THE NEW BLUEBLOODS - 2

Alligator Tales vol.21


06-11-03 FRI.




続いては The Sons of Blues のところでも触れた John Watkins です。
彼のヴォーカルとギターをメインに、もうひとりのギターは彼の叔父さんでもある Jimmy Johnson。
ピアノは St. James Bryant、ベースが Larry Exum、ドラム Fred Grady。
John Watkins の資料ですが、いまのとこ、めぼしいものには出会っておりません。
これも Alligator の The New Bluebloods のライナーによれば、サウスサイドの(いまはなき) Theresa's Lounge の「影」の中からミュージック・シーンに登場して来たのが 33 才の時で、それまで Theresa's Lounge のハウス・バンドに所属していたようですが、1973 年には Willie Dixon のギタリストとして、以後 7 年間を勤めたそうですから、John Watkins と Billy Branch は「同時に」 Willie Dixon のバンドに在籍してた期間があるんじゃないでしょか?それが彼の S.O.B. 入りにつながったんでしょね。
1984 年にはフランス・ツアー中に例の Black & Blue にレコーディングし Blue Phoenix レーベルから Here I Am というアルバムもリリースしています。

で、John Watkins さんですが、実は1991 年に来日しているんですよ。
ルイス・マイヤース&ニュー・エイシズという怪しいバンドで。

「オレはブルースを演奏するけど、一つのスタイルに押し込めて欲しくないね」
「いつもヴァーサタイルでありたい」
と申しておりました。

嗚呼、もう一度彼の演奏を聴きたい!と思って探しているんですが、見つかりませんです (;O;)

1953 年シカゴ生まれ。
ドラマーとしてスタートしたけど、そのドラムは「なんとか・ユース・ファウンデーション・センター」とか言うところで学んだそうです。
とにかく、ブラック・コミュニティで子供達にポジティブな活動を奨励している団体です。
その時、James Brown のバックを務めたって自慢してたっけ。

というのは、江戸川スリムさまから寄せられた情報でございます。
Alligator の資料では、1980 年代末に Detroit に移り、ギターを置いて Day job に就いた⋯となっておりますが、ちゃんと 1991 年には「ミュージシャンとして」来日してるとこみると、まだヤル気はあるのかも⋯

Michael Coleman は、ま、強いて言えば、他の New Age(?) Blues に比べると、なんだか本質的なとこで「オールド・スクール」っぽい、っちゅうか、それこそ James Cotton のあのライヴが当時持ってた「新しさ」みたいなものがそのまま残ってるよな、つまり、あまり年代で語るのは好きではないのですが、'70 年代サウンドと '80 年代サウンドの違いっつうか⋯
そりゃ、さすが James Cotton のバックにいただけあって、とても完成度は高いし、アレンジのツボも心得てるって感じはするのですが、それが逆に、そっからハミ出しちゃってる(?) Dion Payton やら Kinsey Report なんかとは根本的に違う、いまひとつ「破壊的な(?)」魅力に欠ける、なんて言ったら「酷」でしょか?
ギターもヴォーカルも、相当なスキルに裏打ちされた、文句のつけようがない仕上がりを見せているのですが、なんだか、それがこのアルバム全体として見た場合、彼をいまひとつ埋没させてしまっている原因なのではないか?てなふうに感じてしまいます。
つまり、キツいことを言うようですが、「言いたいこと」が、持っているスキルを上回っている、というある種のアンバランスな状態のみが持ち得るパワーってものが、彼のこの曲には「欠けている」と言うのでしょうか、なにかいまひとつ「溢れ出してくるもの」が無い、と。
もちろん、それは、前述の Dion Payton などの音の後で聴くから、ってのが大きいワケで、おそらく Alligator じゃなく、2000 年に吹き込んだ Delmark の Do Your Thing! あたりを聴くとまた違ってくるのかもしれませんね。
彼の凄い来歴—1956 年、Chicago のウエストサイドで生まれ、父が Junior Parker のバックでドラムを叩いていたそうで、8 才ですでにギターを弾き、11 才のときには Johnny Christian をヴォーカルに据えてバンド活動を開始。1979 年からは James Cotton のバンドに参加して Alligator でのアルバム二枚に付き合い、さらに Junior Wells や Carey Bell、さらに Billy Branch や(って、ここまで全部ハーピストなんですねえ)Syl Johnson とも共演し、特に Syl Johnson についてはその 1982 年のヒット、Ms. Fine Brown Frame でもバッキングを務めているよう — なんてとこからしても、やはりメイン・ストリーム(というか、やはり「オールド・スクール」か?)どっぷりのブルースマンってことは言えるようです。
その後何度かのヨーロッパ・ツアーの際に、録音されたアルバムもあるようですが、2000 年には Delmark でアルバムを残しています。

さて次の Maurice John Vaughn ですが、ちょっと面白い存在と言えるかもしれません。
つまり、ヴォーカル、ギター(まあ、ここまでは当たり前⋯)の他に「サックス・プレイヤー」でもある!んですねえ。ですからそのへんの多彩さは Lucky Peterson あたりとも共通してるのかもしれません。
このひともまたシカゴ生まれ( 1952 年)で、サウスサイドの Juliet Low grade school に在学している時に、ドラム、ギター、そしてクラリネットを演奏し始め、スクール・バンドに所属していたようです。
1968 年からはジャズのトリオに入り、サックスに集中しました。その延長として、1976 年には Chosen Fewという R&B グループのサックスのパートで、Chi-Sound Records に初のレコーディングを経験していますが、やがてサックスでの仕事が無くなって来たところで 1979 年に、Buddy Guy の弟、Phil' Guy に誘われてそのツアー・バンドに加わります。
1984 年(異説:1986 年)には自らのレーベル、Reecy を立ち上げ、アルバム Generic Blues Album をリリースしています(これを Bruce Iglauer が聴いたことで、この THE NEW BLUEBLOOD の録音につながった、とされています。同アルバムは 1988 年、Alligator から発売)。
この Nothing Left To Believe は、1987 年の録音で、その後 Les Paul Signature を抱えたジャケットの In the Shadow of the City を 1993 年にリリース。2001 年には Dangerous Road を Blue Suit からリリースしています。

かわっては、Melvin Taylor and the Slack Band。
この Melvin Taylor だけじゃなく、Dion Payton、Kinsey Report あたりにも共通した、ロックからのフィード・バックじゃあ?って感じのややアグレッシヴなギターと、スムースなヴォーカルのマッチングが、やはり、「時代の音」でしょう。
Depression Bluesも、Gm からのマイナー・ブルース( 9 小節目からは B♭→ Cという進行)ってえ味を活かして、ギターが歌いまくります。
2003 年 9 月の Blues Year で六本木ヒルズに来たときには、一見 Gibson 335 みたいなセミアコだけど、ちゃうメーカーのギターを弾いてましたが、この曲の音はもっと「ソリッドっぽい」よな気が?
1994 年の Blues On The Run じゃローズ・ネックのストラト使ってるし、1995 年のジャケットじゃ、Guild Starfire と、Gretsche のセミアコを持ってる画像がありました。
ただ、ワタクシの受けた印象だけで言っちゃうと、この曲で使ってるの、Les Paul じゃないのかなあ?って感じの音でございますよ。でも、その画像は見たことないんで、やはり、あのメーカー不詳の 335 タイプの音なのかもしれませんが。
2002.10.23 の画像じゃあまたストラト(今度はゴールドのボディにメイプル・ネック)持ってますね。
Melvin Taylor は 1959 年 3 月13日、Mississippi 州の Jackson で生まれ 3 才になった 1962 年に一家で Chicago に出てきています。
母の兄弟で Floyd Vaughnってひとが彼にギターを教えてくれたようで、12 才にしてすでに、クラブで他のミュージシャンに伍して演奏していたそうです。
おおよその基本はその叔父さんから学んではいたようですが、スライド・プレイやフィンガー・ピッキングなど、様々な技巧は B.B. や Albert King、Jimi Hendrix など、偉大な先達(?)たちの作品を聴くことで身につけていったみたいです。
ただ、彼の 10 代は、1970 年代のポップスがレパートリィだったといいますから、そのヘンも彼の個性の一部を作り上げているんでしょう.
そのバンド the Transistors は 1980 年代に入って分解してしまい、Melvin Taylor は Chicago のブルース・クラブに帰ってきました。
そして、それに合わせたかのように、Pinetop Perkins が、ヨーロッパ・ツアーに同行してくれそうなギタリストを探していたので彼はそこに加わり、おかげで彼の名前は当初、ヨーロッパで知られるようになったのでした。
やがて、その名に目をつけて、彼にもいちどバンドを組ませて、完成したパッケージに仕立てよう、という動きが出てきます。つまり、the Transistors を再結成させてブッキングを開始しよう、ってワケですね。
初期の二枚のアルバム Blues on the Run (1982) と Plays the Blues for You (1984) では、バックがその the Transistors のようです。
つづいて、そのような興行サイドのニーズではなく、自らのヴィジョンを優先した Real Own Band、the Slack Band を結成し、ウエスト・サイドのクラブ、Rosa's Lounge をベースに活動を開始しています。
そして 1995 年の Melvin Taylor & the Slack Band は商業的にも大きな成功になりました。
さらに、2003 年には Blues Year で六本木ヒルズにも登場しておりますから、すでにご存知の方も多いことでしょう。
ただ、このひとのアルバムは、フランスの Isabel 以外(って結局それも獲得するのですが)すべて Evidence からリリースされており、Alligator ではこの一曲のみです。

そして最後に控えるのは、すでにそのエピソードを紹介しちゃった Lil' Ed and the Blues Imperials でございます。また同じハナシを繰り返すのもなんですから、この THE NEW BLUEBLOODS についちゃあ、このへんで!

⋯しっかし、それにしても、このアルバムについちゃあ「語りたく」なりますねえ。


弘南鉄道・黒石駅構内で撮影した画像をどうぞ。説明はいたしません⋯





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