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Alligator Tales vol.07


06-10-20 FRI.




これまで、基本として自社制作の録音をプレスし、販売する、というスタイルで来た Alligator ですが、この 1979 年には、そこに初めて他社録音のリースでプレスする、という、まるでメジャー・レーベルのような製品が現れています。
それが AL-4715、Phillip Walker* の Someday You'll Have These Blues でした。

* — Phillip Walker ; 1937 年 2 月11日、Louisiana 州 Welsh で、小作農で、まだ 14 才と13 才で結婚していた(!)父、Malvin と母の Viola Weber Walker(そのまた母が Cherokee だったので、いわゆる「インディアン」の血が半分、ということになります)の 7 人目の子供として生まれる(全部で12 人だそう⋯)。
Phillip が 8 才になったときに一家は Texas 州 Port Arthur に移りますが Phillip が 12 才になったころから父の健康が悪化し、家計は逼迫してきたようです。
そのため Phillip はそこで学校教育から「脱落」した⋯
1920 年代には、母方の叔父たちはみんなバンドに参加していたようですが、1930 年代には現役を離れ、それでも機会があるごとに集まっては楽器演奏を楽しんでいたらしく、さらに Clarence "Gatemouth" Brown がどうやら「親戚」だったようですねえ( Second Cousin と phillipwalker.com では記しています)。
おそらく学校に行かなく(行けなく?)なってヒマになったあたりではないかと思うのですが、次第に音楽に興味を持ちはじめ、しかしギターを買えるアテもなかったため、お馴染みの Cigar Box Guitar を自作しました。
ヒマさえあればそれを弾き、どんどん上達したもののようですねえ。
また変装したりして歳をごまかしてジューク・ジョイントやダンス・ホールにも「潜り込む」ようになり、そこで演奏している中に参加するようになったのが、まだ 15 才の時だったそうで⋯
そこで知り合ったミュージシャンたちからも多くのシゲキをウケるとともに、その才能も認められるようになり、1952 年には、Booted で R&B チャートを登りつめた Roscoe Gordon に認められ、そのレコーディングに参加しました。
おそらくこのあたりからではないか、と思うのですが、Lonesome Sundown との交流も生まれています。また同様に Lonnie Brooks や Long John Hunter、Ervin Charles といったミュージシャンとの交流から、彼のスタイルは醸成されていったのではないでしょうか。
続いて 1953 年には Clifton Chenier が地方のクラブに出演していたときに彼を「発見」し、家族の了承を得て、ツアーに連れ出しました。
さらに Clifton Chenier の Specialty や Chess、Argo でのレコーディングに参加しています。
一方、彼自身は慢性の鼻炎に悩まされていたらしく、ツアーで立ち寄った Los Angeles では、その気候が良いのか、鼻炎の症状がかなり改善されることを知って、西海岸を住処としたい、と考えたようです。
1954 年に内紛からバンドが解体した後も Clifton Chenier と二人で演奏活動を続け、これがまた彼のサイドマンとしてのスキルをさらにアップさせたのではないでしょうか。
その腕を買われて Little Richard、Etta James のバックも務めています。
1955 年には Fats Domino と Little Richard、他にも Lowell Fulson や Percy Mayfield といったビッグ・ネームで組んだパッケージ・ツアーに加わり、全米を巡業しました。
ただし、そのような日々はそれなりに負担も大きかったようで、1959 年にはウェストコーストに舞い戻り、そこで Ina Beatrice Gilkey という女性シンガーと組んで Bea Bopp というバンドを結成し 1963 年には彼女と結婚。同年 AMC レーベルに録音もしています。また Model T. Slim や Eddie Taylor などのバッキングもしていました。
1973 年には彼にとって初のソロ・アルバムとなる Bottom of the Top を Playboy レーベルに録音し、ここで「開花した」と言えるかもしれません。
ヒュー・ヘフナーの気まぐれみたいなこのレーベル自体は短命で終わっているのですが、原盤は Hightone に移り、1988 年に再発されています。
ところで、同じ 1973 年から翌年にかけて Phillip Walker は Chicago の WNIB-FM による Atomic Mama's Wang Dang Doodle Blues Show に出演し、シカゴ周辺でもその名が知られるようになりました。それが契機となって Bruce Brmberg の Joliet レーベルに吹き込まれたのが Someday You'll Have These Blues だったのです。

この Phillip Walker もまたシカゴのブルースマンとは言えず、Louisianna で生まれてテキサスからメキシコ湾岸周辺で音楽を作り上げ、そこから西海岸にも進出し、というふうに、軸足は常にアメリカの南部から西海岸の一帯ですから、普通なら Alligator との接点はありません。
ま、そこらは例の社史でもまったく触れられてはいないので、あくまでも想像でしかないのですが、もしかすると Albert Collins の Ice Pickin' の手応えから、シカゴだけではなく、ある程度、南部のブルースも用意したほうが販売戦略的には「良いのでは?」という判断があったからではないか、なんて思っておりますが、さてどうでしょ?
なんたって Alligator の次のリリースだって Lonesome Sundown の Been Gone Too Long ですからねえ( AL-4716 )。
もちろん、これも Joliet レーベル に 1977 年に録音していたもので、この録音には、ギターで「ちゃ〜んと」Phillip Walker も参加しております。
実はこの Been Gone Too Long、これもまたワタクシにとっては忘れ難い一枚なのよねん。
なんでか、ってえと、そう! Louisianna Lover Man が入っているから!
もともとはそんなに過激じゃないんですが、そいつをワタクシと来たら、もう「絵に描いたよな」Rocn'N'Roll スタイルにしちゃって、ギターをバリバリに弾き倒す!てな「とんでも」なアレンジでやっております。

この Lonesome Sundown の Been Gone Too Long、そしてその前の Phillip Walker の Someday You'll Have These Blues も、現在では Alligator のカタログから「落ち」、その後 Hightone Records から 1991 年に一緒に再発売されています。


あっ!開いてる!っと JEEBA に入りましたが、どうもプレ・オープンだったみたいですね。
でも成田さんに開店おめでとーの挨拶やら、えりかちゃんには久しぶり!なんてやっておりましたが、わたくしの好きなカウンター席は入り口そば、つまり窓からは遠くなってますので、外を見る楽しみはちょっと減ってますねえ。
ま、店内をストリートだと思えばいいんでしょうが。

窓側はテーブル席になってますから、あまり混んでないときなど、そっちを「占拠」するのもいいけど、混んでるときはちょとエンリョしないと、でございます。
店内にはベビーカーがあって、子供連れのお母さんもいらっしゃいましたが、ベビーカーでエスカレーター上がってきたんでしょか?それともエレヴェーターってあったっけ?

さて、以前、ネットカフェだったとこがチーズケーキの専門店みたくなってました。
見たらお客さんはひとりだけでしたが、通る人から丸見えなんで、ちょっと抵抗あるかも?
そのうちテイクアウトで買ってってみよ。

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