゲえ!」と錯覚してるんでしょうが、それは「他人の褌」ってヤツでしょう。

こんなカンタンなことが通用しない、ってのは、それこそ最初に戻るようですが
基本的に日本人は物真似をする猿である
からなのでしょうね。
みんなでやってりゃ、それが正義だ、ってワケでしょう。

もっとも、「コピーしないで、どーやってスキルをアップさせるんだ!」なんて言うひとは最初っから才能が無いのです。
才能とは、どんだけ弾けるようになったか、という(見せかけの)結果に現れるのではなく、どうやって自分を向上させていくのか?を真剣に捉える能力のことなのです。

上で紹介したサイトでは、音楽のことばかりではなく、語学のこと、宗教のこと、本土と沖縄のこと、日本と世界のこと⋯それこそジャズに始まって世界へと視野が連なって行きます。

沖縄を安易に捉えている本土人のはしくれとして、確かに耳の痛い言葉も含まれています。
でも、こうして、自分とはまったく違った視点から周囲を眺めること、そして思いを巡らせることは、日常の中にあってはなかなか出来ることではありません。
今回はたまたま偶然に出会ったこのサイトで、ワタシの考えていたことを確認し、あるいは修正し、またある部分はまるっきり見直す必要に迫られるなど、またひとつ「泥水の中で足の置き場を見つけた」ような気がいたします。

ま、書き方も過激と言えば過激ですから、アタマに来て途中で読むのをヤメるひとも続出しそうですが、ホントはそうゆうヤツにこそ読ませたいものなんだけどねえ。

そこら永遠のディレンマってもんでしょか。



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