Zydeco! and Reggae? Alligator Tales vol.12 06-10-25 WED. | さて、この 1982 年には Alligator にまた別な方向のビッグ・ネームが登場します。 エスニックなクレオール系の音楽と R&R、R&B などのエッセンスを融合させた "King of Zydeco" のアルバム、AL-4729、Clifton Chenier の I'm Here がそれです。 ただしこの録音そのものは Sonet からのリースであり、Bruce Iglauer の手は入っていません。 Clifton Chenier ; 1925 年 6 月25日、Louisiana 州 Opelousas で小作農だった両親のもとで生まれました。 そして父もアコーディオンを演奏していたため、その教えを受けて上達したもののようです。 1944 年ころには、同州 New Iberia 周辺のさとうきび農園での刈り取り作業に従事していたようですが、1947 年には先に出て行っていた兄の(注:例によって「英語」では Brother とあるだけでは兄か弟か判りません。ま、先に出て行ってたってことで「兄」としてるだけで、文献上で Elder という単語が発見できたワケではありません)Cleveland(後に彼のバンドのラブボード奏者となる)を頼って油田( ALLigator の資料ではその場所を Louisiana 州 Lake Charles、としていますが、同地は油田ではなく石油精製産業の都市であり、別な資料では Texas 州 Port Arthur 周辺の石油の精製施設としています)に職を求めています。 そこで彼は日中、トラックの運転手として働き、夜はラブボードでリズムをとる Cleveland と共に演奏する毎日を送ったようで、次第にそのコンビは周辺一帯に活動の場を広げていったようです。 本人が語ったところによると、Louisiana 州南西部の「ローカルな」クレオール文化などをベースとしたザディコに、近代的なリズムやアンプリファイドの手法を持ち込むにあたって Lowell Fulson から多くを学んだのだそうで、それがエスニックな枠を超えて一般にも支持されるようになったある意味、ターニング・ポイントだったのかもしれません。 1954 年には Elko Records と契約、シングル Elko 920、Louisiana Stomp / Cliston Blues( オリジナルのセンターレーベルでもハッキリと CLISTON BLUES と記され、演奏者も CLISTON CHANIER になっています⋯)を録音し、これがまずまずのローカル・ヒットとなり、翌1955 年には Specialty に録音した 12 曲の中から Ay-Tete-Fee(英語だと Hey Little Girl。オリジナルは Professor Longhair )が彼にとって初の「全国的」ヒットとなりました。 おそらくそのヒットによってだと思うのですが 1956 年には Day Job を離れ、自らのバンド the Zodico( Alligator の Biography にある原文のまま)Ramblers(ギタリストとして Lonnie Brooks、Phillip Walker、Lonesome Sundown も在籍することとなる⋯)を率いてツアーに出る、というフルタイムのミュージシャンとなっています。 1957 年には Specialty を離れ、Chess と契約。 ただし実際にリリースされたのは 1960 年の Checker 939、Bayou Drive / My Soul の一枚のみです。 そのころ Clifton Chenier はすでに Zynn に移っており、そこでは 1960 年までにシングル 13 枚を残しているようですが、ヒットには結びつきませんでした。 1964 年には Chris Strachwitz によって Arhoolie Records と契約することとなり、シングルの後、ここで初めて彼はアルバム・レコーディングを経験することとなります。 ただし、ここで Chris Strachwitz の望む「エスニックな」サウンドと、Clifton Chenier 自身が志向する、よりモダーンなサウンドの兼ね合いが「難航した」ようですが(結局アルバムの裏表で「分割」した!)、それはこのアルバムにとどまらず、Clifton Chenier にとって、常につきまとうディレンマとなって行ったのではないでしょうか。 こんなこと言うと叱られるかもしれませんが、ギターいっぽん弾き語り、みたいなカントリー・ブルースなんてのを好むマニア(ま、偏見かもしんないけど白人に多いよな気がすんですよねー)に「合わせ」、今この時代にアコースティック・ギターでそれっぽく渋いブルースを吹き込むなんてのも、そこらの需要と供給のカンケーかなあ?なんて思ってしまいますね。 ⋯なんてことはともかく、一応このアルバムによって知名度をさらにアップさせた彼は南部諸州、それもフランス系の文化を残すカソリック圏のサーキットを巡るツアーを行い、やがてはヨーロッパにもその範囲を拡大したのでした。 その活動が Sonet への吹き込みにつながり、Alligator からリリースされたこのアルバムは翌 1983 年、グラミー賞を獲得しています。 1987 年12月12日、かねてから腎臓を患っていた彼は永眠しました。 このアルバムではそのバッキングに、兄弟でラブボードの Cleveland Chenier、アルト・サックスで息子の C.J. Chenierも加わっています。録音は Louisiana 州 Bogalusa の Studio in the Country。 ところでこの 1982 年には、またしても三枚の Reggae らしきアルバムがリリースされておるのですが、現在ではリッパにカタログ落ちもしてるこったし、ワタクシが考える「本流」からは隔たっているように思いますので、今後 Reggae 系についてはロクに調べもせず、単にそんなのがあったみたい、っちゅう記述で済ませることといたします。 その三枚とは AL-8303 Mighty Diamonds の Indestructible AL-8304 Edi Fitzroy の Youthman Penitentiary AL-8305 The Abyssinians の Forward でした。 そりゃちゃんと調べて、それぞれどうゆうバンドか、なんてのも書いたほうがいいんでしょが、なんかそうゆう副線で時間をとられるのって、あんまり好きじゃないもんで⋯ ま、ここを「熱心な」Reggae ファンが検索で見つけて訪れたら、なんだよう、名前だけかい!なんて怒るかもしんないけど。 今日は暖かい!いえ、自転車でトバしてると暑いくらいでした。 が、夕方近くからは逆転層が発生したのか、藁&モミ焼きの煙が地表を覆い、視界は悪いし、あちこちで咳こむひとは出てくる、っちゅう典型的な「煙害」です。 あれほど「呼びかけ」てもやめない以上、もはや法制化して取り締まるしかないのかも。 「燃やしてなにが悪い!」なんて開きなおってるのを見ると、もはや、健康を害うから「やめてくれ」、なんていう「要請」ではなく、燃やしたら「検挙される」ということにならないと効果は無いでしょう。 ほんと、なんて情けない国だ⋯ |
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No.1647