Doing the Best I Can

Alligator Tales vol.08


06-10-21 SAT.




ここまでの Alligator は基本的に、その時代のリアルタイムで輝いている、あるいは輝きを放つことになるミュージシャンを採り上げています(ま、強いて例外に近いと言えば、すでに欠番となっている Blind John Davis でしょうか?この人はやはり Bluebird 時代、という言わば「過去」の人であり、1970 年代でもヨーロッパではそこそこ「ウケ」てはいましたが、世界的にはもとより、カンジンのアメリカ国内でも、さほど評価はされなかったハズ)。
そうして常に「現代」を見据えて来た Alligator でしたが、この 1979 年には、ひとつのアルバムが注目されます。

Alligator AL-4717 は、これまでの Alligator ではあり得なかったスタイル、つまり Alligator が創設された年( 1971 年 )にはもう既に死亡していたブルースマンの録音(それもプロ機材ではなく、またピアノもスタジオ・コンディションではない)をプレスしたものでした。
Bruce Iglauer がまだブルースに目覚めていなかったハズの 1963 年の夏、Pete Welding と George Mitchell それに Mike Bloomfield は、あの Elmore James の Broom Dusters の、というか Big Maceo の⋯等々、あまりに形容する言葉が「多過ぎる(!)」名ピアニスト Little Johnny Jones のためにシカゴ・ノースサイドの、客が 50 人ほどのコーヒー・ハウス、Fickle Pickle に Billy Boy Arnold も呼んで、この二人に一緒に演奏させることとなりました。
それを録音していたのが Norman Dayron で、そのモノラルのテープレコーダーに二本のマイクをカンタンにミキシングして入れたものですが、その後のテープの管理が悪かったのか、ところどころ磁性粉が剥離していたようで、ごく短いながらも音が欠落したりしている、という状態だったようです。
それでもこの二人による演奏は Alligator AL-4717、Johnny Jones With Billy Boy Arnold として発売されました。

* ━ Little Johnny Jones ; 1924年11月 1日、Mississippi 州 Jackson で、教会でピアノを弾いていた、という母 Mary、そしてギタリストであり、ハープも演奏したという父 George の間に生まれています。
どうやら 6 才年下の Otis Spann とも血縁関係があったらしく、ただ、First Cousin とはされていないので、「いとこ」とは言えなさそうですが。
Johnny Jones は、その家庭環境から、ピアノとハープで音楽との関わりを持ち始めたようですが、そのピアノは(最初はともかくとして)母からではなく、主に Big Maceo Merriweather から学んでいた、と言われています( Document DOCD-5214 および 5215 では彼のピアノのみならず「ハープ」も聴くことが出来ます)。
1946 年にはシカゴに来て、彼にとっての「先生」Big Maceo のもとで修行にハゲむことに。また Big Maceo も Johnny Jones をとても気に入り、大事に育てたみたいで、そこらの信頼関係が後に発病して半身不随となってしまった Big Maceo を Johnny Jones がサポートする、というスタイルを生み出したのではないでしょうか。
そして Big Maceo を通じて Tampa Red とも知り合い、その録音に参加しています( 1949 年 )。
しかし、なんと言っても、彼のキャリアでもっとも重要かつ華々しいのは、「あの」Elmore James の Broom Dusters のメンバーとしての活動でしょう。
なお、この Little Johnny Jones については、実に詳しい解説が江戸川スリム氏のページに載っておりますので、ゼヒご参照くださいませ。


もはや肺癌がかなり進行していた、という Little Johnny Jones ですが、共演した Billy Boy Arnold は「自分のカラダの不調なんて感じさせない、常に楽しい雰囲気を感じさせてくれた」と語っているし、Eddie Taylor も「いつも冗談を言ってまわりを笑わせてくれてた」と回想しています。

この録音の翌年、1964 年11月19日、Little Johnny Jones はついに還らぬひととなったのでした。
それは、早過ぎると言われた Elmore James の 45 才での死から 1 年半後のこと、Little Johnny Jones は 40 才になったばかりで⋯


ところで JEEBA、今日は「ほんとの」オープンです。
まずもう、その周辺からして普段と違いますね。
そう!人が多いんですよ!それも歩いている人が!
確かにルネスのオープンだけじゃなく、A to Z も最終日直前ということでかなり賑わっていたんじゃないかと思うんですが、やはりルネスに期待するひとが多いのでしょか、周辺の駐車場がどこも常にない賑わいでした。
ワタシなんて、この土手町で生まれて、そこで 30 年以上住んでいたわけですが、昔の賑やかだったころの土手町がこうして瞬間的にでも蘇ったようで、なんだか嬉しくなります。

いま、どこでも中心商店街の空洞化が進み、貸店舗だらけになりつつあるようですが、最近は旧市街にマンションが建ち始め、おかげで少しずつ市街地の人口が増えて来ています。
マンションで街の様相が変わるのを嘆く声もあるようですが、私はこのような降雪地域では垂直方向の高密度化によって人口を集め、除雪費用などという、まったく非建設的支出を抑制して、そのぶん、充実した生活が送れるようなインフラを整えるべきだ、と考えています。

際限なく郊外に伸びていく新興住宅街はそれだけで除雪費用の増大→財政悪化というキケンをはらんでいます。
もはや一戸建てはオトコの甲斐性、なんて言ってる場合じゃないと思うんだけどなあ。
そりゃ雪なんて降らないとこだったら、それもいいでしょうけど、雪なんて無視したってダメなんですよ。
必ず降って「積もる」んですから⋯

特にこれからはさらに高齢化が進み、それに伴う救急医療のことをを考えても、市心部の集合住宅であれば病院へのアクセスもカクホ出来ます(注;積雪時の話ね、もちろん)。
理想はスェーデンのストックホルムみたいに市街をすべて1・2階=店舗、そっから上、5階までを住宅に、という都市計画による「人口の集約→市街地の活性化」。さらに、市民一人あたりの除雪必要量が減少する、というプロットなのですが、いまのとこ民間デヴェロッパーのマンション頼み、ってとこがまあ、ちと情けないんですけどね。

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